パラサイトという脅威に対する再戦へ向けて動き出した西暦二〇九六年二月の上旬、凶報が太平洋の向こう側から舞い込んだ。
「お兄様、これは……!」
達也たち兄妹は、それを朝食時テレビのニュースで知った。まるで日本が朝になるのを待っていたかのようなタイミングで発信されたそのニュースは、達也を絶句させるに余りある衝撃的なものだった。
「……雫が教えてくれたお話と、同じですよね?」
「……随分と脚色されているみたいだけどな」
漸く声を出せるようになった達也は、苦々しい声で答えた。ニュースの中身は、とある政府関係者による匿名の内部告発の形式をとっていた。
その内容を聞いて、達也は怖いくらいの無表情になった。
「お兄様?」
「巧くオブラートに包んではいるが……」
「では、やはり?」
「魔法排斥運動が本音だろうね」
強張った表情の深雪に答える達也の声は、憂慮しているというよりむしろ呆れ気味のものだった。
「根っ子は『人間主義』と同じか……魔法師で無い者の方が圧倒的に多いのだから、メディアがどっちにつくかなんて考えるまでもないか。それよりも問題はニュースソースだ」
達也は電話機のコンソールに手を伸ばしかけて、その動作を中断した。誰に電話を掛けるつもりだったのか……いくつもの候補先の中から深雪の脳裏には何故か、味方とは言えない相手の顔が浮かんでいた。
突如降って湧いた爆弾ニュースに、リーナは比喩ではなく頭を痛めていた、気のせいではなく頭痛がするのだ。学校に行ってる場合じゃない、というのが彼女の率直な思いだったが、だからといって百パーセント実戦要員である彼女がこの事態の鎮静化には何の役にも立たないし、彼女に「何時も通り」を命じたのはバランス大佐だ。
上官直々の命令では、サボタージュを決め込む事も出来ない。リーナはズキズキと痛む頭を抑えて「第一高校前」駅の改札を出た。後は校門まで一本道、なのだが。
「おはよう、リーナ」
突如目の前に立ち塞がった人影に、リーナは頭痛を忘れて踵を返し脱兎の如く逃げ出した。
「人の顔を見ていきなり逃げ出すってのは、どういう了見なんだ?」
「ア、アハハハ……」
リーナの逃走はわずか三歩で失敗に終わった、改札口に予め深雪が回り込んでいたからだ。にっこりと笑うクラスメイトの笑顔に進退窮まったリーナは、この場を笑って誤魔化す事にしたようだ。
「まあ良い。いや、本当は良くないが、無駄話で時間を潰して遅刻する必要も無いしな。訊きたい事がある。歩きながら話そう」
「……何の話?」
警戒心を露わにして、それでも大人しくついてくるのは、彼女が断罪するはずだった相手を達也が助けた事が大きかっただろう。それと、ほんの僅かだが、恋心も関係してるのだろうが、達也は特に気にせず本題に入った。
「今朝のニュースは見た?」
「……見た。不本意だけど」
「あれは何処まで本当なんだ?」
「肝心なところは全部、嘘っぱちよ!」
さすがに声量は抑えているが、声の調子はそれはもう激しいものだった。
「表面的な事実は押さえてあるから余計にタチが悪い! 情報操作の典型だわ!」
「やはり世論操作か」
納得、という達也の表情が理解出来ず、リーナは首を傾げた。
「なに、やはりって? 世論操作?」
「いや、単なる推測だ。それで、表面的な事実関係は正しいんだな?」
「……そうよ!」
指摘されたくない事をズバッと指摘されて、リーナは数秒前の疑念を忘れ、不本意丸出しで吐き捨てた。
「しかしあの内容なら当然機密扱いになっていたはずだ。外部の人間が調べ上げるのは難しいと思うが」
「………『七賢人』よ、多分」
「七賢人? ギリシャ七賢人とは無関係だよな?」
「The Seven Sages って名乗ってる組織があるの。正体不明だけど」
「君たちに正体が分からない? USNA国内の組織なんだろ? そんな事がありえるのか?」
「あるのよっ! 口惜しい事に!」
リーナの表情は本当に口惜しそうなものだった。
「その七賢人だが、人間主義者と繋がってる可能性はないのか」
達也の指摘を歩きながら少し考えて、リーナは頭を振った。
「百パーセントの否定は出来ないけど、多分それは無い。過去の例で判断する限り、七賢人はイデオロギーや狂信とは無縁の組織よ」
「狂信は兎も角、イデオロギーと無縁の組織なんてあり得るのか?」
「……言い方が悪かったわね。彼らには、普通の言われているイデオロギーは無いわ。ウチのプロファイラーによると、彼らは刹那的で愉快犯的なメンタリティの持ち主だそうよ。一つにイデオロギーに執念を燃やし続けるという在り方は、彼らのイメージにそぐわない。何より七賢人はワタシたちに協力してくれた事もある。随分と一方的な協力の仕方だったらしいけど。七賢人の名前はその時に知ったのよ」
「なるほど」
達也は頷きながら、七賢人のイメージは人間主義者のイメージとは違うと考えていた。
「最後にもう一つだけ訊かせてくれ」
校門までは些かの距離が残っていたが、達也は質問の切り上げを宣言した。
「……なに」
今まで以上の真剣な声に、リーナの返答にも警戒感がみなぎる。
「パラサイトをこの世界に招いたのは意図した結果か?」
「いいえ」
達也の質問にリーナはきっぱりと否定を返した。
「本気で言ってるなら怒るわよ、タツヤ。ワタシは既に三人の『感染者』を処断しているのよ。これが誰かの企んだ結果だというなら、ワタシはソイツを許さない」
「そうか、悪かったな」
訊きたい事が訊けたので、達也はそれ以上リーナに質問する事は無かった。
「じゃあこっちからも一つだけ訊きたいんだけど」
「なんだ」
自分が質問をした手前、リーナの質問を拒否する事は出来ないだろうと判断して、達也は短くそう答えた。
「どうやってミアを助けたの? あれは自爆だったように見えたのだけど」
「悪いが答えられない」
「タツヤっ!」
「君にも知られたくない事があるように、俺にだってそれはあるんだ」
「……何よそれ」
リーナは既に達也に色々と知られている。本人は隠していたつもりだった時から、達也にはリーナの正体を知られていたのだ。
「どうやって、は答えられないけど、何故なら答えてやれる」
「じゃあ何故?」
「目の前で知人に死なれるのは、結構堪えるものだからな」
「なに、それ」
「自分で『処分』するのと、相手に『死なれる』のとでは、精神的に負うダメージが違うって事だ」
リーナには意味が分からなかったが、深雪には達也が誰の事を言っているのか理解出来た。三年前、達也と共に戦場に赴き、そして帰って来なかった女性を、深雪は思い出していたのだった。
達也が言った相手は、もちろん穂波さんです