リーナの雷は幹比古のそれとは違い封印を目的としたものでは無い。達也は雷が落ちたのを見て反射的に通信機に問いかける。
「一匹逃げた。美月、分かるか?」
『すみません、ここからだと一つ一つの動きは……』
返って来たのは申し訳なさそうな声。それも少し考えれば当然の事で、美月は五感の視覚を拡張する形で見えないものを見ているのであって、遠くのものを拡大して見る事が出来るわけではない。
「そうか。いや、無理を言った。気にするな」
美月にそうフォローを入れて、達也は苦い顔をリーナとエリカへ向けた。
「アンジー・シリウス」
「なんだ」
仮面の向こうに動揺が見えたのは、達也の錯覚ではあるまい。だが一応会話はする気はあるようだった。声が代わっているのは、これも『パレード』の効果なのだろう。
「封印が済むまで殺さないでくれないか。後始末が面倒臭い」
短く絶句する気配。達也の言葉が、人の生死を本心から「面倒」程度にしか思っていない事が分かったのだろう。
「(どれほど殺せば、そんな考えが出来るのよ)」
シリウスとして、多くの脱走兵を殺してきたリーナですら、人の生死を「面倒」だと思った事は一度も無い。むしろ最近ではこの仕事に嫌気すら刺しているのだ。
「ワタシには関係ない。ワタシは脱走兵を処理するだけだ」
それでもリーナの答えに変わりは無かった。口調も意識して変えているようだが、イントネーションで丸わかりだった。無論、達也が口にしたのは別の事だ。
「シリウスの任務か……だからそれは、パラサイトの本体を封印してからにしてもらいたいんだが。現に一匹、逃げられた」
「それはワタシの任務に含まれていない」
リーナは今までになく頑なだった。話を聞く気が無い相手と交渉するのは、達也の性分に合っていない。彼はどちらかと言えば「耳を貸す気が無いなら好きにしろ、自分も好きにさせてもらう」というタイプだ。
しかし今は話を聞いてもらわなければならない。達也はため息を吐きたい気持ちを抑えて引き続き説得を続ける。
「任務と言うが、君が今始末した相手は生粋の東北アジア系にしか見えなかったぞ。本当に脱走兵だったのか?」
「……脱走兵でなくても脱走の手助けをしているなら同罪だ」
「脱走の手助けも何も、こいつらはパラサイトに自我を乗っ取られた存在だ。始末するにしても、やはり中身を封印してからにしてもらいたい」
達也の言い分に、リーナは明らかに動揺し答えに窮した。それでもリーナの頑なな態度は変わらなかった。
「重ねて言うが、パラサイトなどワタシには関係ない。ワタシはワタシの任務、シリウスの役目を果たすだけだ」
そう言い捨てて、リーナは森の中に姿を消した。肩を竦めたくなる気持ちを抑えて、達也はエリカに向き直る。
「出てきたね、シリウス」
エリカからいきなりジャブが飛んできた。三日前のあの時の事を根に持っているわけではないのはニンマリとした笑顔で分かったので、達也も苦笑いでおおじた。
「あれ……リーナでしょ? まるっきり別人に見えるけど」
笑顔を得意げなものに変えたあと笑みを消し、エリカは真顔でそう訊ねた。
「まるっきり別人なのに何故そう思うんだ?」
「仕草、かな。手足の運びや首の振り方、目付きなんかで大体分かるよ」
「さすがだな……分かっていると思うけど、これも秘密だ。それよりエリカにも、リーナに言ったのと同じ事を言いたいんだが」
「殺すな、って?」
「そうだ。エリカは説明を聞いていたよな。宿主が死なない限り、パラサイトはその中から逃げ出す事が出来ない。逃走を妨げる結界は張ってあるけど、殺さず無力化する方が確実だ」
達也の要請は合理的なものだ。それはエリカにも理解出来ている。だがエリカは――エリカも首を横に振った。
「ゴメン。達也君には悪いけど、それは出来ない。剣で人を斬る覚悟を決めた時から、相手に斬られる覚悟も持ってるつもり。だから自分が斬られた時の事を考えるとね……わざと殺さずに苦痛を長引かせるなんて出来ないよ。殺さずに助けるならともかく、封印は殺しちゃうのと一緒でしょ? だったら相手が人間じゃなくても、長く苦しまずに済むように止めを刺してあげたいんだ」
エリカが断った理由は、リーナと随分異なっていた。個人的で、その分本音だった。エリカの顔に、彼女の瞳に気負っている様子は無かった。しかし彼女は確かにある種の覚悟を示していた。
殺しは絶対の略奪であり、苦しませて殺すも苦しまずに殺しても、殺すという結果に何の違いも無い、と達也は思っている。しかしだからといって、エリカを説得しようとも思わなかった。価値観は人それぞれ、その中には他人の口出しが許されないものもあるのだ。
「仕方ないな。まぁ、俺が苦労すれば良いだけか」
パラサイト退治が、その禁忌を犯してまで為さなければならない事だとは、達也は考えていなかった。
「ホントにごめんね。でも、達也君なら苦労なんてしなくても大丈夫だと思うけど」
達也が自分の言い分に納得してくれたとはエリカも思っていない。だが自分の意見を尊重してくれたのには気づいている。だからエリカはもう一度謝罪の言葉を口にしたのだ。しかしその顔は何処か嬉しそうだった。
「確かにエリカ一人ならそこまで苦労しなかっただろうが、もう一人性質の悪いヤツがいるからな」
「リーナね……ねぇ、達也君は前からシリウスがリーナだって知ってたんでしょ? どうやって知ったの?」
「悪いが教えられないな。本当ならエリカに本性を教えるのも禁止されていたんだからな。まぁ、エリカが自分で気づいたんだから、俺が教えた事にはならないんだが」
人の悪い笑みを浮かべながら言う達也を見て、エリカは何故だか楽しくなってきていたのだった。
「ホント、達也君の側にいると退屈しないわね。普通の学校生活を送ってたら、こんなに楽しい思いは出来なかったって断言出来るわ」
「色々危ない目に遭ってるのに、楽しいと言えるのはエリカが強いからだろ」
「ううん、達也君がいるからだよ」
エリカの答えに、達也は肩を竦めて先を急いだのだった。
もはや隠す意志が見られないリーナ……