アメリカ西海岸は現在一月二十八日土曜日の宵の口。雫は下宿先で開かれているホームパーティの会場にいた。
「ティア!」
「レイ」
喧騒の中、背後から呼びかける声に雫は振り向いた。大袈裟なアクションで手を振る男性(というより男の子)の姿を認めて、雫は小さく手を挙げた。
彼の名はレイモンド・S・クラーク。留学先の男子生徒の中で、雫に最初に声を掛けた人物であり、以来ずっと何かにつけて雫の側に寄ってくる白人の同級生だ。
「素敵なドレスだね、ティア。何時もよりもっとチャーミングだ」
「そう?」
満面の笑顔で臆面の無いセリフを吐いたレイに対して、雫は無愛想に、ではなく素で不思議そうに小首を傾げた。店員が勧めるままに買ってみたものの、自分のドレスの何処が良いのかいまいちピンと来てないのだ。
「レイも似合ってるよ」
褒められた礼儀として社交辞令を返してみる。レイモンドのタキシードスタイルは彼女の感覚からすれば古臭かったものの、彼の貴公子然としたルックスには似合ってはいたので、お世辞を口にする事に抵抗は無かった。
「ありがとう! ティアにそう言ってもらえるなんて光栄だよ」
大袈裟に喜んで見せるレイモンドを見て、雫は彼が同い年にも拘わらず、随分と幼く見えていた。
「(……ううん、レイが幼いんじゃなくて、達也さんが大人っぽいんだ。日本でも同級生の他の男子が幼く見えたのは、達也さんが私の中で基準になっちゃってるからだったんだ)」
同い年の異性の基準が達也では、大抵の男子は幼く見えてしまうだろう。その事に気が付き雫は改めてレイモンドに目を向けた。
「一人?」
「ティア以外の女性をエスコートするつもりはないよ」
「女の子の事じゃないよ」
「えっ? ええと、そうだね……一人と言えば一人かな? えっと……ティア、この前頼まれた件なんだけど」
「レイ、場所を変えよう」
旗色の悪さを感じ取ったレイモンドはあからさまな話題転換を図った。それは雫にとっても望むところだったが、彼女が思うにこんな場所でする話では無かった。強い口調で名前を呼ばれ、口を噤んだレイモンドは、雫の提案にコクコクと頷いた。
ホームパーティといっても、そこは北山家が令嬢のステイ先に選ぶ家の事。そんじょそこらのホテルを使ったパーティより、余程豪華なものだった。庭も解放されていたが、さすがにこの時期、庭に出ている人影は疎らだった。
雫はドレスの上に毛織りのストールを羽織って冬の星空の下へ歩み出した。ハンドバッグの中に入れたままでCADを操作して、自分の周りに暖気のフィールドを作りだした。ついでにレイもその効力範囲に入れる。暖気のフィールドは音を遮断する効果も有していた。
「ありがとう、ティア。……魔法というのはこんなにも便利なものだったんだね」
「この程度は珍しくないはず」
「ティアはこの国に来たばかりで気づいて無いかもしれないけど、僕たちにとっての魔法は、こんな風に役に立つものじゃないよ。日常的に魔法を応用する場面なんて、この国では殆ど目にしない。魔法は力を誇示する為のものであり、知識を誇示する為のものであり、地位を誇示する為のものなんだ」
「出し惜しみする、って事?」
「ハハハハ……まぁそうだね」
雫の率直な感想に、レイモンドは腰を折って笑った。ただその笑いは、少しばかり屈折したものだった。
「ステイツの魔法研究は、軍事利用を除けば、基礎研究ばかりが重視される。民生利用とか日常生活への応用とかは、下等な事と見做されてるんだ。大金が稼げる、と分かればその限りじゃないけど。そんなだから……いや、ゴメン。こんな話じゃ無かったね。じゃあ本題だ」
顔を上げたレイモンドの表情は、別人のように鋭く引き締まっていた。
「まず『吸血鬼』が発生してるのは、事実だったよ」
ほのかに話した「情報通の生徒」、達也に約束した情報源。それがこのレイモンドだった。
「原因は不明だけど、無関係とは思えない情報が手に入った」
「話して」
「もちろん。高度に情報封鎖されている事だけど、十一月にダラスで、余剰次元理論に基づくマイクロブラックホール生成・蒸発実験が行われた」
「余剰次元理論?」
「ゴメン、詳しい事は僕にも理解出来ない」
「(達也さんに訊けば詳しい事が分かるかな?)ううん、それで?」
「実験の詳細については不明だけど、その実験の直後から『吸血鬼』の発生が観測されている」
雫は五秒ほど考え込んで、口を開いた。
「その実験と吸血鬼の発生には因果関係があると、レイは考えてるんだね?」
「さっき、原因不明と言ったけど、僕はこのブラックホール実験が吸血鬼を呼び出したと確信している」
「……そう、ありがとう」
「どういたしまして。他ならぬティアの頼みだからね。僕でお役にたてる事があれば何時でも相談してよ」
雫にとってレイモンドの情報収集の手段や、個人の力なのか、それとも組織の力であるのかは重要ではない。重要なのは彼の情報が信用できると言う事だった。
一方でレイモンドのアプローチは、第三者から見れば露骨なものだったのだが、雫本人はと言えば「物珍しいのは今の内」くらいにしか考えていなかった。
この鈍さが先天的なものか、最近の友人関係で伝染したものか、それは誰にも分からない。
「じゃあ、私はこれで」
「あれ? まだパーティは続いてるし、ティアが主賓だよね? そのティアが帰ったら色々とマズイんじゃないかな?」
「だって、お酒を勧められる」
「別に少しくらいなら大丈夫じゃないかな? それに、ティアが酔っ払う姿は少し見てみたいような気もするしね」
レイモンドの冗談ともとれる言葉に、雫は本気で困った顔をした。確かに自分が主賓なのだから、途中で抜ける訳にもいかないのだが、未成年という事もあり飲酒はあまり褒められた事ではないのも事実なのだ。
そしてなにより、一刻も早く達也に今の情報を伝えたいのだ。だが雫は主催者に見つかり、そのまま勧められるがままに色々なものを呑み食いしたのだった。
好意剥き出しだけど、雫には達也が……