表の仕事で横浜に出張していた黒羽貢は、ホテルの部屋に掛ってきた電話の呼び出し音に首を捻った。彼がここに宿を取るということは仕事相手には伝えて無い。ワイヤレスで何時でも連絡をとれるのだから、ホテルまで教える必要は無いのである。裏の仕事関係なら、ホテルのフロントを通す理由など尚更無い。だが居留守を使う必要も感じなかったので、音声のみの電話に、念のためにこちらの名を名乗らずに出る事にした。
「はい、もしもし」
『貢さん、今よろしいかしら』
受話器から流れ出た声を聞いた途端、貢の背筋は意識せず緊張でピンと伸びた。
「真夜さんですか……ええ、構いませんとも」
四葉の当主を前にして声に緊張が表れない自制心はさすがに四葉の情報網を取り仕切っている分家当主と言うべきか。真夜は貢にとって従姉に当たる。彼の母親は先々代四葉家当主の妹である、彼の息子は次期四葉家当主候補。厳密な意味で四葉に直系という概念は無いが、一般的な基準で言えば、貢は四葉の「直系」に極めて近い。だが血の繋がりが濃いからこそ、貢は真夜の恐ろしさをよく知っていた。
「お急ぎのご用なのでしょう? どうぞご遠慮なく、何なりとお申し付けください」
『ねぇ貢さん……その芝居がかった言い方、何とかなりませんの?』
「おお、麗しの従姉殿。芝居などとは心外ですな。私は常に大真面目ですぞ」
電話越しに疲れたようなため息が聞こえたが、それ以上真夜が余計な事を言ってくる事は無かった。
『本題に入りましょうか……貢さん、パラサイトの宿主特定は終わりましたか?』
貢は自分の顔が引き締まったのを自覚した。表でも裏でもない、本来の仕事。黒羽本来の役割。それを貢は弁えている。故に手抜きなど無く、答えられないということも無い。
「総勢十二体。四体は米軍の手で処理され、一体は昨日深雪ちゃんと達也君が処理しましたので、残りは七体ですな。所在も含めて特定済みです」
『相変わらず仕事が速いこと。さすがですね、貢さん』
「いやぁ、今回は七草と千葉が頑張って注意を引いてくれてましたから。あぶり出しの手間が省けました」
『ご謙遜ですわね』
今度は貢も否定しなかった。前のセリフは真夜の言うとおり謙遜でしかないからだ。
『実は今朝、ご依頼主様から催促をいただきましたの。これ以上、東京を汚らわしい魔物の好きにさせるな、と』
「これは手厳しい。本来東京は我ら四葉の管轄ではないはずですが」
貢が顔を顰めたのは演技ではなかった。今言った理由で、東京で手駒を動かす際は色々神経を使わなければならないのだ。
『あちら様も別口で急かされているのでしょうけどね。まぁ、そういう事情ですので、ここらで一先ずけりをつけてくださいな』
「けり、と仰いますと?」
『宿主を全て消してください』
真夜の声は至極あっさりしたものだった。感情を押し殺してもいないし冷酷な響きも無い。
「捕縛では、ありませんので?」
『ええ、抹殺です』
「しかし現在の宿主が死ぬと、パラサイトは他の宿主を求めて飛び去ってしまうようですが。新たな宿主を突き止めるには些か時間が……」
『構いません。死亡した宿主からパラサイトがどのように抜け出すのか。情報体の状態でどの程度の距離を移動できるのか。新たな宿主と一体化するのにどの程度の時間が必要で、活動再開は如何ほどの時間が経過した後なのか』
「それを観察して報告せよと?」
『多分、貴重なデータになりますから。出来ますね?』
貢は受話器を持ったまま、音声のみの通話であるにも拘わらず、深々と腰を折った。
「仰せのままに」
『消去が終わったら一旦そこで報告してください』
「明後日までお時間を頂戴致したく」
『それで結構です。では、お願いしますね』
貢が再び命令を受諾した旨を伝え、電話は切れた。達也が実は宿主を殺していない事は、貢には知らされていないのだった。
達也は今、新しい技術を求めている。情報体が作用している実体を手掛かりに情報体を狙い撃つのではなく、情報の次元において情報体を狙い撃つ技。情報の海を漂うパラサイトの本体を、直接攻撃する手立て。
物理次元では複数の物質が同時に、同一座標に存在する事は出来ない。だが、情報にそんな制約は無い。情報次元に存在する情報体に、物理的なアロケーションの制限は無い。孤立情報体と重なった「座標」で圧縮状態から解放された達也の想子は、孤立情報体に何の影響も与えず拡散して消えた。
「クッ……」
奥歯をグッと噛み締めて口惜しさを表す達也を心配そうな表情で見詰める深雪の隣から、的作りに協力していた八雲がいつもと変わらぬ飄々とした口調で話しかけた。
「さすがの君も苦戦しているねぇ。まぁ、出来ない人にはどんなに努力しても出来ない類の技だからね、これは」
突き放した言い方に、深雪がキッと殺気のこもった目を向ける。表情を変えなかったのはさすが八雲というべきなのだろうが、こめかみ辺りに冷や汗らしきものが浮いているようにも見えた。
「三日で理の世界に遠当てを放てるようになったんだから、適性が全く無いということでもないと思うんだよね」
「師匠、次をお願いします」
取り繕うように慌ててそう続けた八雲だったが、達也が修行の続きをリクエストしたので、深雪の意識は八雲から逸れたのだった。
「まぁ、適性の有無は結果でしか分からないところがあるからね。今日まるで出来なかった事が、明日になると突然出来るようになったりするのも術法というものだから。もっとも、『何時か』を待ってられない状況であるのも、また事実。君の場合は何処を狙えば良いのかは分かってるわけだから、遠当てとは別の攻撃手段を編み出すのも一つの手だと思うよ」
それを聞いて、失礼だとは知りつつも達也は苦笑いを漏らしてしまった。
「そんなにホイホイと新しい魔法を開発出来るものじゃありませんよ。行き詰ってるのは認めますが、それにしたって買い被り過ぎです」
「そうかな? 君は確かにある一面では非才だけど、術式の改良や開発に掛けては非凡な才能を持っているじゃないか。自分から可能性を狭めてしまうのは得策じゃないと思うけどねぇ」
「そうですよ、お兄様! お兄様ならば必ずや、余人には考えも及ばない素晴らしいアイデアを実現する事が可能です」
なおも乗り気ではない達也を、今度は深雪が激励した。いや、激励を通り越して断言していた。深雪の言葉は推測の形すら取っていなかったのだ。
「僭越ながら、どちらも諦めてしまわれる必要は無いかと存じます。術式解体による直接攻撃を第一の対策としつつ、新たな魔法の開発を並行して進めればよろしいのではないでしょうか」
深雪の発言に、達也は答える事が出来なかった。これを言ったのが深雪では無ければ、一蹴しただろうが、深雪の期待、と言うも愚かな信頼しきった眼差しを前にして、達也は否定の回答を返す事は不可能なのだ。
そんな達也の隣では、八雲が可笑しそうに腹を抱えて笑っていたのだった。
この魔法が使われるのはダブル・セブン編なんですよね……