深雪は自宅に帰り一人きりで夜を過ごしていた。一人きりは別に珍しい事ではなく、独立魔装大隊の演習でちょくちょくと達也は家を空けるのだ。
そんな時はいつも達也からマメに連絡があるし、今日も電話をもらっている。それに深雪と達也は常に繋がっている。抽象的な意味でも観念的な意味でも無く、兄の力が常に彼女の周囲を見張り、彼女を脅威から守っているのだ。
それは今も同じ。彼女の側から兄に対する干渉は切れても、兄の側から彼女に対する守護が途切れる事は無い。達也は何時も深雪の事を無意識に見守っている。それがとても申し訳なくて、それでも深雪はそれが嬉しかった。
一人で過ごしていると、突如電話の呼び出しメロディーが奏でられる。兄からではなく普段は奏でられる事の無い旋律。深雪は急いで立ち上がり軽く身だしなみを整えカメラの前に立ち通話回線を開いた。
「ご無沙汰致しております、叔母様」
『夜分にすみません、深雪さん』
「いえ、滅相もございません」
深々とお辞儀をしていた頭を上げると、画面の中で殆ど黒に近い色合いのロングドレスを身に纏った上品な女性がにこやかに微笑んでいた。実年齢は四十歳を超えているはずだが、外見は三十過ぎにしか見えない。彼女こそは、深雪たち兄妹の母親の双子の妹、四葉家現当主、世界最強魔法師の一人、四葉真夜その人だった。
『そうですか? それにしても今日は大変な目に遭いましたね』
「ご心配お掛け致しました」
「貴女の無事な顔を見て安心しました。まぁ貴女にはたっくんがついているから心配はいらないと思ってましたけど……そういえばたっくんは今どこに?」
口調こそは何時も通りだが、深雪はこの電話の本来の目的が達也だという事に気づいていた。呼び方が『達也さん』ではなく、『たっくん』になっている事に、真夜は気づいていないのか、それとも意識的に愛称で呼んでいるのかは定かではないが、明らかに達也と話したがってるのは分かった。
「畏れ入ります。兄は事後処理の為にまだ帰宅しておりません」
『……そうですか。じゃあ深雪さんは今一人なのですね』
「兄の力は常に私を守護しておりますので、ご懸念には及びません」
『ああ、そうだったわね。深雪さんの方から鎖を解く事は出来ても、たっくんの方から契約を破棄する事は出来ないのですものね』
ニコニコと微笑みながら真夜が言う。深雪が真夜の許可無く達也の枷を外した事実を指摘してみせる。
「ええ、仰る通りですわ叔母様。兄は何処に行こうと、自分の一存でガーディアンの務めを放棄する事などありません」
それでも深雪の慇懃な態度にほころびは生じなかった。
『そうですか、安心しました。そうそう、今度の日曜日にでも二人揃って屋敷にいらっしゃいな。久しぶりに貴方たちに直接会いたいわ』
「恐縮です。兄が戻りましたらそのように申し伝えます」
『楽しみにしているわ。じゃあお休みなさい、深雪さん』
「お休みなさい、叔母様」
画面がブラックアウトし、通信が完全に切れた事を確認して、深雪は大きく息を吐き崩れ落ちるようにソファーへ腰を下ろした。
「(お兄様……)」
叔母の相手は何時も彼女に多大なプレッシャーをもたらす。その上刈り取った命の重さに耐えるには独りは辛く寂しかった。
心の中で兄を呼び、自分をそっと抱き締める。自分を優しく包み込む兄の温もりを思い、深雪はいっそう強く自分の身体を抱きしめた。
西暦二○九五年一○月三十一日、ハロウィン。達也は今対馬にいた。ムーバル・スーツを着てサード・アイを手にして。
「大黒特尉、準備は良いですか?」
『準備完了。衛星とのリンクも良好です』
真田に問われて達也はヘルメットにより変調された声でスタンバイ完了の答えを返す。
「マテリアル・バースト、発動準備」
風間の声に達也はサード・アイを構えた。鎮海軍港、巨済島要塞の向こう側に集結した大亜連合艦隊。その中央の戦艦、おそらくは旗艦に翻る戦闘旗、その旗に照準を合わせる。三次元処理された衛星映像を手掛かりに情報体へアクセスする。
『準備完了』
「マテリアル・バースト、発動」
『マテリアル・バースト、発動します』
風間の命令を復唱し、達也はサード・アイの引き金を引いた。対馬要塞の中から海峡を越えて鎮海軍港へ。達也の魔法は約一キロの質量をエネルギーに変えた。アインシュタイン公式に基づくその熱量はTNT換算二十メガトン。スクリーンがブラックアウトした。過剰な光量に衛星の安全装置が作動したのだ。だから彼らは、そこに生じた地獄の爪痕しか見る事が出来なかったのだ。
衛星からの映像が回復して、対馬要塞のスタッフは一人の例外も無く息を呑んだ。若い士官の中にはトイレに駆け込んで胃の中の物を戻した者もいた。無様、と笑う事は出来ないだろう。独立魔装大隊の面々でさえ蒼褪めた顔の色を隠せてなかったのだから。
彼らは戦略級魔法の真の意味を初めてその目で確かめたのだ。
「敵の状況は?」
「敵艦隊は全滅……いえ、消滅しました。攻撃を仕掛けますか?」
風間に問われ、響子が慌ててモニターを確認する。確かに今なら占領は容易だろうが、風間は首を縦に振らなかった。
「不要だ。以後の予定を省略し、作戦行動を終了する」
「全員、帰投準備に入れ!」
風間の命令を受けて、柳が撤収を命じた。達也はサード・アイを床に下ろした。ヘルメットの奥のその瞳には、一欠片の動揺も存在しなかった。
灼熱のハロウィン
後世の歴史家はこの日の事をそう呼ぶ。それは軍事史の転換期であり歴史の転換点とも見做されている。
それは機械兵器とABC兵器に対する魔法の優越を決定づけた事件。魔法こそが勝敗を決する力だと明らかにした出来事。
それは魔法師という種族の、栄光と苦難の歴史の真の始まりの日でもあったのだった。
次回からちょっと新たな試みを考えてます