週末の夕食後、達也はリビングのソファに座って壁面の大型スクリーンを眺めていた。三分割されたスクリーンのメインセクションには成層圏監視カメラが映し出した東京都心部のリアルタイム映像とその上を移動する三種類の光点、サブセクションの上半分にはメインセクションに対応する道路地図とその上を動く光点、下半分にはテキストデータが三十秒間隔でスクロール表示されている。
成層圏プラットホームの監視カメラが使えるのは真田のおかげで、七草家・十文字家連合のトレーサーシグナルをモニター出来るのは、認識コードを真由美から聞き出しておいたからではなく、稀代のハッカー・藤林響子の仕事である。
「真由美さんも大変そうね」
「そうですね。それよりもスターズは吸血鬼を探知する、我々より優れた技術を持ってるようですね」
右側には深雪がしなだれかかっているのだが、反対側である左側には、モニターを操作する響子の姿がある。接触の許可をもらってすぐに響子が司波家を訪れたのは偶然であって深い意味は無い。達也がハッキングを頼んだので響子がこの家に来たのだが、達也としてはハッキングした映像を送ってくれればそれで良かったのだが……
「残念だけど全てが最先端って訳じゃないものね」
「そんな事は当たり前ですが、この技術は欲しかったですけどね」
達也はスターズのシステムを覗き見して小さくため息を吐き、余計な想念を断ち切り背もたれから身体を起こした。
「お兄様、行かれるのですか?」
「良い子だから、大人しく待っててくれ」
立ちあがった達也を切なげな眼差しで見上げ、訊ねた深雪の頬を、達也の掌が優しく撫でる。その手の甲に自分の手を重ねて、深雪は兄の掌を自分の頬に強く押し付けた。まるで達也の体温を確かめるように。
「今日はお帰りをお待ちしております」
「ああ。近いうちに、間違いなくお前の力が必要になる。その時は――」
「はい。その時は一緒に。約束ですよ、お兄様」
「……まぁ横浜の時ほど危険な事にはならないと思うけどな。少尉もありがとうございました」
深雪に少しおどけた態度でそう言い、響子にお礼を言いながら深雪の頬から手を離し出かける準備を始める達也。その背中を切なげに見詰める深雪と、お礼がついでのような感じだった事が不満のような視線を向ける響子。その二つの視線に気が付きながらも、達也はその二つの視線を無視し準備を続ける。一度とりあえばそれだけ出かけるのに時間がかかってしまうと分かっているから……
達也が出かけてから暫く、響子はハッキングしたモニターを完全にシャットダウンした。並みの人間では彼女のハッキングの痕跡を見つけ出す事は出来ないが、念には念を入れての証拠隠滅も施した。この状況でハッキングの痕跡を見つけ出せる人間は、彼女の知る限り存在しない。
「では深雪さん。私もそろそろ帰りますね」
「はい。今日はありがとうございました」
「いえ、達也君のお願いだもの。それに、ちょうど仕事も無かったからね」
「ですが、お兄様が仰られていたように、ハッキングして手に入れた映像をこちらに送ってくださるだけで良かったんですよ?」
深雪は響子が達也に同僚以上の感情を抱いている事を知っている。また響子は深雪が達也に対して――兄に対して抱くべきではない感情を抱いている事を知っている。
だからではないが、達也を間に挟まないで会話すると、このように微妙にピリピリしたような空気が流れるのだ。互いが互いを牽制しあう、そのような空気が……
「何時より高度なハッキングが必要になるか分からないでしょ? だからハッキングした映像を送るよりも、この家でハッキングした方が効率が良かったのよ。結果必要無かったとしても、それはあくまでも結果だからね」
「藤林さんはお兄様に会いたかっただけなのではありませんか? 随分と密着していたようにお見受けしましたが」
「あら、それは深雪さんだって同じでしたよね? 年頃の妹が歳の近い兄にあそこまで密着するのは、ちょっと異常だと思いますけど」
「藤林さんだってご存知ですよね? 私が兄の能力のおかげでこの世界に存在出来ている事を。兄が私をこの世界に蘇らせた事を」
「それを差し引いたとしても、深雪さんの達也君に対する気持ちは普通じゃないと思いますけど? お友達も達也君の事を想ってるようですけど、そのお友達に対してまで嫉妬するんですから」
互いに一歩も引かない展開。この場にストッパーが存在しないのをいいことに、お互いがお互いに言いたい事を言い合っているのだ。
「貴女は達也君に守られてるかもしれないけど、達也君と一緒に戦場に立った回数は多くないでしょ? それこそ、この前の横浜が初めてじゃなくて?」
「回数なんて関係ありません。お兄様とどれだけ『近しい』かです。私には誰にも負けない絆がお兄様との間に存在しますので」
「絆じゃなくて契約でしょ? 物は言い様ね」
深雪個人の判断で解放した達也の力は、再び四葉家の魔法師を介して封印された。それが深雪の言う『絆』であり、響子の言う『契約』だ。
「おーい、深雪くん。さっきからドアホンを鳴らしても反応無かったから勝手に上がらせてもらったよ」
「先生!? すみません、少し盛り上がってしまいまして……」
「いやいや、これほど美しいお嬢様方に想われて、達也君は羨ましいね」
「ご無沙汰しております、九重八雲和尚」
「そうだね。お久しぶりだね、藤林のご令嬢」
「深雪くん。達也君の後を追うから着替えておいで」
「分かりました」
達也から事前に聞かされていた八雲とは違い、深雪は一瞬兄の言いつけを破る事に抵抗を覚えた。だが折角の機会をフイにするのはもったいないと考え、八雲の言うとおり着替える事にした。
「それでは藤林さん、またお会いする日まで」
「ええ。ごきげんよう、深雪さん」
「やれやれ……達也君がいなくて良かったね、二人とも。もし達也君がいたら呆れられてただろうしね」
八雲の零した言葉に、深雪と響子は揃って安堵した表情を浮かべた。達也に見られた時の事を想像して、それが現実で無かった事に安堵したのだ。
相変わらずモテモテだな……