弾む息の中から掛けられた声に、達也は携帯情報端末で作成中の草稿から目を離して顔を上げた。
「お兄様、お待たせしました」
「達也君、何を書いていたの?」
顔を上げた彼に声を掛けたのは深雪ではなく、卒業証書の入った筒を胸に抱えてニコニコ笑っている真由美だった。
「魔法の持続時間を引き延ばすシステム的なアシストに関する、ちょっとした覚え書きです」
「……いや、そんな何でも無いことのように流してしまうテーマじゃないと思うが」
「それよりも皆さんおそろいでどうしたんですか? 七草先輩にしても渡辺先輩にしても、二次会のお誘いが無かったとは思えませんが」
達也の言葉に顔を見合わせた女子生徒たちの背後から、克人がぬっと顔を出した。
「その前に、お前に挨拶しておこうと思ってな」
「……恐縮です。わざわざお運びいただかなくても、後ほど俺の方からご挨拶に伺うつもりでしたが」
「あら、そうなの? パーティの間中こんなところに引っ込んでいる達也君のことだから、知らん顔して帰っちゃうのかと思ったんだけど」
「生徒会役員でもない俺が卒業パーティに顔は出せないでしょ。リーナみたいに臨時役員でも無いのですし、ましてや一科生でも無いのですから。それにしても、リーナは何で顔が赤いんだ?」
「シールズさんね、余興でバンドを結成して十曲も歌ってくれたのよ」
お世辞ではなさそうな口調で達也にバラした真由美に、リーナは複雑な視線を向ける。無意識下とはいえ達也の事を憎からず想っているリーナにとって、真由美は深雪・ほのかに次ぐライバルだと言えるだろうからこの視線も仕方ないものだった。
「そうか……いい思い出になったな、リーナ」
「……知らないわよ」
ぷいっ、とそっぽを向いた仕草に、彼女を除いた人数分の温かな笑い声が上がった。
卒業式を最後に、リーナは学校に出て来なくなった。何でも「帰国の準備で忙しい」と説明がされていたそうなのだ。一昨日で三学期は終了、つまり高校生活の一年目が終了したと言う事だ。
達也の成績は相変わらずで、理論科目は学年トップで、実技科目は中の下だった。総合順位は中の上、一科生の中に紛れてもおかしくは無い感じの成績だったが、達也はそんな事は気にしてなかった。
隣で友人たちが話しているのを聞きながら、達也はロビーの人ごみの中に見覚えのある金色の輝きを見つけた。
「少し外すぞ」
「達也さん?」
達也に続くように深雪も立ち上がりその背中に着いていく。ほのかはそれに続こうとしたが、エリカがコートの裾を引っ張った。
「ほのか、邪魔しちゃダメだよ。ライバルとのお別れなんだからさ」
行儀悪く背もたれに身体を預けて振り返ったエリカの視線の先には、達也に見つかっても逃げ出すのではなく、むしろ自分から兄妹の方へ歩いて来るリーナの姿があった。
「タツヤ、ミユキ、ワタシの見送りに来てくれたの?」
「まぁな。ここで会えたのは偶然だが」
「あらっ? 今日発つって言ってなかったかしら」
「聞いていないわね」
すっとボケて嘯いたリーナの戯言を、深雪が一刀両断した。
「冗談はこのくらいにして、と。二人とも、お世話になったわね」
「迷惑を掛けたの間違いじゃないか」
「……本当に最後まで容赦の無い人ね、タツヤ」
「手加減されても嬉しくないだろ? それに、最後じゃないだろ」
「そうね……少なくともミアを日本に残してるんだから、何時れは迎えに来なきゃいけないものね。じゃあその日にまた会いましょう」
達也にそう言い、深雪には目線でライバル認定をして握手を交わし、リーナは搭乗口へと向かって行った。
リーナがゲートに消えて一時間後、雫が現れた。
「ただいま」
「お帰り、雫」
潤んだ目で抱きつくほのかの背中をポンポンと叩いて宥め、雫は達也へ目を向けた。
「お帰り、雫。無事で何よりだ」
「うん」
「雫、雰囲気が変わったわね」
「そうだね、大人っぽくなった。なにかイケナイ体験でもしちゃったのかな?」
「エリカちゃん!?」
エリカの茶々に反応したのは美月で、当の雫は軽く小首を傾げるばかり。
「達也さん」
「うん?」
ほのかが漸く抱擁を解いて離れると、雫は達也の前に歩み寄って彼の顔を見上げた。
「お話したい事がいっぱいある。レイからも沢山伝言を預かってる。聞いてくれる?」
「良いよ。是非聞かせてくれ」
達也の答えに、雫は微笑み、そして達也に話し始めたのだった。
雫の話はかなり長いものだったが、それでも全てを話し終える事は出来なかった。残った話をする為に、雫は達也と深雪を自分の家に招待した。
「(招待を受けざるを得ない、か……)」
大実業家「北方潮」の私邸へ、他の友人を交えずに。それは四葉にとっても小さくない意味を持っているものなのだが、招待を受けないという選択肢は無い。
達也が考えを纏めている時に呼び鈴が鳴り、ドアホンに出た深雪が悲鳴を上げた。
「どうした?」
「あの、お兄様、お客様なのですが……」
「俺が出ようか?」
「いえ、それには及びませんが……お客様は四葉家本家で会った、桜井水波ちゃんなんです」
「なに……?」
達也にとって水波は、彼女にそっくりな調整体魔法師で、母親のガーディアンを務めていた穂波を思い出させる。あの事件の事を嫌でも彷彿させる。
「桜井水波です。真夜様より達也様宛のお手紙を預かっております」
差し出された手紙に目を通し、達也はそのままその手紙を深雪に手渡す。深雪は内容を読んで水波に視線を向けた。
「来年度より第一高校に通う事となりました。つきましてはこちらのお宅でお二方のお世話をしながら生活させていただくように命じられました。また、ガーディアンとしての仕事を達也様から教わるようにも言われておりますので、未熟者ですが、よろしくお願い致します」
深々と水波が頭を下げる。彼女が真夜から打ち込まれた楔だと分かっていても、穂波と同じ顔をした彼女を拒絶する事は達也にも深雪にも出来なかった。
叔母の皮肉が効いた苦すぎる「贈り物」に、達也はポーカーフェイスを装って頷くことしか出来なかった。
次回からIF編に突入ですね