二十八日未明、午前三時三十分。
「おはようございます、リーナ様」
「ふえっ!? な、なにっ?」
七階の自分の部屋――ここでいう部屋とはマンションやアパートの住居の意味だ――の寝室で寝ていたリーナは夢見心地の中、突如声を掛けられて、跳ね起きた拍子に危うくベッドから転げ落ちそうになっていた。
ベッドの端でバランスを取り、寝ぼけ眼をこすってリーナが見上げた先には、黒の半袖ワンピースの上に白いエプロンを着けた水波が隙の無い姿勢で立っていた。
「……水波、ここ、私の部屋なんだけど?」
声音に非難を込めてリーナが訴えるが、水波は表情一つ変えない。
「存じております」
「何故貴女が私の部屋にいるの?」
リーナの声に苛立ちが加わる。そこで彼女は、自分の両手が小さな目覚まし時計を強く握っているのに気付いた。デジタル時計の文字盤を見て、リーナは目を見張った。
「しかもまだ三時半じゃない!」
「はい。ご指示をいただいたお時間です」
「指示……?」
リーナが訝しげに眉を顰める。きっかり三秒が経過した後、彼女は「あっ!」と声を上げた。
「目覚まし時計で起きられないかもしれないから、三時三十分になったら様子を見に来てほしいと鍵をお預かりしました。もしまだ寝ていたら、起こして欲しいとも」
「そうだったわね……」
リーナは恥ずかしそうに顔を赤らめながら水波の主張を認めた。昨晩、深雪たちと夕食を共にした席で、確かにリーナは水波にそう頼んだ。だが彼女はあくまでも、保険のつもりでしかなかったのだ。
スターズの任務では、真夜中や夜明け前に出撃することも度々だった。その際、起床に他人の手を借りたことは無い。去年の冬の「吸血鬼事件」では補佐役のシルヴィア准尉から「お寝坊さん」呼ばわりを受けたが、実際に惰眠を貪ったのは任務の予定がない一日だけだ。
彼女は今日も、自分で起きられる自信があった。だから「起こして」と頼んだことを、すっかり忘れていたのである。
「……起こしてくれてありがとう。すぐに支度するわ」
「お手伝いいたしますか?」
「ありがとう。でも、結構よ。それより達也に少し遅れると謝っておいてくれないかしら」
「かしこまりました」
丁寧なお辞儀の後、水波が寝室を後にする。リーナは目覚まし時計をサイドテーブルに置いて、両手で自分の頬を挿み込むようにピシャリと叩き、気合いを入れて立ち上がった。
「水波に起こしてもらったんだから、これ以上遅れたら深雪に何を言われるか分かったもんじゃないわね……同じ婚約者なんだけど、深雪って小姑っぽいのよね……」
達也と従兄妹関係なのだからあながち間違っていないのだが、リーナは特に自分には厳しく当たってきているような気がしてならない。彼女は慌てて昨晩受け取った服に着替えて、急いで部屋を出て待ち合わせ場所に向かったのだった。
午前四時十五分。スラストスーツ(レプリカ)を着込んだリーナが約束の時間に十五分遅れで地下ポートに到着すると、そこには達也だけでなく深雪と水波も待っていた。水波はリーナを起こしに来た時と同じくメイドスタイル、深雪は涼しげなサマードレス姿だ。
「……深雪、わざわざお見送りに来てくれたの?」
水波に向けたお礼の言葉や達也に向けた謝罪の言葉が出てこなかったのは、リーナが深雪に目を奪われていたからだ。シフォン素材のワンピースはスカートこそ大人しめのミモレ丈だが、上半身は両肩がむき出しのキャミソールネックラインで何とも艶めかしい。
今朝の深雪は、少女の域を超えた色気を醸し出していた――いや「醸し出す」という表現はいささか控えめすぎるかもしれない。彼女はこの地下の空間を、大人でもあり少女でもある危うい色香で満たしていた。
「あら。違うわよ、リーナ」
軽い意外感を見せて否定の返事を返した深雪に、リーナは心の中で「そうでしょうとも」と頷く。
「(どうせ、達也のお見送りなんでしょ)」
リーナは自覚していなかったが、その心の声は拗ねた口調で呟かれていた。
「お見送りじゃなくて、私も途中まで送らせてもらうの」
「えっ!?」
直前の勘違いが、リーナの驚きを増幅した。
「深雪もエアカーに乗るの?」
「エアカーの飛行システムとステルスシステムは独立した機能だ。深雪がステルスシステムを分担することで隠蔽はより完璧なものになるし、俺は飛ぶのに専念できる」
達也の答えは、リーナの問いかけの背後にある感情を考えれば的外れなものだった。だが、正鵠を射た答えでは、深雪の行動を誤解していたリーナが気まずい思いをする羽目に陥っただろう。もしかしたら達也は、わざと論点をずらしたのかもしれない。
「では、行くとしよう」
彼がどのような意図だったにせよ、出発前に余計で質の悪い混乱が生じることは無かった。
「リーナ様、お気を付けていってらっしゃいませ」
「ありがとう、水波」
「そういえばリーナ、遅刻した謝罪はないのかしら?」
「わ、悪かったわよ! ちょっと寝ぼけただけだから、そこまで責めないでちょうだい!」
エアカーに乗り込む直前に深雪に責め立てられ、リーナは平常心とは程遠い気持ちでの出発となってしまったのだった。
よく隊長ができてたよな