劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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非常に分かりにくいですけどね


達也の狂気

 散々達也に甘えた後、彼が謁見室から退室したのを見計らって、真夜は葉山執事に話しかける。

 

「場所を変えます。サンルームにお茶の用意をして、深雪さんたちをご案内しなさい」

 

「畏まりました」

 

 

 葉山は一礼し、主と目を合わせぬまま使用済みのカップを手早く片付ける。そのまま真夜の指示を実行すべく、部屋を辞去しようとしたところで当の真夜が彼を呼びとめた。

 

「ちょっと待って。葉山さん、何か私に訊きたい事があるのではなくて?」

 

 

 主に視線を向けられ、葉山は恭しく一礼した。

 

「おそれ入ります。それではお言葉に甘えまして……」

 

 

 葉山は先代の四葉家当主に引き続いて真夜に仕えている四葉家中の重鎮。初老に見えるが、実年齢は七十歳を超えている。他の者がおそれ多いと言いだせないような事でも、彼ならば口にする事が許される、という雰囲気がこの屋敷にはあるのだ。

 

「達也殿をあのままにして、本当によろしいのですか?」

 

 

 また葉山は、他の者の様に達也の事を「贋作」と軽んじたりはしない。彼自身の魔法技能のレベルは大したものではないが、数多くの魔法師を見てきた経験が、達也に高い評価を与えているのだ。

 

「構わないわ。あぁ、葉山さんが何を懸念しているか、十分に理解しているつもりよ? 確かにあの子は、何時でも四葉を裏切るでしょうね」

 

「……おそれ入ります」

 

「それにさっきも言ったけど、私の魔法はあの子の異能に対して相性が悪い。本気で戦えば、高い確率で私が負ける。でも、たっくんが私を殺す可能性はそれほど高くないの。それに、たっくんは四葉を裏切る事は出来ても、深雪を裏切る事は出来ないわ。そして深雪が四葉に敵対する事は決して無い」

 

「しかし、深雪様は達也殿に深く依存されているご様子。達也殿が当家に反旗を翻した時、その意に反するとは思えませぬが」

 

 

 眉間に深い憂慮を刻み、主の言葉に反論する葉山。しかし真夜がそれに動じた様子は全くなかった。

 

「大丈夫よ。洗脳なんてしなくても、人の精神の方向性を決定付けるのはそんなに難しい事じゃないの。それくらい、葉山さんには説明するまでもないでしょう? 深雪は己に課せられた責任から決して逃れられない。姉さんにそのように育てられたから。そしてたっくんには、深雪を苦しめるような真似は絶対に出来ないもの」

 

「……しかし、その為には」

 

「ええ。他の候補の子たちには悪いけど、次の当主は深雪で決まりね。四葉家内にたっくんの居場所を作る為にも」

 

「その為には、深雪様に何としても当主の座を受けていただかなければなりませんな」

 

「心配無用よ、葉山さん。その為の策も、ちゃんと考えてあるから。ちょっと複雑だけどね」

 

 

 真夜はそう言って、余裕タップリに微笑んだ。葉山は深く、最上級の敬意を以て一礼し、今度こそ応接室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風間の指揮する恩納空挺部隊に同行した達也は、侵攻軍を水際まで追いつめていた。普通なら「達也が同行した恩納空挺部隊は」と表現すべきかもしれない。

 だが、わずか一個小隊の歩兵集団の先頭に立つ、フルフェイスのヘルメットとアーマースーツに全身を隠した小柄な魔法師が侵攻軍を潰走させているのは、この場にいる、敵の目にも味方の目にも明らかだった。

 それは戦闘と表現するには一方的に過ぎる殺戮。しかし同時に虐殺と呼ぶには惨たらしさが欠如している。

 

 血が流れない。肉が、飛び散らない。血肉を焼く臭いすら、五体を引き千切る爆音すら存在しない。戦場は奇妙な静寂に支配されている。

 

 

 侵攻軍の放つ銃弾が、手榴弾が、携行ミサイルが、防衛軍の戦列に届く前に空中に溶けて失せる。同じ規格を持つ弾が、爆弾が、ミサイルが集合体として消えていく。

 なおも踏み止まり、狂ったように引き金を引いていた侵攻軍の兵士が、一人、また一人と次々にぼやけ、歪み、消え失せる。

 達也の背後に続く防衛軍の兵士は、今や引き金を引く事も忘れて、現実感に乏しいその光景に見入っていた。同僚が次々と消え去っているにも関わらず、現実感を持てずにいるのは侵攻軍の兵士も一緒だった。流血、惨死体によって引き起こされるはずの本能的な恐怖が刺激されないから、侵攻軍は得体の知れない不安に蝕まれながら中々投降しようとしない。

 それは、達也にとっても望むところだった。

 侵攻軍にハイレベルの魔法師が従軍していれば、ここまで一方的な展開にはならなかっただろう。むざむざ進行を許した日本側だけではなく、まんまと奇襲を成功させたかに見えた侵攻軍の側にも、この点、油断があったと言える。

 だからと言って、達也が手心を加える理由にはならない。彼の精神は現在、一種の狂乱状態にある。破壊と殺戮に対して、一種の箍が外れている。殺人に対して、まるで禁忌を覚えていない。歩くように、壊し、殺す。否、消し去る。

 彼は動揺を知らない訳ではなかった。当然だが、如何なる衝撃にも揺さぶられない不動心には程遠い。妹が殺されかけた光景を見て、彼は深いショックを受けていた。

 さすがの達也も、死者を蘇らせる事は出来ないからだ。かろうじて間に合い、再成する事が出来たが、もし間に合わなかったら……その恐怖は彼をパニックに陥れるに十分なものだった。

 自分自身の死を含めて、他の事であるならば「真の恐怖」という感情を持ち合わせない――正しくは奪い取られている――達也にとって、深雪を失うという恐怖は、他の恐怖を知らないが故に余計、彼の心を強く、深く、大きく揺さぶった。どんなに落ち着いて見えても、彼は今その反動により激昂していた。

 他の感情が機能しないが故に、冷静に、効率的に、一切の躊躇いを捨てて報復を行う。それはいわば、理性的な狂乱。唯一つの目的にコントロールされた狂気。

 相手が降伏しない事で、彼の狂気は貪欲に敵の命を呑み込んでいたのだった。




純粋な狂気って怖いでしょうね……

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