リーナを乗せたセダンは、何処かの河川敷で停車した。何処か、というのはリーナに土地勘が無いからで、走った時間から考えれば都内かその隣接県の何処かだ。
セダンがヘッドライトを消し、後続のバイクもライトを消すと、真っ暗と言っていいステージが出現した。CADは取り上げられてないが、発信機と通信端末は彼女の手元に無い。ボディチェックもされて無いのに所持品の全てを言い当てられて大人しく引き渡す以外に無かったのだ。
後で返すとは言われているが、今現在彼女には自分の居場所を友軍に知らせる手段が無い。監視衛星が自分の居場所をフォローしているはずだが、彼女をこの場に運んできたのは幻影魔法に定評がある「忍術使い」のチームだ。軍事用監視衛星の高解像度カメラを欺く事も可能かもしれない。
「(もしかしたらワタシはこのまま何処とも知れない場所に監禁されるんじゃ……最悪暗殺されるかも)」
リーナは懐のCADを服の上からギュッと握った。
「(もしもの時は切り札を使ってでも……)」
「何を考えているのか大体見当はつくけど、約束は守るから安心してくれ」
声を上げないのがリーナの精一杯だった。急に話しかけられて、ビクッと身体が震えるのは抑えられなかった。彼女が振り向いた先では、星明かりでも何とか表情の判別が付く距離まで近づいていた達也が声を出さずに笑っていた。リーナにしてみればとても癪に障る笑顔だった。
「事情を聞かせてもらうだけだ。訊きたい事を聞いたら駅まで送ってくよ」
「話してあげるのはワタシに勝てたらよ」
「無論だ。それも含めて、約束は守る」
自然とリーナの声が尖ったが、達也の表情に変化は見られない。小揺るぎもしない鉄面皮にますます苛立ちが募ったが、ここで逆上しても自分の立場が悪くなるだけだとリーナにも分かっている。グッと奥歯を噛み締めて、鋭い視線を達也の背後――深雪へ向けた。闘志のみなぎる瞳が、リーナを見返している。深雪も既にヤル気満々だった。
「さてと……リーナには不満かもしれんが、審判は師匠に務めてもらう。審判といっても勝ち負けの判定をするだけで、勝負を仕切ったり途中で手出しはしないけどね」
「ここにいるのは敵ばかりだと最初から分かってるから、不満なんて無いわ」
「潔くて結構だ」
彼女の憎まれ口を、達也はサラッと流した。
「じゃあ、不肖ながらこの九重八雲が審判役を務めさせてもらうよ。勝敗の条件は、どちらかが降参するか、戦闘不能になる事。殺すのは無しだよ。遺恨を残してしまうからね」
「分かりました。それで十分です」
「その前に終わらせるわ」
静かに頷く深雪と、威勢良く了承の意を示すリーナ。その態度は対照的ながらも、自分の勝ちを疑って無い点は共通していた。まさに一発触発。
「最後に、こちらが危険だと判断した場合のみ、達也君が強制的に試合を止めるからね。その場合はお互いの出した条件の半分程度を有効とし、それ以上は踏み込まないようにする事になるから」
「タツヤが?」
達也の魔法を間近で見た事のあるリーナですら、達也の介入の意図が掴めなかった。だが深雪にはその意図が完全に分かっており、達也を危険な目に遭わせないように戦おうと決心したのだった。
「では、始めようか」
「師匠、少し待って下さい」
一発触発の空気の中、あえてそこに水を指す空気の読めない男がいた。八雲とリーナから向けられる白けた眼差しを完全に無視して、達也は妹の許へ歩み寄る。深雪の正面、二歩の位置に来てまだ足を止めない。
「あの、お兄様?」
兄の意図が読めず戸惑う深雪に答えを返さず、正面、あと一歩でも依然として足を止めない。そして達也は手を伸ばせば深雪を抱き寄せられる至近距離で足を止めて――深雪を抱き寄せた。
「あああのあのあの」
腰に深く手を回され、赤面を通り越してパニックに陥る深雪。さっきまで自分の方から抱きついていたくせに、というのは多分第三者の感想で、本人にとっては自分から抱きつくのと突然抱きつかれるのとでは全くの別物なのだろう。
達也のもう一方の手が、深雪の頭の後ろに添えられた。最早深雪は声を出す事も出来ない。妹の髪に指を潜り込ませ、抵抗を忘れた顔を口元に寄せて、達也は深雪の額にキスをした。
彼が抱擁を解くと、目を見開いた深雪の顔が現れた。そこに恥じらいは無く、ただ驚きだけがあった。
「これは……どうして……」
「この前みせてもらって、不完全ながらやり方を覚えた。一時的な効果しかないが、制御力を返す。思う存分やりなさい」
「……はい!」
達也の言葉に深雪は浮ついたところのまるで無い、力強い笑みで頷いた。
「お待たせしました、師匠」
「僕には事情が分かるけど、彼女には今の行為は分からないんじゃないのかい?」
声を掛けた八雲の隣では、リーナが目を白黒させながら深雪の額を指して口をパクパクさせている。
「タツヤ……貴方、今何をしたの? 何でミユキの額にキスなんて……」
「あまり深く気にする必要は無い。そうだな……おまじない、とでも思ってくれ」
まさか自分たちの関係――四葉家との関係をリーナに話す事は出来ないので、達也はテキトーな理由をでっちあげてリーナに言う。
「おまじない……」
信じたのかどうかは微妙だが、リーナは何か考え込むように唸りだした。
「それにしても達也君、何時の間に出来るようになったんだい?」
「あくまでも一時的です。本格的には出来ませんので」
自分の世界に入り込んでしまってるリーナを尻目に、八雲は楽しそうに達也に問うた。一方の達也は特に面白みの無い返事をしたのだった。
「……タツヤ!」
「何だ?」
結論が出たのか、リーナがいきなり大声で達也の名前を呼んだ。呼ばれた達也の方には驚きなどは一切なく、ごく自然に返事をしたのだった。
「あのおまじない、ミユキにだけするのはフェアではありません。ワタシにもしてください!」
「……は?」
「ですから! ワタシの事も抱きしめ、抱き寄せて額にキスをしなさい、と言ってるのです!」
達也は視線を深雪に向け、彼女が「仕方ないですね」と目で言っているのを確認して、深雪にしたようにリーナを抱き寄せて額にキスをしたのだった。
当然ながら、深雪のように達也にキスされたからと言って魔法力が高まる訳は無い。だが、リーナの表情はさっきにもまして引き締まっていたのだった。
事情が分からないリーナには、それで納得してしまうのでしょうか……