劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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心労を溜めこむのはよく無いですが……


幹比古の心配事

 校門から「第一高校前」駅へと続く通学路の途中、一つ角を曲がったところに、達也たちの行きつけの喫茶店「アイネブリーゼ」はある。今日も達也は入学式の帰り道、深雪、水波、ほのか、雫、幹比古と一緒に、この店でコーヒー片手に雑談に興じていた。

 七草姉妹と別れた達也たちは、いったんあずさと合流した。しかし、今日はもう帰って良いとあずさに強くいわれ、先にその場へ来ていたほのかたちと下校する事にしたのだ。

 

「そういえば、主席君の勧誘はどうなったの?」

 

 

 雫がそう訊ねたのは、お喋りがふと途切れた瞬間だった。雫に特段の意図があったわけでは無く、好奇心や野次馬根性からの質問でもない。あえて言うなら、不意に訪れた会話の空白に引っ張られての発言だった。

 

「ダメだったみたい」

 

「えっ、七宝君は生徒会入りを断ったのかい?」

 

 

 割と自分の好奇心優先なところがある幹比古の発言で、嫌な沈黙に陥らずに済んだ。自分のせいでもないのに落ち込みそうになっていたほのかに、達也がフォローのような答えを返す。

 

「本人は部活を頑張りたいから、と言ったらしいな。他にやりたい事があるのだから仕方がない」

 

「うん、強制は出来ないからね」

 

 

 達也の意図を読んだのか、それとも偶々なのか、幹比古のフォローでほのかが醸し出していた空気が重苦しいものから変わった。

 

「それよりも七宝君の代わりに誰を生徒会へ勧誘するか考えた方が建設的ですよね」

 

「そうだな。新入生が誰も生徒会に入らないというのも後々の事を考えると具合が悪い」

 

「そうだ。水波ちゃんを役員にするというのは如何でしょう?」

 

 

 達也が真面目な顔つきで頷くと、深雪が軽く手を打ち鳴らし思い付いた事を口にする。それまで無言で上級生の話を聞いていた水波が、深雪の思いつきに顔を強張らせた。

 

「深雪、それはちょっと水波が可哀想だ。主席を生徒会に勧誘するのが慣例なんだから、代わりの候補も入試成績で選ばなければ」

 

「次席は誰だっけ?」

 

「えっと、七草泉美さんだね。七草先輩の妹さん」

 

「三位が同じく七草先輩の妹さんの香澄ちゃんね。七宝君とこの二人は本当に僅差の一、二、三位だったのよ。四位以下と比べて、この三人の成績は突出しているわ」

 

「じゃあ、七草先輩の妹さん、どちらが役員になってもおかしくないということですね」

 

「でも、順当に行けば、泉美さんの方じゃない?」

 

 

 雫の言葉に深雪が少し嫌そうな顔をした。先ほどの一件で深雪には泉美に対する苦手意識が出来たのだろうか。

 

「決めるのは会長だが、最終的には本人のやる気だろうな」

 

 

 深雪の表情の変化は達也にも分かったはずだが、彼のセリフは妹の内心を斟酌するものともそうでないとも取れるどっちつかずなものだった。達也の方も、もう片方の妹である香澄に、何となくやり辛さを感じているので、どちらが生徒会役員になっても面倒になると考えていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也がトイレで手を洗っていると、幹比古が入って来た。そのこと自体は特別な意味は無いだろう。入れ替わりに出て行こうとした達也に、幹比古の低い、陰鬱な声が掛かり呼びとめられた。

 

「達也」

 

「なんだ? ……向こうじゃ話にくい話題か?」

 

「うん……あんまり大勢に聞かせる話じゃなくて」

 

「分かった。他言は控えよう」

 

 

 躊躇と迷いで硬くなっていた幹比古の表情が、達也の言葉に少し緩んだ。

 

「達也は話が早くて助かるよ」

 

「あまり長くここに籠っていると変に思われるから、幹比古の方も手短に頼む」

 

 

 自分がいる場所を改めて自覚し、幹比古は慌て気味に口を開いた。

 

「達也、今日の式に新任のローゼン日本支社長が来てたのを知ってる?」

 

「知ってる。一言だけ挨拶もさせてもらった」

 

「一言だけなの? 去年の九校戦の後夜際パーティーじゃ、前の支社長から随分熱心に勧誘されていたみたいだけど」

 

「今日は幸い、時間が無かったからな」

 

 

 昨夏の鬱陶しい記憶を掘り起こされて、達也は渋い顔を見せた。

 

「それで、ローゼンの新支社長がどうかしたのか」

 

「新支社長の名前は覚えてる?」

 

「エルンスト・ローゼン。ローゼン本家の人間らしいな」

 

「そうだね。久々の大物だって業界紙が騒いでる。そして彼は、エリカのお母さんの従弟に当たる人物だ」

 

「エリカの母君はローゼンの縁者だったのか」

 

 

 達也の言葉に、幹比古は小さく、だが見間違えようもなく頷いた。

 

「エリカのお母さんのお父さんが日本人女性と駆け落ちしたらしくて」

 

「駆け落ちとはまた古風だな」

 

「まぁね……親族の反対を振り切って日本に逃げてきたから、ローゼン本家とは絶縁状態だ。お祖母さん――エリカのお母さんのお母さんの御実家も二人の関係を快く思わなかったみたいで、エリカのお母さんは相当苦労したそうだよ」

 

「気の毒な話だが、それで?」

 

 

 不幸な家庭事情だと達也も思うが、エリカに同情させることが幹比古の目的ではないと判断し、早く本題に入るように促した。

 

「……この一件以来、ローゼン本家は日本に良い印象を持ってなくてね。商売上日本に拠点を置いていても、本家の人間が支社に籍を置く事は無かったんだ」

 

「そういえば、そうだな」

 

「僕の考え過ぎかもしれないけど……エルンスト・ローゼンの来日は、エリカと無関係じゃない気がする」

 

「それで、俺にどうしろと?」

 

「具体的に何かをしてほしいわけじゃないよ。ただ気にかけておいてほしかったんだ。いや、そうじゃないね……僕一人が抱え込むには少し重すぎるから、達也を巻き込んでおきたかったのかな」

 

「酷い話だ」

 

 

 自嘲気味に幹比古が呟き、達也は率直な感想を幹比古に向けた。だが言葉に反して非難する色合いは持ってないように幹比古には感じられたのだった。

 

「まぁ、覚えておくさ」

 

「うん、ありがとう」

 

 

 片手を上げこの場を去って行った達也に、幹比古はもう一度頭を下げ、自分も少し間をおいて戻る事にした。さすがに同じタイミングで出るには、不適切な場所だったからだ。




人を巻き込むのもよく無いですよね……

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