劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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純情ですね


ほのかのチョコレート

 圧し固めたサイオンの砲弾がイデアに出現し、短い軌跡を描いて孤立情報体に激突した。

 

「今のはまあまあだね。今朝はここまでにしておこうか」

 

「……ありがとうございました」

 

 

 八雲に向かい息を整えて一礼する達也の許へタオルを手にした深雪が駆け寄った。

 

「先生、術式解体にしては、お兄様の消耗が激しいように思われるのですが……」

 

「少しくらい消耗するのは仕方ないよ。達也君は理の世界に、本当は存在しない『移動』と『排他』の概念を持ち込んだんだから」

 

「それは……何か副作用を生じるアレンジなのでしょうか」

 

「いや、そんなものは無いと思うな」

 

 

 深雪は兄が最強の魔法師であることを確信しているが、出来ない事も沢山あると知っている。勝利の為にそれが必要なのだとしても、兄の心身を損なうものであるなら、泣き落としでも何でも使ってすぐに止めるつもりだった。

 そんな深雪の想いと裏腹に、八雲の回答はあっさりとしたものだった。

 

「達也君は認識方法を変えているだけだからね。それを無意識領域において連結する事で理の世界を移動する排他の概念弾を生み出した。そうだよね、達也君」

 

「そういう事だ、深雪。思考力と認識力をフル回転させる所為で精神的に……ああ、いや、神経的に疲れるだけだ。副作用を負うような危険な真似はしてないから心配するな」

 

「そうですか……ではパラサイトに対する攻撃手段についても目処が立ったのですね」

 

 

 さすがはお兄様です、とキラキラした目で自分の顔を見上げる妹に、達也は意図せず苦い笑みを浮かべた。

 

「いや……」

 

「生まれたばかりの『子』なら滅ぼせるだろうね。でも年月を経て存在が固まった『親』が相手だと難しいかもしれない」

 

 

 苦い笑みのまま首を横に振ろうとしていた達也を遮って、八雲が微妙な評価を下したのだった。

 僧坊に戻り、深雪は置いてあった鞄から取り出した綺麗な包みを八雲に差し出した。その中身は言うまでもないだろう。

 

「先生にとっては異教の風習かと思いますが、どうかお受け取りください。先生には兄が何時もお世話になっておりますので」

 

 

 途端に、八雲の顔がにんまりと笑み崩れる。

 

「いやいや、異国異教の風習であろうと、良い物はどんどん取り入れていかなければ」

 

「師匠、皆が見てますよ」

 

 

 毎年同じ事を言ってるよ、この人……と思ったのはきっと達也だけでは無かった。だが余りにも締りの無い表情を窘める事が出来たのは達也だけだった。

 

「んっ? 良いんじゃないかな。修行の励みになって」

 

 

 もっとも、八雲には達也の苦言が堪えた様子はまるでなかった。

 

「色欲は戒律に触れるのでは?」

 

「肉欲に結びつかければ構わないんだよ」

 

 

 口では飄々と受け答えしているが、顔はだらしなくにやけたままだ。処置なし、と肩を竦めた達也に八雲の弟子たちから無言の同意が多数寄せられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一学期は駅で合流して一緒に登校する事が多かった達也たちだが、小型電車の性質上かなりの時間差が生じる為に、最近ではすっかり教室で合流というパターンに落ち着いていた。

 

「おはようございます、達也さん」

 

「おはよう、ほのか」

 

 

 そんな不便をものともしないのはやはり、若さ故だろうか。あるいは、恋するが故だろうか。多分どちらも正解だろう。

 

「あっ、おはようございます、ほのかさん」

 

「おはよう美月」

 

 

 そして、恋する乙女にとしては、今日ばかりは同行者が疎ましかった。深雪が一緒にいるのはデフォルトだから仕方ないと、ほのかも思っている。だが深雪以外は友達とはいえ正直邪魔だった。――いや、友達だからこそ、今日が何月何日か察してほしかったとほのかは思う。きっとそんな想いが顔にでたのだ。

 

「美月、貴女制服に何をつけてるの?」

 

「えっ?」

 

 

 当然そんな事をいわれて、美月は一生懸命首を捻り、肩越しに背中を見ようとする。そんな事をしても自分の背中に目が届くはずはないし、そもそも汚れなどついていないのだから徒労でしかないのだが……

 

「いらっしゃい。とってあげるから。お兄様、申し訳ありませんが先にいってください。ほのかも先に行ってくれる?」

 

「ああ、分かった」

 

 

 思いがけない展開にほのかがアワアワしている横で、達也はあっさり頷き、眼差しでほのかを促した。ギクシャクとした足取りで達也の背中に続いたほのかが、上半身だけ振り返り、目で深雪に感謝を告げる。深雪は小さく笑って頷いたのだった。

 あがり症という自己申告は紛れもない事実。それでもこのまま校舎に入ってしまえば、一科生と二科生は昇降口すら別々、折角のチャンスが台無しになってしまうということはほのかにも十分分かっていた。送ってもらった塩を使わないのは、ライバルに対する裏切りに他ならない。

 校門を過ぎたところで、ほのかが達也を呼びとめた。

 

「あの、達也さん! 少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか!」

 

「良いよ」

 

 

 まるで何階級も上の上官か何階層も上の役職者に対するような鯱張った喋り方だったが、それを少しも呆れた様子もなく控えめな笑顔で達也は受け止め頷いた。

 

「こっちへ……お願いします」

 

 

 人目を憚るようにコソコソと裏庭の方へ急ぎ足で進むほのかを、達也は遅れないように、追い越さないように追いかけた。全て心得ている、という表情で。

 

「あのっ、たちゅ……!」

 

 

 達也の前に進み出たほのかが、几帳面にラッピングされた小箱を両手で勢い良く差し出して、思いっきりセリフを噛んだ。そのままフリーズするほのか。

 

「ありがとう、ほのか」

 

 

 強すぎる自らの想いに縛られて動けなくなったほのかの、突き出されたままの両手から達也はチョコレートの小箱を包装が崩れないようにそっと抜き取り、その代わりに掌に収まる程の小さな紙袋を握らせた。

 

「あの、達也さん、これ……」

 

「とりあえず、お返し。来月分とは別口だから、そっちも期待してもらって良いよ」

 

 

 見開いていた目にジワッと浮かんできた涙を慌てて拭い、ほのかがぎこちない笑みを浮かべる。

 

「あ、その、私、まさか、こんな……あの、達也さん、開けても良いですか?」

 

「もちろん」

 

 

 袋の中から取り出したプレゼントを、ほのかは魂が抜かれたような目で見詰めた。

 

「……ほのか、そろそろ教室に入ろうか」

 

 

 達也が声を掛けるまで、ほのかはじっと立ち尽くしていたのだった。




冷やかすのも躊躇われるくらいの純情……

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