劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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そんなに見た事ないかも……


達也の笑顔

 兄の本質に触れてからの二日間、私は何時も以上に外に出かけ兄を連れまわした。私は兄に優しくなろうと思っている。私が兄に優しく出来れば何かが変えられると思ったから。

 でも、染みついた習慣はなかなか矯正されるものじゃないと思い知らされるだけだった。二週間のバカンスもあと七日。その七日間も私は同じようにあの人を振り回し続けるだろう。そんな自分が情けない……つい一週間前まではこんな事気にもならなかったのに……私はいったい如何してしまったのだろう。

 自分の心が分からない。自分が何を望んでいるのか分からない。こんなもやもやした気持ちのまま今日も過ごさなければならないかと思うと、少し憂鬱になってくる。

 でも、幸いにして――というのは不謹慎過ぎるけど、そんな事を悩む必要は無くなったみたい。そんな事で悩んでる場合では無くなった。丁度朝食を食べ終えた時、全ての情報機器から緊急警報が流れ出た。

 警報の発令元は国防軍。つまりは外国の攻撃ということ。私は食い入るようにテレビの画面を見詰めた。そこには耳慣れない単語が羅列された情報の洪水でパニックになりそうなくらいの情報があったが、私が引っかかったのは一つだけ。

 

「潜水ミサイル艦?」

 

 

 クルージングの最中に襲ってきた潜水艦は、もしかしてこの前触れだったのだろうか?

 

「便宜を図っていただけるよう真夜様にご依頼します!」

 

「ええ、お願い」

 

 

 桜井さんもお母様もさすがに緊張気味だった。無理も無い、と思う。テレビのキャスターですら「冷静に行動してください」と連呼しているが、その本人が気の毒なくらい動揺しているのだから。

 私が本物のパニックに捕らわれてないのは、単に現実感が無いから。他人事のようだけど、一種の現実逃避で自分を保っているのだと思う。

 

「(でも……この人は?)」

 

 

 兄はさっきからテレビよりも詳細な情報を小型ターミナルから無言で読み取っている、その表情に動揺や緊張や焦りといった人間的情動は見られない。

 兄も私と同じように実感を持てないでいるのだろうか? それとも本当に何も感じていないのだろうか?

 私がじっと見詰める先で、兄が「おやっ?」という顔をした。

 

「はい、司波です……いえ、こちらこそ先日はありがとうございました……基地へ、ですか?」

 

 

 サマージャケットから通信端末を取り出して応答する兄から、相手は先日の国防軍の大尉さんだろうなと、推察がついた。しかし、基地は文字通り戦争中の状態だろうに……いったい何の用事だろう?

 

「ありがたいお申し出ですが……いえ……はい、それでは母と相談してみます……はい、後ほど」

 

 

 通信を終えた時、兄を見ていたのは私だけではなかった。ソファに座ったまま顔だけ向けているお母様に、兄は立ちあがり一礼した。

 

「奥様、恩納空軍基地の風間大尉より、基地内のシェルターに避難しては如何か、とのお申し出をいただきました」

 

「えっ!?」

 

 

 思わず声を上げて、私は反射的に口を押さえた。立て続けに意外な事が起こって感情が飽和しそうになったけど、ビックリする事はそれで終わりじゃなかった。

 

「奥様、真夜様からお電話です」

 

 

 今度は「えっ」という言葉すら出なかった。お母様と叔母様は姉妹でありながら、その関係は冷え切っている。私が覚えている限りでも、お母様と叔母様がこうして電話越しとはいえ会話する事は稀な事だ。

 

「もしもし真夜? ……ええ、そう……貴女が手をまわしてくれたのね……でも危険じゃなくて? ……そうね、分かりました。ありがとう……それは駄目! 絶対に駄目です」

 

 

 叔母様にお礼を言ったと思ったすぐ後、お母様が珍しく怒鳴りました。いったい叔母様は何をお母様に言ったのでしょうか?

 

「奥様、真夜様は何と?」

 

「国防軍のシェルターに匿ってもらえる様話を通したそうよ」

 

「では、先ほど達也君が受けた電話は」

 

「そういう事でしょうね」

 

「しかし、かえって危なくはありませんか?」

 

「私もそう言ったのだけど」

 

 

 二人の会話の内容は、私には理解出来なかった。だって民間のシェルターより軍のシェルターの方が頑丈で安全なのではないのだろうか……という疑問が頭にあったからだ。

 

「まぁ、大した労力じゃないとはいえ骨を折ってもらったんだし、真夜の言う通りにしましょう。達也、大尉さんにお申し出をお受けします、と連絡して。それからお迎えをお願いしてちょうだい」

 

「畏まりました」

 

 

 面倒な事を全部兄に押し付けているように見えるのも、きっと私の考え過ぎなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想はしていたけど、基地から迎えに来てくれた軍人さんは、例の桧垣ジョゼフ上等兵だった。

 

「達也、待たせたな」

 

「ジョー、わざわざありがとうございます」

 

「止せよ、他人行儀な挨拶は」

 

 

 桧垣上等兵はすっかり友人に向ける笑顔を浮かべている。兄の方は多少遠慮がちだったけども、それでも十分打ち解けた表情だった。

 私たち家族に向ける態度より、知り合ったばかりの上等兵に向ける笑顔の方が、如何見ても親しげだ。

 お母様が眉を顰めたのは、彼の粗野な態度がお気に召さなかったからに違いない。まさか身内よりも他人に打ち解けている兄の態度が気に障ったとかいうわけじゃないわよね?

 お母様の不快げな表情に気づいたからか、桜井さんの苛立たしげな佇まいに気づいたからか、桧垣上等兵は馴れ馴れしい態度を一先ずしまい込んで軍人らしい鯱張った挙措で私たちに敬礼した。

 

「風間大尉の命令により、皆さんをお迎えにあがりました!」

 

「御苦労さま。案内をお願いします」

 

「ハッ」

 

 

 必要以上に張りきった声で口上を述べた上等兵に、少し辟易した顔で桜井さんが応えた。桧垣上等兵にそれを気にした様子は全くなかった。

 本音を言えば少しくらい気にしてほしかったのだけども、今は基地に連れて行ってもらう方が先だという事くらい、私にも理解出来ていた。

 

「(それにしても、に、兄さんもあんな表情が出来るのね……じゃあやっぱり、私に見せてくれた表情は演技なんだろうか……)」

 

 

 軍のシェルターに避難出来る、という事で、少しは冷静さを取り戻した私の頭は、今朝のニュースを見る前の思考に逆戻りした。それに加えて、兄が上等兵に見せた笑顔は、多少遠慮はしていたが心からのものだったと言える。

 

「(如何して家族にではなく他人にそんな笑顔を向けるんですか……)」

 

 

 避難する人であふれかえっている道を車で進んでいる間、私はそんな事を考えながら兄の横顔を眺めていたのだった。




家族より他人……そりゃ気になるわな……

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