四月八日、国立魔法大学付属第一高校入学式当日の朝。今日は通学路で不躾な視線の待ち伏せも無く、達也、深雪、そして水波の三人は入学式開会二時間前に第一高校に到着した。こんな時間に登校したのは言うまでも無く入学式の準備の為だ。
「おはようございます、達也さん! 深雪もおはよう」
「おはよう、司波君。時間どおりだね」
準備室には既に五十里とほのかが集まっていた。深雪がほのかと朝の挨拶を交わしている横で、五十里が達也に話しかけた。
「おはようございます。早いですね、五十里先輩」
「性分でね。早めに出ないと落ち着かないんだよ。ところであの子は? 新入生だよね?」
「そうですよ。水波」
「はい、達也兄さま」
達也に呼ばれて小走りに駆け寄ってくる水波。その応えに五十里が少し驚いた表情を見せた。
「兄さま? 司波君、深雪さん以外にも妹さんがいたの?」
「いえ、従妹です。水波、五十里先輩だ」
「はじめまして、五十里先輩。桜井水波です。いつも達也兄さまと深雪姉さまがお世話になっています」
予め用意していた嘘の答えを達也が返し、水波は達也の指示で丁寧過ぎない言葉遣いを心がけたおかげで、五十里が違和感を抱いた様子は無かった。
「よろしく、桜井さん」
「こちらこそよろしくお願いします」
水波が五十里に向かってもう一度お辞儀をしているところに、あずさ、花音、そして新入生総代の七宝琢磨が入って来た。
「おはようございます……もしかして、私が最後ですか?」
「おはようございます、会長。時間通りですよ」
本当は三分ほど時間をオーバーしているのだが、深雪の笑顔にはそれ以上の謝罪と言い訳を許さない逆の意味で威圧感があった為に、あずさはびくびくした顔をしていた。
「全員そろったようですから、まずは式次第を確認しましょうか」
琢磨の挨拶に深雪がよそよそしい笑顔で返したのを受けて、あずさも五十里も困惑の表情で達也に助けを求める。それに対する達也の回答がこの言葉だった。
「そうね、時間を無駄にする事もないわ」
「では、開会三十分前の配置から。来賓の誘導に深雪、放送室にほのか……」
これは本来あずさの役目だが、達也は構わずリハーサル前の打ち合わせを進めた。水波がこの場にいる不自然さは、誰にも指摘されないまま忘れ去られた。
そして式直前のリハーサルは、近づく本番のプレッシャーを感じる余裕も無い張り詰めた空気の中で無事終了した。
「新入生の誘導に行ってきます」
「はい、行ってらっしゃいませ、お兄様」
「あっ、ご苦労様です」
達也は自分の仕事に取りかかる為そう声を掛け、舞台袖で深雪とあずさ、無言でお辞儀をした水波に見送られて講堂を出て行った。
開会前の彼の役目は、式場が分からなくなった新入生の誘導。去年達也が入学式の前に真由美と会ったのは、彼女が同じ仕事を担当していたからだ。入学式という重要な行事の開会直前に生徒会長がやることではないように達也は感じていたが、今は緊張を紛らわす為に外に出る口実だったのかもしれないな、と思い直していた。
達也自身もそれほど緊張していたわけでもないが、それでも多少の解放感を覚えていた。これは多分に性分なのだろうが、屋内で堅苦しいセレモニーの準備をしているより、外で風に当たっている方が気が楽なのだ。もしかしたら真由美にも似たところがあるのかもしれない。
あるいは、そんな事を考えていたからだろうか前庭に出て早々に真由美にバッタリ出会ったのは。
「あら、達也君」
「七草先輩? おはようございます」
「久しぶり……って言うのも変ね。新入生の案内?」
「ええ、まあ」
「やっぱり生徒会に入ったんだ。卒業式から一ヶ月も経たないけど……何だか見違えちゃったね、達也君」
真由美のスーツ姿を見て見違えたと思っていた達也は、逆に真由美に見違えたと言われて虚を突かれたように見えたのはやむを得ない事だっただろう。
「その制服、魔法工学科のものなんでしょ? やっぱり達也君にはエンブレムがある制服の方が似合うわね」
「そんなに違います? 別に自分では変わったつもりは無いのですが……」
「気分の問題よ。二科生、っていう窮屈な環境から脱出して、何だかいきいきしてる感じがする」
「なるほど……降参です。自分の事は分からないものですね」
自分でも無意識にそのような事を考えていたのかと、真由美に言われるまで気付けなかった達也は、素直に両手を上げて降参した。
「ところで、この格好、どうかな?」
「お似合いですよ。凄く大人びていて、まるで別人のようです」
「そう、ありがとう……って、別人の『よう』ってどういう意味かな?」
「別に他意はありませんよ。俺は七草先輩の事を童顔だとか幼児体型だとか思ってませんし」
「童顔……幼児体型……」
達也は本当にそのような事を思っていないのだが、真由美はその事を過剰に気にし過ぎている。ションボリとうつ向いた真由美と、その前に立っている達也という構図を、二人の関係を良く知らない人間が見たら勘違いするだろう――
「お姉ちゃんを苛めるなー!」
――このように。
大声を上げながら駆け寄ってくる少女を見て、驚いたのは達也では無く真由美だった。
「香澄ちゃん!? 別に私は苛められて……あっ」
平常心の真由美なら、ヒールを引っかけて転ぶなどと言う醜態を曝す事は無かっただろうが、彼女の心は今普段とはかけ離れているくらい動揺していた。倒れそうになった真由美を、達也はただ見ていたわけでは無く、そっと肩に手を置き彼女を支えた。ここで見て見ぬふりをすれば、彼は薄情者の称号を得ていただろうが、達也もそこまで冷たくは無かった。
「あ、ありがとう……」
「いえ、妹さんですよね」
「あ、あれ? 苛められてたんじゃないの?」
ある程度駆け寄ってから、別に姉が苛められていたわけではない事に気が付き、拍子抜けしたような表情を浮かべる少女。だが、勢いのついた彼女は、そのまま達也に向かって飛び込んでしまった。
「う、うわぁ! 退いて退いてー!」
「香澄ちゃん!? 貴女何で魔法なんて展開してるのよ!?」
攻撃するつもりだった香澄は、そのままの勢い、魔法を展開したまま達也に飛び掛かったのだった。
香澄は少し(?)マイルドにしました