3Hは民家内で使う事を想定して、軽量素材で作られている。衝撃は大したものではなく、きっと平均的な成人女性に抱きつかれるのと同程度のものだろう。
3Hが達也に飛び掛かったのを見て、声にならない悲鳴が上がった。ピクシーの両腕は、達也の首にしっかりと回されており、つまり正面から、まさしく抱きついているのだ。
誰もが、達也本人を含め言葉を発する事が出来なかった。「絶句」という言葉はこういう場合に使うのだろう。それ程の驚きが室内を支配していた。
ロボットがこんなに情熱的な感情表現を行うなんて、ありえない。
「……へぇ、司波君ってロボットにまでモテるんだ」
室内を覆う沈黙を打破したのは、衝撃の瞬間に居合わせていなかった――たった今部屋に入って来たばかりの花音の白けたツッコミだった。
それをきっかけに麻痺していた感情が次々と再起動を始め、達也は背中に突き刺すような視線を感じていた。真後ろからブリザードじみた怒気が送られてきている。フリーズからいち早く常態に復帰したのは深雪だったが、常態と言っていいのかは些か疑問も無いではなかった。
「……お兄様にお人形遊びのご趣味がお有りとは存じませんでした」
「兎も角まず落ち着け、深雪」
ほのかから咎められるような視線を向けられるだけなら兎も角、まさか妹から浮気の濡れ衣を着せられるとは達也も思っていなかった。
「俺の方から抱きついたんじゃないぞ。抱きつかれたんだ」
「お兄様の身体能力なら、避ける事など造作も無かったはずです」
「俺が避けたらお前にぶつかっていたじゃないか」
確かに避けようと思えば避けられた。3Hの機械的な最大出力は、誤って家具や食器を壊さないように、またそれ以上にふとしたはずみでオーナー家族に怪我をさせないように、平均的な成人女性以下に抑えられている。
それでも避けなかったのは、真後ろに深雪がいたからだ。達也ならは体重差もあるから飛び掛かられても受け止められるが、深雪だと押し倒されていた可能性が高い。
「おおっ、あの一瞬でそこまで計算してたのかよ」
「見てたら分かるでしょ、それくらい」
レオが今にも手を打ち合わせそうな声で驚きを示すと、エリカが「何を今更」とでも言いたげな声でツッコミを入れた。
「申し訳ありません、失礼な事を……」
一方で、それが分からなかった深雪は、両手で口元を押さえた後、シュンと萎れて己が非を詫びた、ただ、落ち込んでいるように見えて微妙に嬉しそうでもあった。
「それよりピクシーを何とかしましょう」
「ピクシー、離れてくれ」
ここで漸く再起動を果たしたあずさが遠慮がちな声で提案をし、達也はバツの悪そうな笑みを浮かべながらそう命令した。
達也の命令に軟性樹脂に包まれた機械の腕がピクリと震え、ピクシーは大人しく両腕を解いた。名残惜しそうに見えたのは単なる見間違えはずだ。
「モード変更のコマンドは取り消す。ピクシー、その寝台に座れ」
「畏まりました」
今度はすぐに指示に従った。管理者権限を要する類の命令ではないから、と解釈するのが常識的だが、さっきの異常な動作が目に焼き付いている所為か達也の命令だから素直に従っている、という風に見えてしまう。
「美月」
「は、はいっ?」
すっかり傍観者気分だった美月は、突然の指名に声をひっくり返した。意外に思ったのは美月本人だけでなく、五十里や花音も訝しげな目を向けてきている。
「美月、ピクシーの中を覗いて見てくれ。幹比古は美月が大きなダメージを負わないようにガードしてほしい」
「……ピクシーに何か憑いていると考えているのかい?」
「何か、とは遠回しな言い方を選んだな、幹比古」
間接的な幹比古の問い掛けに、達也も間接的な回答を返した。
幹比古は呪符を取り出し念を込める。美月も達也の考えを悟ったようで、緊張した、少し怯えた面持ちで、それでもしっかりとピクシーを見据えて眼鏡を外した。
「います……パラサイトです」
美月の言葉に誰かが息を呑んだ。美月を除く全員が、それぞれのやり方で驚きを示し、それぞれのスタイルで身構える。
「でも、このパターンは……」
美月の呟きはまだ終わって無かった。眉を潜め悩んだ後、美月は急に振り返った。
「えっ、なに?」
彼女の視線の先にはほのかがいた。じ~っとほのかを凝視した後、美月は何度かほのかとピクシーの間で視線を往復させる。
「このパターン……ほのかさんに似てる」
「ええっ!?」
「どういう事なの?」
そして紡ぎ出した美月の結論に、ほのかが仰天の声を挙げ、花音が率直な疑問を口にした。
「パラサイトはほのかさんの思念波の影響下にあります」
「ええと、それって光井さんのコントロールを受けているということ?」
「いえ、そういう繋がりでは無いと思います」
珍しくきっぱりとした口調で答え、五十里の問いに首を横に振る美月。
「ほのかさんとパラサイトの間にラインが繋がってるんじゃなくて、ほのかさんの思念をパラサイトが写し取った感じです。あるいは、ほのかさんの『想い』がパラサイトに焼き付けられた、と言うべきでしょうか」
「私、そんな事してません!」
「ほのかが意図してやったと言ってるわけじゃない」
パニックを起こしかけているほのかの頭を、達也が優しく撫でる。
「そうだろ、美月?」
「あっ、はい。意図的なものじゃなくて、残留思念に近いと思います」
ほのかのパニック発生は防げたが、深雪とエリカの視線が達也に突き刺さっている。しかし達也はその視線を無視して、残された疑問解消に努めようとした。
「残留思念……つまり光井さんが何かを強く想った事が、偶々近くを漂っていたパラサイトに写し取られたということかな? その後、ピクシーに憑依した? それともピクシーの中に潜んでいたパラサイトに光井さんの想念が焼き付いた……?」
幹比古のセリフは、自分の思考を纏める為の作業であり、本質は独り言だった。だが、彼のセリフの後、一拍おいてほのかが急に俯いてしまった。両手で顔を覆っているが、その隙間から見える顔の色は、いつもより赤かった。
次回も説明回なんですよね……