劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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引っ越しで良いのだろうか?


戦略級魔法師の引っ越し

 達也が海上テロに遭遇して入院したというニュースは、十師族の間でも大きな話題になっていた。臨時師族会議が開催されるという事態には至っていないが、電話で話し合いを持った当主は二人や三人ではない。だが中には、それどころではない家もあった。例えば、一条家。

 

「レイちゃん、朝ごはんだよ」

 

「ありがとう、茜。今行きます」

 

 

 クローゼットを整理する手を止めて一条家長女、一条茜に応えたのは大亜連合から亡命してきた戦略級魔法師・劉麗蕾だ。彼女は昨日、小松基地から一条邸に移ってきたのだった。

 これは前の日曜日、故・九島烈の葬儀の後の会食の際に一条家当主・一条剛毅と国防軍の幹部が、二木家当主・二木舞衣の立ち合いの下に話し合って決めたことだ。

 この措置は主に、一条茜の負担を考慮したものだった。茜は兄の将輝と共に、劉麗蕾の監視役として小松基地に泊まり込んでいた。基地の環境は決して劣悪なものでは無いが、中学生の少女をずっと基地内に閉じ込めておくのは好ましくないと判断されたのである。

 移動を昨日の午後としたのは、昨日が将輝の通う高校の終業式だったからだ。茜が通う三高中学は軍事情勢が不安定という理由で十日間早く夏休みに入ったが、魔法大学付属高校は三高を含めて今日から夏休み。将輝は先々週からずっと学校を休んでいるので夏休みに入ったから何かが変わるというものでもなかったが、形式に囚われている大人は「ちょうど良い節目だ」と考えたのだった。

 一条家の屋敷は家族用の区画が洋風、客を迎える為の区画が武家屋敷風の和風建築になっている。劉麗蕾に与えられた部屋は和風建築部分の一室をフローリングに改造した物だ。彼女は茜と一緒に長い回り廊下を伝って家族用のダイニングに足を踏み入れた。

 

「皆さん、おはようございます」

 

「レイラちゃん、おはよう」

 

 

 礼儀正しく挨拶した劉麗蕾に、当主夫人の一条美登里が応えを返す。

 

「おはよう、レイラさん」

 

 

 それに続いたのは将輝だ。今朝、剛毅は不在だった。なお『レイラ』というのは劉麗蕾の名前『麗蕾』を日本語読みした『れいらい』を一文字縮めたニックネームだ。慣習的な人名読みでは『麗蕾』をそのまま『れいら』と読むこともある。茜の『レイちゃん』は本名『リーレイ』の省略形だが『レイラ』は劉麗蕾本人から「本名は呼びにくいでしょうから」と提案されたものだった。

 本人の「潜入工作用の偽名の一つです」という説明は笑えなかったが、将輝たちがどう呼んで良いのか迷っていたのも事実。結局美登里と将輝は『レイラ』を使うことにしたのである。なお剛毅は「劉殿」、次女の瑠璃は『レイラ』を縮めて姉と同じ「レイちゃん」に落ち着いた。劉麗蕾は、一条家での生活を無難にスタートさせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、平穏な暮らしが長続きする程、世界は魔法師に優しくない。それが戦略級魔法師程の強い力を持つ存在ならば特に。一条家で遅めの朝食が始まったのは午前八時半のこと。その時、当主の剛毅は国防陸軍金沢基地に呼び出されていた。基地司令・浅野大佐が自ら、恐縮した態度で剛毅を出迎える。金沢基地にとって一条家との協力関係は重要なもので、頭ごなしに呼びつけるような真似は基地を預かる司令官の望むところではなかった。

 

「こんな朝早くから、お出でいただき恐縮です」

 

「いえ、予定より早く参上したのは私の方です。こちらこそ申し訳ない」

 

 

 浅野の言葉に、剛毅も腰を低くして応える。彼は強面だが、粗野な人間ではない。また協力関係を重視しているのは、浅野大佐の側だけではなかった。

 

「早速ですが、陸軍参謀部は劉麗蕾の身柄を我が家に移したことに対して、不満を覚えているのですか?」

 

 

 昨日の午前中まで劉麗蕾を保護していた小松は空軍の基地。一週間前に剛毅が打ち合わせをした相手は陸海空の横断的な組織である統合軍令部の高官だ。そして今日、剛毅をここに呼び出したのは陸軍参謀部だった。劉麗蕾は亡命を申請中の外国軍人であり、法務省や外務省が横槍を入れてくるならまだ理解できる。だが陸軍が口出しすべき問題でも口出しできる立場でもないはずだ。

 

「申し訳ございません。我々も戦略級魔法師の取り扱いに関する相談としか聞いていないのです」

 

「まさか、国防軍は愚息の身柄を引き渡せと仰るのではないでしょうな」

 

「本官には何とも申し上げられません。本音を申せば、ご子息には国防軍の士官になっていただきたい。そう考えているのは本官だけではないでしょう。しかしそれは、強制できることではありません。それも本官に限らず、理解しているはずです」

 

「そうですか……」

 

 

 剛毅は落胆を隠せない様子だったが、余り深刻なものでもない。彼が指定された時間より一時間も早く金沢基地を訪れたのは、今日の呼び出しがどういう意図によるものなのか事前に知っておきたかったからだ。だが、それが直前に分かったところでせいぜい心構えを作る程度のことしかできない。実効性のある対策を立てられるとは思っていなかったので、失望も限定的だった。剛毅と浅野基地司令の話は、浅野の趣味である釣りの話題に移った。




また余計なことをしようとしている輩が……

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