論文コンペのプレゼン――というか魔法技術そのものに余り興味のない遥は、どうせ退屈するくらいなら喫茶室で居眠りでもしようかと考えており、それを実行に移そうとした。だが最寄りのゲートからロビーへ入ってきた知り合いに声を掛けられたのだ。
「あら、小野先生じゃないですか」
「安宿先生」
カウンセラーとして精神面のケアを担当する遥は、保険医として生徒の肉体面をケアする安宿とは、結構親しく話す間柄だったのだ。
「小野先生も論文発表を聞きに来られたんですか? 余り関心が無いようなことを仰ってた気がしますけど」
「いえ、少し気になることがあって……それより安宿先生こそ、如何されたんですか? その子の付き添いですか?」
「ええ。平河さんに今日の発表会を見てみたいと言われまして。彼女実は病み上がりで体調が万全じゃないんですよ。本当ならお姉さんが付き添うはずだったんですが、一緒にこれなくなってしまったので私が付き添いに。どうせ私も来る予定だったので丁度良かったんですけどね」
「そうですか、ご苦労様です……? 安宿先生は元々発表を見に来る予定だったのです?」
保険医の怜美が魔法技術の発表に興味があるのかと引っかかりを覚えた遥はそう質問したのだった。
「発表自体にはそれほど興味はありませんけど、司波君の発表には興味ありますから」
「なるほど……」
そういえば怜美は達也と懇意にしてた(怜美が一方的にだが)なと思いだし、一応は納得した遥だが、今度は別の引っかかりを覚えた。
「平河さん……お姉さんの方の用事とは?」
「病院に寄ってからくるそうよ」
「病院……カウンセリングですか?」
「そうみたいです」
千秋の答えに遥は少し胸が締め付けられる錯覚を感じた。自分が説得出来なかったから彼女は代表としてここに居ないのだと。
「私たちは控え室に行ってみますけど、小野先生は?」
「私は喫茶室に居ます」
「そうですか、では」
怜美と別れ、遥は当初の目的通り喫茶室でだらける事にした。このまま終われば楽な仕事だったのだが、さすがにそこまでは世の中甘くなかった。
「少しよろしいかしら?」
突如話しかけられ、遥は自分の心臓が止まったかと錯覚した。何故なら彼女に話しかけてきた相手が響子だったからだ。
「え……え、どうぞ」
「ありがとう」
品の良い仕草で腰を下ろし、すぐにやってきたウエイトレスに穏やかな声で紅茶を注文する響子の落ち着いたたたずまいとは対照的に、遥は焦りの色を隠せずにいた。
「……そんなに見詰められるとさすがに気恥ずかしいんですけど」
「す、すみません」
「いえ、『ミズ・ファントム』に関心を持ってもらえるのは光栄な事だと思いますので」
「……私如き者の事を『エレクトロン・ソーサリス』がご存知とは思いませんでした。こちらこそ光栄に思いますわ。それで、どのようなお話なのでしょうか」
何時も以上に余所余所しい口調で受け答えをして、遥はさっさと会話を終わらせたいが為に話を急いだ。
「これ以上申し上げなくてもお分かりいただけるのではございません?」
「……すみません、私は貴女のように優秀ではなかったものですから」
「お互いの領分を守りましょうと提案してるだけですよ。大丈夫、貴女にお咎めが来る事はありませんから」
それだけ言って響子は軽やかに立ち上がった。その手には遥の分の伝票まで握られている。
「それから、これは達也君の奢りですから」
監視はバレていると言う事も伝えられた遥は、自分が意固地になっていると自覚しながらも、心の中で雪辱を誓ったのだった。
控え室で達也がモニターで五校のプレゼンを見ていたら、そこに来客がやって来た。
「早く来ちゃった」
遅刻される分には困るが、別に早く来られる分には困った事にはならない。だが年上のはずなのに年齢を疑いたくなるような真由美の第一声に、達也は軽く頭痛を覚えたのだった。
「あら、七草さんに渡辺さん、それに市原さんも」
「えっ? 安宿先生、それに貴女は確か……」
真由美たちの背後からまた別の来客がやって来たのを、達也は声を掛けられる前に気配で気付いていた。だが真由美たちはそのスキルが無い為に怜美に声を掛けられて少し驚いていた。
「平河さん、来てくれましたか」
「興味はありましたから……それに、司波君にも誘われましたので」
そっぽを向きながらぶっきらぼうに言い放った千秋の言葉に、深雪と真由美がムッとした表情を浮かべた。だがそれはほんの一瞬で、達也以外の誰にも気付かれる事は無かった。
「付き添いは平河先輩じゃなかったのか?」
「病院に寄ってから来るって。だから安宿先生に付き添いを頼んだの」
「そういうことなのよ~。それにしても司波君も大変ね~」
分かってるなら擦り寄ってくるな! と達也は思ったが口には出さなかった。怜美が達也に擦り寄ってくる前に、その通路を深雪と真由美が塞いだからだ。
「ところで先輩、時間を早めた理由は何でしょうか?」
「あ、あぁ……思ったより早く尋問が終わってな。関本はマインドコントロールを受けていた形跡がある」
「随分と本格的ですね……」
「精神科の先生は何も仰らなかったから、通常の手段では無い事だけは確かね。もしかしたら本物の『邪眼』かもしれない」
「先天的な系統外魔法の使い手ですか……」
真由美の意見に達也がつぶやいた言葉を、摩利が拾った。
「まぁいくら強力な精神干渉魔法であっても、被術者に掛けられる下地が無ければ上手くいくものじゃないらしいんだけどな。関本は元々国家が魔法を秘密裏に管理する体制に不満を唱えていた。世界中で魔法式と起動式に関する知識が共有されてこそ、魔法にも真の進歩があるという、所謂オープンソース主義者だな」
「学問的には間違ってないけど、国と国の対立が厳然と依存する現実を見れば正しいとも言えないわね」
「間違ってると言うべきでしょう」
真由美が同情的な声でつぶやいたが、達也はその言葉をバッサリと切り捨てた。
「厳しいわね、達也君……」
「ところで司波君、準備は終わってるの?」
「ん? 当日にするような大掛かりな準備は無いぞ」
上級生との会話に割り込んできた千秋に、達也は苦笑いを浮かべながら答えた。
「あまり無理はするなよ。大怪我では無いにしても安静にしてなきゃいけないんだからな」
「分かってるよ」
如何やら拗ねてしまったらしいと、達也は千秋の態度を見てさらに苦笑いを浮かべたのだった。
手札が全然違いましたね……