約束の時間丁度――午後八時、克人は七草家の敷居を跨いだ。応接室に案内され、克人は面談に応じた七草弘一に――
「反魔法師報道の一方を使嗾しているのは貴方ですか」
――と質問形式で推測をぶつけた。
それに対する弘一の答えは――
「良く調べましたね」
――と、実にあっさりと克人の推測を認めるものだった。
「お父様! 何ということを!」
ぬけぬけと頷いた父親に、逆上した真由美が食って掛る。
「落ち着きなさい、真由美。何をそんなに興奮しているんだね」
「これが落ち着いていられますか! お父様のなさったことは十師族に対する、いえ、日本魔法界に対する裏切りですよ!」
「裏切りではない。真由美、お前は考え違いをしている」
「何を――」
「七草」
なおも父親を詰問しようとした真由美を、克人が制した。今この席にいるのが自分たち親子だけでは無いのを思い出して、渋々口を閉ざし腰を下ろした。
「七草さん。私には貴方のお考えが分からない。だから、ご説明をお願いしたい」
「それは十文字家としての要求ですか」
「十文字家としての質問です」
「同じ十師族の十文字家から七草家への質問とあらば正直にお答えしましょう。まず誤解の無いように言っておきますが、今回のキャンペーンは外国の反魔法師勢力が始めたものです。マスコミへ情報を与えただけでなく、資金的な援助も行っています」
「マスコミに対して資金援助ですか?」
「寄付とか広告とか理由は何とでもつけられますし、名義だってどうにでもなりますから」
克人の呈した疑問に、弘一は静かな自信を漂わせながら答えた。
「では、七草さんのマスコミ介入は、それに対抗する措置だという事ですか」
「克人君、『世論』に対抗する有効な手段が何か、分かりますか?」
突如教師口調で問い掛けてきた弘一に質問に、克人は回答する姿勢を見せなかった。弘一は答えを聞きたいのではなく、答えを述べたいのだと、克人にも分かっていた。
「本来『オピニオン』とは意見であり判断だ。それは、誰かが述べ誰かが担うもの。オピニオンはそれを主張する者に属するものであり、それを主張する者が責任を負う」
弘一の説明を、真由美は克人の隣で黙って聞いているだけのつもりだった。だが、弘一の世論の説明の中で、どうしても聞き捨てならない単語が真由美にはあった。
「世論には早い者勝ち的な面があります」
「今回は反魔法主義者が『早い者』だったと言いたいのですか、お父様」
「反魔法主義の種は既に一年以上前から撒かれている。我々が立場上反論出来ないものを見越してな」
娘の癇癪を爆発前に軽くいなし、弘一はすぐに克人へ視線を戻す。
「世論に反論してもあまり効果はありません。では世論に対抗する為にはどうすれば良いと克人君は思いますか」
「分断を図れば良いでしょう」
「正解です」
それが唯一の正解でないとお互いに知りながら、弘一はなおも多弁を振った。
「これはガス抜きなんですよ、克人君。持たざる者が持つ者に嫉妬を覚えるのは仕方が無い事なんです。ある程度発散させるしかありません。一つに纏まって大火となる前に、火種を分けて複数の小火にした方が鎮火も早いのです」
「大火よりも小火が良い。なるほど、それはそうでしょう。だが、小さな火事で命を落とす人もいる。火種を分散する事で消火が追いつかなくなれば小火が小火で消し止められず、人命を奪う火事になってしまう事態も想定される」
「仮定の話だ」
「お互い様です」
弘一と視線をぶつけあい、相手が口を開く様子が無いと見極めて克人は立ち上がった。
「七草殿。十文字家は七草家のマスコミ工作に遺憾の意を表明し、直ちに反魔法師キャンペーンへの関与を止めるよう求める」
「七草家は十文字家に対し、書面による抗議を求める。回答は正式な抗議状を見て行いたい」
「承知した。家に戻り次第、したためましょう」
「本日はわざわざご足労いただき申し訳なかった。真由美、十文字殿がお帰りだ。玄関までお送りしなさい」
克人は無言で弘一に一礼し、弘一も無言で一礼を返す。真由美は踵を返した克人の前に慌てて移動し、玄関へ向かう彼を先導した。
真由美が克人を見送り戻って来た時、弘一はまだ応接室に留まっていた。真由美は厳しい表情を浮かべて、ソファでくつろぐ父親の前に立った。
「真由美、この件は九島先生もご存知だ。先生は私の考えに反対されなかった」
「老師が……?」
弘一の狙い通り真由美は戸惑いに捕らわれ口ごもったが、ここで矛を収めはしなかった。
「老師にどのようなお考えがあるのか私には分かりません。私に分かるのは、このように同じ国の、同じ魔法師の人生を徒に引っかき回すような真似は間違っているという事です」
予想外の粘りを見せる娘に、弘一はポーズではなく意外感を覚えていた。
「長くてもせいぜい一ヶ月程度だ。人生に干渉するなどと大袈裟な事態に発展させるつもりは無い」
「僅か一ヶ月であっても、一週間であっても、心無い中傷が心に一生の傷を与えることだってあるはずです。悪意を以てペンを使えば、剣を振うよりも深刻な傷痕を残す……ペンが剣よりも強いのは、善良な力としてばかりではないと思います」
いつもの真由美であれば、とうに引いているところだ。娘のらしからぬ強硬な態度に、弘一はふと疑問を覚えた。
「真由美、お前はいったい誰の為に怒っているんだ?」
「えっ……?」
この思い付きで放たれた問いかけが、思いがけないダメージを真由美に与える。
「克人君の為か? それとも、第一高校の後輩の誰かの為か?」
「私は別に……」
九島烈の名にも屈しなかった真由美が、動揺を露わにして居竦まっていた。
「と、とにかく、お父様や老師がどのようなお考えをお持ちかは存じませんが、このような活動は直ちに止めるべきだと思います」
逃げ去るように応接室から出ていった真由美の見て、弘一はさらに疑問を覚えたのだった。
「誰か、想う人でも出来たのだろうか……」
婚約者候補として、五輪洋史が第一候補、第二候補が十文字克人なのだが、娘がそれに反対している事を知っている弘一は、ふとそんな事を思ったのだった。
真由美は誰の為に怒ったんだろう……(すっとぼけ)