劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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雫が日本にいれば……


聖戦前日

 戦争を境にして、この国では文化の風潮がガラッと変わった、というイメージが強い。だが実際にはそれほど大きな変化があったわけでもなく、所謂「軽薄な」風習も廃れず続いているものは多いのだ。その一つが明日に控えたバレンタインデーだ。

 バレンタインデーを明日に控え、第一高校の校舎も一日中、浮ついた空気に包まれていた。こういうところは魔法師も普通の少年少女だ。

 

「……光井さん、今日はもう上がってもらっていいですよ」

 

 

 放課後の生徒会室。さっきから繰り返し鳴っているエラー音。その発生源であるほのかに、苛立ってではなく何処か具合が悪いのかと気遣って、あずさがそう声を掛けた。

 

「そうよホノカ。貴女、今日はもう帰った方が良いわ」

 

 

 色鮮やかな蒼の瞳を曇らせてそう主張したのは、臨時役員に収まったリーナだ。彼女の正体は一般生徒のみならずあずさや五十里にも伏せられているとはいえ、なかなか大胆だといえる。

 

「いえ、大丈夫です」

 

 

 明らかに不調を見せながら、ほのかは気丈な答えを返す。不調の原因を自覚しているから、心遣いに甘えるのが恥ずかしい、という理由があったのだが、思い込みが強く過剰な責任を抱え込み無理をしがちな普段の彼女を知っている面々にとっては、心配を増幅するものでしかなかった。

 

「光井さん、責任感が強いのは立派な事だと思うけど、休むのは悪い事じゃないんだよ」

 

 

 五十里にそういわれてもまだ「じゃあ休みます」と言わないほのかに止めを刺したのは深雪だった。

 

「ほのか、本当に無理をしない方が良いわ。いくら頑張っても、今日は仕事にならないでしょう?」

 

 

 自分の「不調」の理由を深雪が察しているという事に気づいているほのかとしては、大変居心地の悪いセリフだった。特に「今日は仕事にならない」の件が。

 

「そう……ね。じゃあ……」

 

 

 少しの逡巡を見せた後、ほのかは勢いよく立ちあがって勢いよく頭を下げた。

 

「誠に申し訳ありません! 今日はお先に失礼させていただきます。明日から、また頑張りますから!」

 

「ええ、明日は頑張りましょう」

 

 

 先輩二人を先んじて深雪がほのかに応えを返した。明日「も」ではなく明日「は」と言った事に、あずさは微かな違和感を覚えたが、その意味を理解出来たのはほのか本人だけだった。

 失礼します、と頭を下げて、そのままクルリと踵を返したほのかの顔は、頬の辺りが赤く染まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生徒会の業務を終え、学校から駅へと続く帰り道、深雪は達也に今日あった事を話していた。

 

「……という事情がありまして、ほのかは先に帰りました」

 

「あぁ……もしかして、明日の準備か」

 

「間違いありません」

 

 

 深雪が自信たっぷりに頷くと、達也はむず痒さを堪えているような顔になった。

 

「ほのかはそういう事に力を入れそうなタイプだからなぁ……」

 

「嬉しいですか、お兄様」

 

 

 嫉妬を込めて、ではなくからかう口調で問い掛ける深雪に、動作ではなく雰囲気で達也は肩を竦めてみせた。

 

「嬉しいというより、申し訳ない気がするな。品物でお返しは出来ても、肝心のものが返せないからね」

 

 

 格好つけというにはいささか深刻な声音で呟いた達也の袖を、深雪が遠慮がちに掴んだ。

 

「……どうか、そのようなお気遣いは御無用に願います。ほのかも私も、ただお兄様に喜んでいただきたい一心なのですから」

 

「……そうか」

 

「そうです。お兄様は何も仰らずに受け取ってくださるだけで良いのです」

 

「あの~、雰囲気だしてるところに申し訳ないのだけども……要するに、ホノカの調子が悪かったのは、タツヤにあげる明日のチョコレートが気になっていたから?」

 

「よくわかったわねリーナ。チョコレートをあげるのは日本固有の習慣だと思ってたけど」

 

 

 リーナの問い掛けに深雪が返答したのだが、今回に限ってはリーナは何も思わなかった。

 

「そんな事無いわよ。『バレンタインデーにチョコレート』は有名なジャパンカルチャーだもの。ステイツでも真似している子は多いし、ミユキ以外のクラスメイトからも散々きかされてるしね」

 

「ふ~ん……リーナは誰かにあげるの?」

 

「一応はね……『義理チョコ』って言うのがあるらしいし」

 

 

 チラリと達也の方を窺い見たリーナだったが、幸いにして深雪にはリーナの視線は気付かれなかった。

 

「ミユキは誰にあげるの? 本命はやっぱりタツヤ?」

 

「何言ってるのリーナ。私とお兄様は実の兄妹なのよ? 本命なんてあげられるわけないでしょ」

 

 

 当たり前のように答えた深雪に、リーナは口をあんぐりと開けて固まってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深雪たちが駅までの道のりを歩いている時刻とほぼ同じ時、七草家のキッチンでもチョコレート作りに精を出している乙女たちがいた。そう、乙女たち……

 

「そうそう、なかなか上手ですね」

 

「マユミの教え方が上手だからですよ」

 

 

 一人はこの家の娘であり、日本人である七草真由美。そしてもう一人は、この家に保護(と言う名の監禁)されているミカエラ・ホンゴウだ。

 

「ミアさんは誰にあげるのかしら?」

 

 

 チョコを作りたいと頼まれ、自分一人の判断で自由にするわけにもいかなかったので、真由美は克人と達也に判断を委ねた。その結果、真由美が一緒なら問題ないと達也も克人も判断したのだった。

 

「助けてもらったお礼に、タツヤ・シバに」

 

「……なるほど、さすがは達也君ね」

 

 

 言葉だけならば、完全なる義理チョコなのだが、ミアの表情を見た真由美に、そんな勘違いは許されなかった。

 

「(まったく、あの無自覚フラグ男は……)」

 

 

 自分も同じ相手にあげようとしているのだが、その事は一切顔に出さず、真由美はミアに作り方を指導している。その背後では、双子の妹たちが、姉の背中から出ている負の雰囲気を感じ取って震え上がっていた。

 

「ねぇ泉美ちゃん、お姉さまは何を思ってあんな雰囲気を醸し出しているんだろうね?」

 

「私には分かりませんわ。ですが、少なくとも楽しそうではなさそうですわね」

 

「それでも、お姉ちゃんは誰かにチョコをあげるんだよね?」

 

「作ってるのですし、そうじゃないのでしょうか」

 

 

 妹たちにそんな事を思われてるとはつゆ知らず、真由美は自分のチョコレートを作りながらミアに指導していた。彼女の手元には、二種類のチョコレートが用意されているのだが、その事はさすがに妹たちも気づけなかったのだった……




リーナは達也にチョコを渡せるのか……

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