第三課にハッキングを仕掛けていたのは密入国者の一味で、目的はデータを盗み出すことになかった。
「FLTからのカウンター攻撃です!」
「予定通り回線を遮断しろ!」
陳の命令でハッキングに使用していた回線が物理的に遮断された。その様子を見据えながら陳は隣に控えている呂剛虎に話しかける。
「どう出ると思う?」
「……不明です」
呂の態度は上官に対するものとしては妥当とは言い難かったが、陳は構わず独り言のように続けた。
「十分以上にわたって不正アクセスを遮断出来なかったのだ。司波達也はラボのセキュリティに疑念を抱いた事だろう」
「確かに」
陳が副官に期待してるのは礼節やご機嫌取りではなく冷静な判断力と万夫不当の戦闘力であり弁舌は必要としていない。
「司波達也がFLTの関係者だとしても、聖遺物の玉をセキュリティの不確かな研究施設に預けようとは思うまい」
「倫理的に考えるならばそうでしょう」
「言いたいことはわかる。司波達也は高校生だ。狙われていると分かっているものを手元に置いておくのを忌避する可能性は十分にあるだろう。その場合は改めてラボからデータを入手する手立てを考えれば良いのだ。多分、出勤してもらうことになるだろう」
「お任せを」
頼もしい副官の返事に陳は頷き、ふと思い出した風に表情を変えた。
「そういえば今日、周が例の小娘の様子を見に行くらしいが……その前に消せ」
それは呂にとって思いがけない命令だったはずだ。そんなことをすれば周青年の顔は丸つぶれであり、陳は貴重な協力者を失いかねない。しかし呂剛虎は顔でも言葉でも疑問を差し挟む事はしなかった。
「是」
短く受命の応えを返し、呂剛虎はその場から移動するのだった。
日曜といえども学校に行く以上私服のままというわけにも行かないので、達也たちは着替えの為に一旦家に戻っていた。
すると自宅の電話にメッセージが入っているのに達也が気がつく。非転送設定のメッセージだ。
この設定をしていると言う事は、送り主がメッセージの守秘性が高いものと考えている事を意味しているのだ。
「お兄様、どうかなさいました?」
達也より着替えに時間がかかった深雪が電話機の前で立ち止まっている達也に歩み寄ってきてそのままディスプレイを覗き込んだ。
「伝言ですか? どなたからです……って、平河先輩!?」
「折り返し電話がほしいそうだ」
深雪が何かを言う前に達也は返信ボタンを押した。するとコールは一回でつながったのだった。
『もしもし司波君? ごめんなさいわざわざ電話してもらって……』
「いえ、こちらこそ遅くなりまして。朝少し家を空けていたものですから」
小春は九校戦の一件から達也とは何かと触れ合う機会が多かった。達也が小春に感じていた印象は、あずさとは違った「気の弱さ」が目立つ人だという感じだった。だがその気の弱さは見方を少し変えれば「優しさ」や「包容力」と評価されるもの。むしろそういった見方をする者の方が多いかもしれないとも思っていた。
『ううん、私のほうが電話してってお願いしたんだから……』
「何かありましたか?」
小春の声が、学校を辞めるかどうかで悩んでた時と似たような暗さを感じさせる声だったので、達也は思わずそのように問いかけた。電話越しで顔は見えないが、小春がきっと暗い顔をしているのだろうと達也は心配していたのだ。
『この前はその……千秋が迷惑を掛けてごめんなさい』
「未遂です。結局は何もされてませんし気にしないでください。それに千秋は何者かに洗脳、あるいは感情を操作されていた可能性もありますので」
達也が『千秋』と呼ぶと、後ろで控えている深雪がピクッと肩を震わせた。その姿を直接見たわけではないのだが、達也は気配でその事を感じ取っていた。
『でも、いろいろと騒がせちゃったし……ただでさえ司波君にはいきなり代役なんて迷惑掛けてるのに。私が不甲斐ないばっかりに、千秋が変な連中との関係を……私には謝る事しか出来ないけど、本当にごめんなさい』
「分かりました。小春さんに免じて全て水に流します」
達也としては小春に謝ってもらっても困ると言うのが本音であり、千秋がしようとした事など本心から気にしてなかったのだ。だからあっさりと小春の謝罪を受け入れ、この会話を終わらせようとした。
『ありがとう。司波君ならそう言ってくれると思ってたわ』
「それでは。俺はこれから準備がありますので」
『待って! こんなことでお詫びになるとは思ってないけど、司波君の役に立つかどうかも分からないけど、千秋が窃盗団とコンタクトしていたログを見つけたの。千秋のプライベートデータも含まれてるんだけど……司波君に預けます。司波君の自由にしてください』
達也の返事を待たずに、小春はログを一方的に達也に押し付けて通信を切った。
「いくら姉妹の間でもハッキングは犯罪ですよ……」
隔離ボックスに振り分けたログのファイルのアイコンを見ながら、達也は小春に言うつもりだったセリフをつぶやいた。
「お兄様?」
少し心配そうな顔で深雪が達也のつぶやきに反応した。
「さて、どうしようか」
微妙に噛み合ってない答えを返しながら、達也はこのデータをどうするか考えていた。すでに放棄されたであろうアクセスポイントのログファイルを手掛かりにネットワークの中で狐を狩り出す自信は達也には無い。だがそれが可能な人物に心当たりはあった。
「まぁ良いか。使えるものは使わせてもらおう」
達也が独り言を終えると、深雪がとことこと達也の隣にやってきた。着替え終わってるのでこのまま学校に向かうので、深雪は達也の隣に立ったのだった。
二人が学校に到着するのとほぼ同時に雨が降り出した。傘は持っていなかったが、CADの常時携行の許された生徒会役員である深雪になら、濡れた服を乾かすのは造作も無い事だった。
「この雨では野外作業は無理ですね……」
「こればかりは仕方ないね」
眉目を曇らせた深雪に、達也は肩を竦めて見せた。ここまで準備は順調に進んでいるし、屋内では少し手狭感はあるがそれでも間に合わなくなると言う事は無いはずなのだ。
もっとも達也自身に限って言えば、今日は最初からロボ研のガレージでデバッグ作業の予定だから天候は関係なかったのだ。
「じゃあ行ってくる」
「はい、頑張ってください、お兄様」
生徒会で仕事が待っている深雪は、少々名残惜しそうに達也と別れ生徒会室へと歩いていった。その先でほのかと雫がこっちを見て手を振っていたので、達也は軽く手を上げて返事をし、深雪は駆け足で二人に近づいて行ったのだった。
もう完墜ち決定ですかね……