劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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風間大尉とのやり取りはほぼカットしました……だって長いんだもん……


神の魔法

 死ぬ時は都合のよい幻覚を見るのだと思った。だって兄がむき出しの感情で、こんな必死な声で私の名前を呼ぶはずが無い。私を引き止めるはずが無い。

 苦労して開いた眼の先には、雲に覆われた空、消えてしまった壁、いなくなった反乱兵、そして左手を私に向けて差し伸べる兄の姿。

 圧倒的な「何か」が兄の左手から放たれた。それは未練がましく死にかけの身体を覆う、私の情報強化の防壁を易々と突き抜けて、私の身体に流れ込んだ。

 兄の「心」が私の身体を包みこんだ。だってそれ以外に表現のしようが無い。私の身体の全てを読み取って、全てを作りかえる。私の身体が――私が作りなおされていく。兄の意思で、兄の力で。

 それは魔法というにはあまりにも強大で、あまりにも精緻で、大胆で、繊細で。ううん、きっとこれこそが「魔法」、これこそが真に魔法の名に値するもの。

 死神が遠ざかっていく姿が見えたような気がした。成す術も無く、それが悔しそうで。もちろんそれは幻覚に違いないけど。

 幻覚の中の死神が随分人間的に見えて、私は思わずクスッと笑い声を漏らした。血の味が喉に迫り上がってくるような事は全くなかった。

 

「深雪、大丈夫か!?」

 

 

 クリアになった視界いっぱいに心配そうな兄の顔。この人の顔に、こんな生の感情表現を見るのは初めてだった。

 

「お兄様……」

 

 

 その言葉は、何故かすんなり私の唇を通過した。噛む事も無ければ引っかかりを感じる事も無かった。

 

「良かった……っ!」

 

 

 私は動揺しても良かった。もっと慌てふためいても良かった。だってあの人が私の身体をきつく、しっかりと抱き締めているのだから。――でも私は、これが当たり前なのだと、お兄様の腕の中が私のいるべき場所なのだと、そんな図々しいかもしれない事を感じていた。

 だから私はお兄様が抱擁を解いた時、反射的にお兄様のジャケットの裾を掴んでしまった。お兄様は丸く見開かれた目で私を見返して、目を細めて私の頭をクシャッ、と撫でてくれた。

 

「あっ……」

 

 

 お兄様は少し決まりの悪げな笑みを浮かべ、照れくさそうに顔を逸らし――表情を引き締めた。無表情、と言っても感情が欠落しているそれではなく、精神を集中しきっているが故の無表情。その横顔は、何かを必死に思いだしているかのよう。その視線の先には、今にも命の灯火が消えそうになっているお母様と桜井さん。

 

「お兄様っ!」

 

 

 私の呼びかけには答えず――多分そんな余裕も無いくらいに精神を集中したまま、お兄様は左手でCADを抜いた。信じられないくらい大量のサイオンが、お兄様の体内で活性化しているのが分かる。膨大なデータを格納する事が可能なサイオン情報体の器が、お兄様によって組み立てられている。

 お兄様の人差し指がCADの引き金を引いた。お母様の身体がお兄様の左手に吸い込まれた――ように見えた。むろんそれは錯覚だ。

 何を如何やったのかは分からないが、何が起こったのかは分かる。自分がされた事だからこそ、正確に推測する事が出来る。

 お兄様はお母様の身体を構成する全ての情報を自分の魔法演算領域に複写して、それを加工した情報体でお母様の身体情報を上書きしたのだ。

 銃に撃たれた傷が消えた。服を濡らし床に飛び散った血の跡が消えた。前のめりに倒れたお母様の身体を、私は慌てて駆け寄り抱き起こした。

 少し苦しげな、だけども、確かな呼吸。

 

「(撃たれる前と同じ……いえ、これは……撃たれた事が無かった事になっている?)」

 

 

 お兄様は左手のCADを桜井さんに向けた。お母様の時とは比べ物にならないくらい、速やかでスムーズにサイオン情報体の準備が完了する。

 

「(明らかに慣れてきている……?)」

 

 

 たった三度の経験で、お兄様はこの他者の人体を完全復元するという超高等魔法を完成させつつある。畏怖に震えると同時に、私の心はそれを当り前の事と見做していた。

 

「(だって、この人は私のお兄様だもの!)」

 

 

 誇らしさで胸がいっぱいになった。何も知らなかった自分の愚かしさは、さっき流れた血と一緒に私の中から無くなっていた。流れた血はお兄様の力で元通りになったが、愚かしい考えは復元される事は無かったのだろう。

 

「達也君、これは……」

 

 

 桜井さんが「信じられない」という面持ちで自分の身体を見下ろしている。お母様はまだ意識が戻らないけど呼吸は安定している。これは気を失ってるのではなく眠っているだけだから心配はいらない、と駆け付けた軍医の方に言われて私は胸を撫で下ろした。

 そんな私の隣で頭を下げる風間大尉に対して、兄は頭を上げるように告げた。あの場面でお兄様がギリギリ駆け付ける事が出来たのは風間大尉と真田中尉のおかげだったらしいのだ。

 

「敵は大亜連合ですか?」

 

「確証は無いがおそらく間違いないだろう」

 

 

 お兄様が詳細な敵の情報を風間大尉から聞いている間、私と桜井さんは口を挟む事はしなかった。お母様が目を覚ましていても黙っていただくつもりだった。だってこれはお兄様だけに許された権利なのだから。

 

「では母と妹と桜井さんを安全な場所に保護してください。そしてアーマースーツと歩兵装備一式を貸して下さい。貸す、といっても消耗品はお返し出来ませんが」

 

「……何故だ?」

 

 

 大尉さんとは別の意味で、私もお兄様に訊きたい事がある。何故ご自身を保護対象に含めなかったのですか?

 私はお兄様の真意を知ろうとしてその双眸を覗き込んで息を呑んだ。お兄様の瞳の中で、激怒と言うのも生ぬるい、蒼白の業火が荒れ狂っていた。

 

「彼らは深雪を手に掛けました。その報いを受けさせなければなりません」

 

 

 その声を聞いた全員が血の気を失う中で、一人変わらぬ顔色を保っていた風間大尉はさすがに剛胆と言うべきなのだろう。

 その後で風間大尉はいくつかお兄様に確認と注意をして、最終的にはお兄様を戦列に加える事を承諾した。

 

「穂波さん、母と妹を頼みます」

 

 

 普段お兄様は「桜井さん」と呼んでいたはずだが、ここでは何故か「穂波さん」と呼んだ。兄が戦場に駆け出て行くのよりも、私はそっちに引っかかりを覚えたのだった。




今までの深雪は死に、新たなブラコン深雪としてよみがえりましたとさ……

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