劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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摩醯首羅の醯の字がメンドイ……


摩醯首羅

 半信半疑という面持ちで五十里は自分の身体を見下ろしていた。呆然と恋人の姿を見詰めていた花音の意識が現実に追いつき、五十里に抱きついて泣き出した。その向こうでは桐原が首を傾げながらジャンプと片足立ちを繰り返し、それを三十野と紗耶香が泣き笑いで見ている。そして更に奥では、千秋が号泣しながら小春に抱きついており、その小春も泣きそうな顔で千秋を抱きしめていた。

 深雪は背後に「タン」という軽い足音を聞いて振り返った。そこには自分の身長よりも長大な大太刀を手にヘリから飛び降りてきたエリカの姿があった。

 

「お疲れ。凄かったね、あの魔法」

 

「……お兄様の前では死神ですら道を譲るでしょう。でもあの魔法は……」

 

「んっ? いや、達也君の魔法も、もちろん凄かったけどさ。アタシが言ってるのは深雪の魔法の事。あんな風に敵だけを狙い撃ちに出来るなんて凄いじゃない。さすがは深雪ね」

 

 

 何時も通りに話しかけてきたエリカに、深雪は控えめな微笑みを返した。対するエリカの表情には演技も強がりも無く、ただ純粋な深雪に対する賞賛だけがあった。

 

「ありがとう」

 

 

 エリカの表情には恐怖は含まれていなかった。だから深雪は自然に、何時も通りの口調で応える事が出来たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法協会支部のある丘の北側で攻撃を押し返された侵攻軍は、兵力を南側に迂回させて最後の攻撃を試みた。

 人質の確保は既に断念している。長期の占領が可能な兵力でもない。

 このままでは何の成果も無く撤退ということになってしまう。せめて協会支部に蓄積された現代魔法技術に関するデータを奪取し、その上で魔法師を一人でも多く殺害してこの国の戦力を殺いでおこうというのが侵攻軍の決断だった。

 装甲車と直立戦車のみの別働隊は、今のところ敵と遭遇していない。防御側に機動力が無いという推測に基づく作戦を立てており、その読みは的中しているようだ、と装甲車の中で指揮官は思っていた。

 丁度そのとき、装甲車のハッチから上半身を出して警戒に当たっていた兵士は、頭上を通り過ぎる黒い影に顔を上げた。その兵士は影の正体を見極める事が出来ずに、空中から放たれた弾丸に頭を貫かれた。

 侵攻軍車両の間で慌てて通信が交わされ、機銃が空に向けられる。その対応を嘲笑うように空から急降下してきた黒い部隊――独立魔装大隊の飛行兵部隊は道路沿いのビルの屋上に降り立ち上方側面より一斉射撃を浴びせた。

 その攻撃に侵攻軍も無抵抗ではなかった。榴弾を打ち込みビルを瓦礫に変え、重機関砲で壁面を削り銃口をのぞかせている飛行兵を吹き飛ばす。

 だが黒い部隊の火勢は少しも衰えなかった。炎に巻かれた瓦礫の中から、壁を削られたビルの上から、いっそう激しい銃撃が繰り出される。

 侵攻軍の兵士たちは、不死身の怪物を相手にしているような怖気に捕らわれていた。だがすぐに彼らはそのカラクリを己が目で知る機会を得た。

 足元を崩され一人の飛行兵が路上に落ちる。直立戦車の機銃がその身体に穴を穿つ。漆黒の戦闘服が持つ防弾性のおかげで即死ではなかったが間違いなく致命傷だった。

 ところがその隣に舞い降りた両手に銀色のCADを持つ黒い魔人が左手をその兵士に向けた途端兵士の傷が消えた。右手は自らに狙いを定める直立戦車に向いていて、装甲に鎧われた直立戦車にノイズが走り、全高三メートル半の機体が塵となって消えた。

 

『……摩醯首羅(マヘーシュヴァラ)!』

 

 

 悲鳴が電波に乗って広がった。恐怖に急かされた闘争と、恐怖に駆り立てられた突撃と相反する波がぶつかり合って、侵攻軍の隊列から秩序が消え失せた。そのパニックは彼らの全滅によって終結した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 偽装揚陸艦の艦橋、すなわち侵攻軍の司令部は悲壮で深刻な空気に覆われていた。

 

「別働隊が全滅……?」

 

 

 艦長兼侵攻軍総指揮官に睨みつけられた参謀は竦みあがりながらも己が職務を全うした。

 

「報告から推察致しますに、飛行魔法を使った空挺部隊による強襲に善戦空しく全滅と相成った模様であります」

 

「………」

 

「……それと、これは未確認の情報でありますが……」

 

「何だ」

 

「別働隊の交信の中に摩醯首羅(マヘーシュヴァラ)の声が」

 

「摩醯首羅だと!?」

 

 

 艦橋にいた半数の人間が目を剥いた。

 

「別働隊には三年前の戦闘に参加した者がおりました」

 

「………」

 

「何の事でありますか?」

 

「性質の悪い戯言だ!」

 

 

 残り半数の一人だった副官が、総指揮官ではなく報告をもたらした参謀に問いかけたが、応えたのは総指揮官本人だった。

 三年前、沖縄で彼らに敗北をもたらした正体不明の魔人。捕虜交換で帰還した兵士の間で、誰からともなく囁かれた異称。大亜連合軍の上層部はその存在を否定している。その名を口にする事を兵士たちに禁じている。葬り去ったはずの悪夢、だがいくら口で否定しようとも、悪夢は現実となって牙を向けていたのだ。

 総指揮官をはじめとするその存在を知っている侵攻軍メンバーは、それが本当に戯言であれば良いと思っているのだが、心のどこかでは戯言ではなく本当にヤツが現れたのだろうと理解している。そうでなければ、例え敗北したとしても誰一人逃れる事が出来ず、こちらに連絡を入れてこない状況が説明出来ないからだ。

 先の無人探査機の全滅もヤツの仕業だとすれば説明もつく、化成体で襲わせたヘリが問題なく飛び立ち、その術者が姿を消したのも納得がいってしまうのだ。

 

「至急摩醯首羅の存在が確かかどうか調べろ。これは最優先事項だ」

 

 

 総指揮官に命令され、参謀は慌てて艦橋から飛び出していったのだった。




塵一つ残さない魔法……そりゃ恐怖だわ。

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