劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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大切だと思えるもの

 お兄様が駆けだしてすぐ、桜井さんが私の顔を見て話しかけてきました。

 

「あの、よろしいのでしょうか?」

 

「何がでしょう?」

 

 

 どうも私の思考力は居眠り中なのか脱走中なのか、さっきから思うように働いてくれない。だから桜井さんが何を言いたいのかも理解出来なかった。

 

「いくら達也君の腕が立つといっても、戦争に行くなんて……それも、最前列に飛び込んで行くなんて危険過ぎはしないでしょうか」

 

「っ!」

 

 

 囁くような桜井さんの声は、耳元で大音量の目覚まし時計を鳴らされたように私には聞こえました。

 

「(そうよ! 何を私は平然と見送っているの? お兄様が戦争の真っ只中に飛び込んで行こうとしているのに!)」

 

「深雪さん!?」

 

 

 走り出した私の背中を、桜井さんの声が叩いた。追いかけて来たのは声だけ。桜井さんはお母様のガーディアンで、お母様を放っておくわけにはいかないから。

 

「(ごめんなさい)」

 

 

 私は心の中で彼女に謝った。お母様を任せきりにしてしまうのと、本心では桜井さんもお兄様を追いかけたいのだと分かっていたからだ。

 それでも今は、お兄様を止める為に私は全神経を使う。お兄様を戦争の真っ只中に行かせたくない一心で、私は足を動かした。

 幸いにして、お兄様はまだそんなに遠くには行っておらず、私は道に迷う事も無くお兄様に追いついた。

 

「お兄様!」

 

 

 もしかしたら振り向いてくれないかもしれない。そんな恐れが意識を過ったけども、それはいくらなんでも杞憂だった。お兄様は先行する真田中尉に何か小さく一声掛けて、足を止めて振り向いた。中尉さんは少し進んだところで立ち止っている。多分私たちに気を使ったのだろう。

 

「深雪、如何した?」

 

 

 当たり前の口調で、ごく自然に「深雪」と呼ばれた事に、何だかジーンとこみあげてくるものがあったけど、今はそれに浸ってる場合じゃない。

 

「お兄様、あの……」

 

「深雪?」

 

 

 頭の中でくだらない事を考えてしまい絶句してしまった私を、お兄様は訝しげに見ている。だってまるでラブロマンス映画にありがちな恋人を引き止めるヒロインみたいなセリフみたいなんだもの。しかも禁断の兄妹愛だ。

 多分私の頬は熟したリンゴのように真っ赤になっているだろう。

 

「……い、行かないでください。敵の軍隊と戦うなんて危ない事はしないでください。お兄様がそんな危険を冒す必要は無いと思います」

 

 

 それでも言わない訳にはいかないし、引き留めない訳にもいかなかったので私は言った。何処か「これで大丈夫」だという達成感に包まれた。

 お兄様が私の言葉に首を振るなんて――首を横に振るなんて私は微塵も思っていなかった。

 

「確かに必要は無い。俺は必要だから行くんじゃなくて、そうしたいから戦いに行くんだよ、深雪」

 

 

 だからお兄様のこの回答はショックだった。拒否された事もショックだったし、まるで人殺しを望んでいるみたいな言い方もショックだった。

 

「さっきも言った通り、俺はお前を傷つけられた報復に行くんだ。お前の為じゃなくて、自分の感情の為に。そうしなければ俺の気が済まないから。俺にとって、本当に大切だと思えるものは、今のところは深雪、お前だけだから。我が儘な兄貴でごめんな」

 

 

 私の手を包みこんで諭すように言うお兄様の瞳には、それでも私のために、と仰っているような感じがして、それは私の思い込みじゃ無かった。

 困惑の表情を浮かべたまま、お兄様が私に笑いかけてくれた。私は多分顔中が完熟トマトの様に真っ赤になっていただろう。

 でもすぐに、お兄様の言葉に違和感を覚えて眉を顰めた。

 

「大切だと、思える……?」

 

 

 無意識に口をついて出た、質問にもなっていない私の呟きに、お兄様は「参ったな」と言いたげな苦笑いを浮かべた。その表情は笑っていながら泣いているようだった。

 

「申し訳ありませんっ!」

 

「いや……お前もそろそろ知っておいて良い頃だ。知らずに済むなら、ずっと知らないままにしておいてやりたかったけど……お前が母さんの娘で、四葉真夜の姪である限りそう言う訳にもいかないんだろうな」

 

「お兄様?」

 

「今は時間が無いし、俺から話して聞かせるべき事でもないと思う。だから深雪、母さんから教えてもらいなさい。今、お前が疑問に思った事の答えを」

 

「お母様に……?」

 

 

 訝しさを覚える余裕も無く、ただ鸚鵡返しに訊ねる私に、お兄様は力強く微笑んでくれた。

 

「深雪、心配するな。俺が本当に大切だと思えているのはお前だけだ。だから俺はこれからもお前の事を守り続けるし、その為に無傷で帰ってくる。大丈夫、俺を本当の意味で傷つけられるものなど存在しない」

 

 

 お兄様の言葉に嘘は無い。その場限りの気休めは無い。笑みを収め引き締められたお顔の中の、揺ぎ無い眼差しに、これは紛れもない真実だと、お兄様を害する事が出来るものなど何処にも存在しないのだと信じられた。

 お兄様は私の頭をクシャクシャと撫で、今度こそ戦場へと向かわれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪さんを待っている間に奥様が意識を取り戻され、深雪さんがいない事を気になさりました。こんな時でも達也君の事は気にも留めないのか、と思ってしまった私は、おそらくガーディアン失格だろう。

 

「お待たせしてしまって申し訳ありません」

 

 

 深雪さんが戻ってきた時、私は同時に達也君も戻ってきたものだと思いました。

 

「深雪さんが謝る必要は無いわ。それで、達也は何処に?」

 

「あの……お兄様はそのまま戦場に向かわれてしまいました」

 

「お兄様?」

 

 

 深雪さんの達也君に対する呼び方に引っかかりを覚えたのか、奥様からはただならぬプレッシャーが放たれました。深雪さんもその事に気付いたのか、少し失敗したような表情を浮かべていました。

 

「護衛対象である深雪さんを放っておいてそんな勝手な事を……やっぱりあの子は欠陥品ね」

 

「「っ!」」

 

 

 奥様の呟いた、諦めではなく見切りの言葉に、私も深雪さんも背筋が凍る思いをした。突き放すようなセリフではなく、突き放したセリフ。とてもじゃないが母親が実の息子に向ける言葉ではなかった。

 

「まぁ今回はそれなりに働いてくれたようですし、それくらいの自由は認めてあげましょう。お待たせしました、ご案内よろしくお願いします」

 

 

 既に達也君から興味を失った奥様でしたが、とてもじゃないが今回の達也君の働きを「それなり」だとはいえなかった。

 だって、達也君がいなければ私たち三人は死んでいたのだから……




説明は後ほど…

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