劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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別の場所で同時発生するラッキースケベ……


ラッキースケベ? その2

 夕方になっても第一高校は忙しく走り回る生徒で活気に溢れていた。校内は学園祭直前の追い込みを彷彿させる喧騒に包まれている。通常の高等学校教育に加えて魔法教育のカリキュラムが詰め込まれている魔法科高校に文化祭という行事は無い。

 そんな魔法科高校生にとって、事前作業も実技上位者で固められる九校戦とは異なり二科生でも活躍する機会が多い論文コンペの準備期間は学園祭に似た盛り上がりを満喫出来る時間なのだ。

 文科系クラブの一年生女子有志が主戦力となって組織されている差し入れ部隊も最後の追い込みに合わせてフル活動していた。普段であればとうに下校している時間だが、少女たちは夕食のお弁当配りに走り回っている。その中には美術部に所属している美月の姿もあった。

 幹比古が克人に挨拶をして帰ろうとした時にちょうど、有志によるお弁当配りが克人たちのところにもやって来た。

 

「吉田君、君もご馳走になって行き給え!」

 

 

 運悪く沢木に捕まってしまった幹比古、タイミングが悪かったと幹比古は思った。今闘技場に残っているのは殆どが二年生。警備隊に抜擢された一年生もいないわけではないが、生憎と殆どが初対面の幹比古は居心地の悪さを覚えていたのだ。

 確かに腹は減っている。その意味ではむしろタイミングが良かったといえるのだが、こんな集団の中で食事をしても味なんて分からないだろうし胃腸にも悪そうだと幹比古は思っていた。

 何と言って断ろうかと幹比古が思案を巡らせていると、すぐに彼は期待と安堵が入り混じった奇妙な視線を感じた。この奇妙な視線が気になり幹比古は盗み見る視線を逆に辿ったのだが、しかし目と目が合った瞬間親しいと思っている女の子にパッと顔ごと目をそらされてしまった。

 

「(そんな……)」

 

 

 幹比古がショックを受けているのに気付いたのか、咄嗟に顔を背けた美月が決まりの悪そうな笑顔を浮かべて幹比古を見ていた。

 この美月とのやり取りに気を取られていた所為で、幹比古は沢木からの誘いを断る口実を見つけ出す事が出来ずに車座の中に呑み込まれた。どうやらここが配達の最終地点だったらしく、差し入れ隊の女子生徒も行儀良く座った膝の上にお弁当のサンドウィッチを広げていた。

 幹比古が腰を下ろしたのと差し入れ隊のお茶酌みサービスが終わるのは殆ど同時だった。強引に車座の中に引っ張り込まれた幹比古が畳に正座してすぐさま飛んできた教育的指導に従って足を崩した直後、隣に膝を折った少女からお弁当の包みを手渡された。

 それが誰かを改めて確認しなくても幹比古は分かっていた。彼は目の端で彼女の動きを追っていたのだから。

 

「ありがとう、柴田さん」

 

 

 幹比古が律儀にお礼を言うと、美月が大袈裟に照れた表情を浮かべる。その様子を見て楽しそうに唇の両端を吊り上げた上級生(主に女子)が何人も居たが、野暮な口出しをする者は居なかった。名門・第一高校の生徒たる者、節度を弁えているのだ……下手に冷やかして楽しい見世物が終わってしまうのを避けるためだ。

 そんな人の悪い思惑の渦に幹比古と美月は気付いていなかった。二人共それに気付けるだけの余裕が無かったのだ。

 特に深く考えずに隣に座った美月だったが、例えクラスメイトであっても大勢の上級生に囲まれいる状況で自分からオトコノコに話しかける度胸は無かった。

 一方の幹比古はお弟子さんに女性が多い事もあって女の子と話すのが苦手と言う事は無いのだが、美月が派手に赤面した所為で変に意識して会話のきっかけがつかめずにいる状況だったのだ。

 その結果として非常に初々しく、見るものをほのぼのとさせる「初恋カップル」的な雰囲気が醸成されていた。今や二人を生温かく見守っているのは女子生徒だけでは無く、こう言うのに縁遠そうな武闘派の男子生徒たちも二人の間に流れる微妙な雰囲気に気がついていた。

 美月が幹比古にお茶を注ぎ足す際に、ふと指が触れ合って慌てて手を遠ざけるなどとお約束のシチュエーションが演じられた際には無言の殺意と無言の喝采が車座の全体から等量で飛び交う有様だ。

 今まで気にならなかった視線も、何となく居心地の悪いものに感じてしまい、ついに美月がそわそわと落ち着かなくなってきてしまっていた。

 

「あの、私ちょっと……」

 

 

 何が言いたいのか分からないセリフと共に、美月は立ち上がろうとした。しかし現代社会において畳に座る文化は廃れてしまっているのだ。お稽古事などで正座をする女の子は兎も角として、大半の女子生徒は魔法で体重を軽減して正座をしているのだ。二科生でも二年生にもなればこの程度の魔法はCAD無しで使う事が出来る。

 しかし一年生で二科生の美月はまだそんな真似は出来ない。それ以前に「正座をする時は魔法で体重を軽くする」という裏技の存在自体を知らない。そして彼女は畳に座る種類のお稽古事に縁が無く――

 

「わわっ!?」

 

 

――ものの見事に足を痺れさせていた。

 

「危ない!」

 

 

 倒れかけた美月を咄嗟に立ち上がった幹比古が抱きかかえて美月は床に倒れこむ事にはならなかった。ホッと一息吐いた幹比古が間近に見たのは美月の後頭部、つまり幹比古は背後から美月を抱きかかえているのだ。

 

「あれ……」

 

「ッ!?」

 

「……ゴメン!」

 

 

 声にならない悲鳴を美月が上げたことで、幹比古は自分の手が何を掴んでいるのかに気がついた。大慌てで身を捩って幹比古の手を振りほどくと、美月は前のめりになり床に手をついた。それが四つん這いで幹比古にお尻を向ける恥ずかしい姿勢になっている事に気がついて更にパニックを起こす。

 暫く美月が一人で慌てた後、足の痺れを忘れたように両目にじんわりと涙を浮かべて転ぶ事もなく体育館の外に駆け出して行った。

 その姿を呆然と見送っていた幹比古に、名前も知らない上級生の女子生徒から叱責が飛んだ。

 

「何してるの! 追いかけなさい、吉田君!」

 

 

 その言葉に幹比古は慌てて立ち上がり、靴も履いていかなかった美月の為に共用のサンダルを持って見えない背中を追いかけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外で作業していた達也はまず、泣きそうな顔で走っていく美月を眺めていた。そして暫くした後で慌てている幹比古が達也たちの前を走っていく。

 

「何があったんでしょう?」

 

「さぁ? 大方何時もの事じゃないのか」

 

「吉田君も美月も大変ですね」

 

「でも、あの二人はお似合い」

 

 

 生徒会作業を終わらせて達也の手伝いに来ていた深雪たちは二人を生温かい目で見送っていた。

 

「司波君、そろそろ再開しよう」

 

 

 五十里にそう言われ、達也は食べかけのサンドウィッチを口の中に放り込み最終調整を再開する事にしたのだった。




エリカのように引っ叩くか美月のように慌てるかのどっちかでしょうね。

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