それは暗闇の中にいた。意識は目覚めているのに、肉体を動かす事が出来なかった。目が開けられない、耳が聞こえない、嗅覚も触覚も働かない。
それが人間であったなら、この半日で狂っていただろう。だがそれは人間ではない。普通の意味で、生き物ですらなかった。
それは何時までも待つ事が出来た。何故ならそれは寿命という概念を持たないからだ。意識が目覚めてから、それは自分が何に宿っているのか、自分が何なのかを考え続けた。それを探る為、自分が宿る器に自分を染み込ませて行った。
自分が何なのかはすぐに分かった。この空っぽの器に宿る自分に意識を与えたのが何だったのか、考えるまでも無かった。自分が何のために生まれたのかは理解出来た。
じっと待ち続けたそれは、いきなり器に活力が吹き込まれたのを感じた。急いで肉体を掌握する。その為の知識は頭脳に蓄えられていた。
前回とは勝手が違ったが、幸いにしてそれはその時の事を覚えていない。頭脳の中で飛び回る電気信号を想子に信号に換えて読み取る事は前回も経験している。
内側に向かって発せられる想子信号を浸透させた自分自身で読み取る。それは、この身体の使い方を覚えた。
「(目が見える。耳が聞こえる。指が、腕が、足が動く。これであの人に自分を使ってもらえる)」
それは意思のままに動く身体を手に入れた喜びを表現したくなったが、表情が変わらない。この身体には表情を変える機能が備わって無かった。
だからそれは、手に入れた頭脳であの人を探しながら、自分の力で喜びを表現してみる事にしたのだった。
学校中が浮ついた空気に包まれていた昨日とは打って変わり、校舎内には奇妙な困惑が漂っていた。生徒全員が関係しているというわけではない。逆に、大半の生徒にとっては直接関係ない出来事だ。
達也がその現場に足を踏み込んだのは昼休み、まだ食事前の事だった。彼が野次馬根性を発揮したわけではなく、顔見知りの一年生――こっちは正真正銘「当事者」だ――に拝み倒されて渋々ついて来たのである。
「あっ、司波君」
「五十里先輩、お疲れ様です。中条先輩も引っ張り出されたんですか?」
彼の姿を見て、何処かホッとした声で呼びかけて来た五十里に挨拶して、その後ろでオロオロしているあずさに声を掛ける。
五十里の隣に花音がいるのはデフォルトとして、人垣の中に目を凝らせば、昨日真由美に「何か」を食べさせられていた服部部活連会頭の姿もあった。
「この現象には大勢の生徒が不安を感じていますから……」
と、あずさ本人が不安げに応える。呼ばれはしたが、余り彼女向きの事案ではないようだ。
「しかし事実とすれば、高校生の手には余る事件だと思いますが。先生方は何と仰っているんですか?」
達也を引っ張ってきた同級生が「事実だとすれば」の辺りで不満げに唇を尖らせる気配がしたが、達也にしてみれば到底事実とは思えない話だったのだ。3Hが――機械仕掛けの人形が笑みを浮かべ、魔法の力を放ったというのは。
人形が笑ったというだけなら、これほど関心を集めなかっただろう。表情を変える機能が実装されたヒューマノイド型ロボットも既に試作されている。機械技術に疎い傾向のある魔法科高校生の非魔法系技術には然して気にならないに違いない。
だが、表情を変えないはずの人形が微笑みながら魔法を行使したとなれば、魔法科高校生にとって、無視する事など出来るはずの無いホラーだ。
彼らが使う魔法は「オカルト」ではあっても「ホラー」ではない。超常の理を操る彼らだから余計に、その理から逸脱する現象に怖れと不安を感じるのかもしれない。
「さっきまで廿楽先生が調べていたけど、はっきりした結論は出せないと仰っていたよ」
「否定することも出来ない?」
「そうだね」
答えながら、五十里の浮かべる困惑の色は一層濃いものとなった。
「P94のボディから高濃度の想子の痕跡が観測されたよ。先生が言うには、ボディの胸部中心から外部に放出されたものだそうだ」
「3Hの胸部は電子頭脳と燃料電池の格納容器ですよね? どちらから?」
「電子頭脳がある辺りだって。まったく……出来すぎだよ」
「……ここのメンバーが改造したとか?」
「もしそうなら、こんなに悩まないんだけどね」
「ここ」とはロボット研究部の事だが、達也も本気でそんな事を思っていたわけでもない。そして、五十里の答えも乾いた笑い混じりだった。
「その事だけど、霊子の痕跡も見られたそうだよ。こっちは発生源が内側か外側か分からないということだけど」
「霊子の観測機器の性能は、想子センサーに比べればお粗末なものですから」
口では軽く流していたが、五十里から追加でもたらされたこの情報は、達也の思考能力を強く刺激していた。
「コントロールに異常は見られないんですよね? 勝手に動き出すとか……」
「ああ、今のところそれは無いよ。今もコマンドに従ってサスペンド状態で待機している」
「それで、俺は何をすればいいんですか?」
後ろから深雪とほのかがランチパックを持って話しかけたそうにしていたが、とりあえずは五十里との話を進める。
「P94の電子頭脳をチェックしてほしいんだ。CADは電子技術と魔法技術を結びつける代表的な機械だ。そして我が校でCADソフトウェアに最も精通した人材は君だ。少なくとも僕はそう思ってる。九校戦で……」
そこまで言いかけて、今更のように野次馬の視線に気がついたのか、五十里は声を潜めた。
「九校戦で仕掛けられていた例の『電子金蚕』みたいのが紛れ込んでないか、確かめてほしい」
「なるほど……分かりました。ただ、ここでは十分なチェックが出来ませんので、メンテナンスルームを使わせていただきたいのですが」
「良いですよ。すぐに許可を取ります」
五十里が何を懸念しているのかに合点がいった達也のお願いに、あずさが素早く反応して携帯端末をチョコチョコと慣れた手つきで操作して、安堵したように小さく息を吐き顔を上げた。
「メンテ室の使用許可が下りました。時間は四時限目の終わりまでです」
それは暗に授業をサボれという意味なのか、と達也は心の中でツッコミを入れたが、その事を表情に出す事は無かった。
この辺りは下手に弄れない……