四月二十四日、火曜日。この日も七宝琢磨は「新秩序」を目指す同盟者、小和村真紀との密談を終えて帰宅した。時刻は既に二十三時。家の者に迷惑をかけないよう、食事は外で済ませたし、それを含めて自分の事は気にしないよう早めに連絡を入れてある。住み込みの使用人の大半は既に就寝しているはずで、彼らを起こさないよう琢磨はチャイムと連動していない勝手口からそっと家に入った。
ところが、靴を脱いだ途端、待ちかまえていた彼より少し年上の青年から琢磨は声を掛けられた。
「琢磨さん、先生が書斎でお待ちです」
「……分かった」
先生というのは七宝家当主、七宝拓巳の事だ。父親の助手であるこの青年は、父親に言い付けられて琢磨の帰りを待ち構えていたのだろう。面倒だ、と琢磨は思ったが無視するわけにもいかない。琢磨は少し間をおいてから答え、書斎へ足を向けた。
七宝家の表向きの家業は投資顧問業で、特に天候デリバティブの分野を専門としている。農業のプラント化が進んだ事により食料ビジネスにおける天候デリバティブの役割は縮小したが、その反面先進国で太陽光由来のエネルギーが電力供給の主流を占めるに至り、日照時間予測は企業収益計画の重要なファクターとして定着している。
七宝拓巳が「先生」と呼ばれているのも、国内における年次気象予測の第一人者として認められているからだ。しかし今、琢磨が向かい合っているのは師補十八家当主、十師族に匹敵する魔法技能を持つ魔法師としての七宝拓巳だった。
「琢磨、高校はどうだ。楽しんでいるか」
こんな時間に呼びつけておいて世間話か、と琢磨は反射的に思った。
「親父、何度も言ったはずだ。俺にとって高校は楽しむ場所じゃない」
「やれやれ、強情だな、お前は。何もそう肩肘張る事はあるまい」
「親父の方こそ何でそんなに暢気なんだ! 次の十師族選定会議まで一年を切っているというのに。このままではまた風見鶏の七草に十師族の地位をかっさらわれて、七宝はあいつらの下風にあまんじなければならなくなるんだぞ!」
力の抜けた拓巳の態度に、琢磨は苛立ちを爆発させた。
「選定会議は二十八家から十家を選び出すものだ。七草家だけに拘っても本当は意味が無いという事くらい、琢磨、お前にも分かってるはずだろうに」
琢磨を諭す拓巳の声には、徒労感が所々からにじみ出ていた。拓巳がこの話をするのは、今日が初めてではない。この一年、息子と全く顔を合わせなかった日を除いて、一日一回は似たような事を言って聞かせていた。しかし琢磨が父親の言葉に頷いた例しも無かったが。
「意味はある」
「七草家も二十八家の一つでしかないんだぞ」
「あいつらは違う」
「琢磨」
「同じじゃない。七草は違う」
琢磨の頑なな態度に、拓巳は疲労感の漂うため息を吐いた。
「いったい誰がお前にそんな妄執を植え付けたんだ?」
「誰でも良い! 三枝が『三』を裏切り『七』の成果を盗み取って十師族の地位を手に入れたのは事実じゃないか!」
「琢磨……『七草』が『三枝』だったのは十師族の秩序が定められる前だ。琢磨、七草家の魔法師も我々と同じ実験体だったんだぞ。彼らもまた、作られた存在だ。ただ彼らは実験体に甘んじていた他の二十七家……いや、二十六家と違って自らの道を選び取った。それは責められるべき事では無く、むしろ賞賛されるべき事だ」
「……親父は裏切り、出し抜く事が賞賛すべき行為だというのか?」
辛うじて琢磨が言葉を返した。
「お前も現十師族を出し抜こうとしているではないか」
「それは……」
だが琢磨の反論はブーメランの如く自分の元へ戻って来た。
「まあいい。私が何を言ってもお前が納得しないのは分かっていた。それに今日は別の話があってお前を呼んだ。琢磨、明日学校を休め」
「親父? いきなり何を言い出すんだ」
琢磨の訝しげな顔はポーズではない。彼は本当に父親に対して不審を覚えていた。
「明日、野党の神田議員が第一高校へ視察に訪れる」
「野党の神田って、人権主義者で反魔法主義者の神田か?」
「そうだ。取り巻きのマスコミを連れてな」
「何のために」
「魔法を強制されている少年たちの人権を守るパフォーマンスがしたいのだろう」
「人権!?」
分かっていても琢磨はそう吐き捨てずにいられなかった。彼の顔には「大きなお世話だ」と大書されていた。
「お前の言いたい事も分かるが、相手は国会議員だ。問題を起こすのは拙い」
「いくら気に食わない相手だからといって、後先考えずに喧嘩を売ったりしない。俺はそこまでガキじゃない」
「相手の方から喧嘩を売ってきても、か?」
「……っ、当たり前だ! そう易々と挑発に乗るものか」
拓巳は身体の力を抜き、ソファの背もたれに大きく身体を預けた。
「ならば良い。そこまで言い切ったのだ。自分の言葉に責任を持てよ」
「分かってる! 話はそれだけか」
「琢磨、この件は七草殿が対処する。くれぐれも余計な手出しをするなよ」
「七草が!?」
拓巳のセリフは、息子の態度の不安を覚えた故のものではなく、タイミングを計っていたものだった。案の定、琢磨は激しい反発を示したが、既に言質を取られた後だった。
「余計な事はするな。自分の言葉に責任を持て。七宝はこの件に介入しない。いいな、琢磨。これは決定だ」
「――分かったよ!」
今更前言を翻せるはずも無く、琢磨には他に答えようが無かった。
「それから、今回の件は、七草殿の考案では無く、第一高校二年、魔工科所属の司波達也君が中心となって行われる実験だ。七草家はそれを手伝うに過ぎない」
「司波……先輩が?」
雑草と見下していた為、琢磨は一瞬呼び捨てにしそうになったが、何とか取り繕った(と琢磨は思っているが、拓巳にはバレバレだった)。
「彼は非常に優秀な魔法技師らしいな。去年の九校戦での活躍、選手だけでなく裏方としても貢献していたらしいじゃないか」
「そうらしいな……七草の姉が誑しこんで代表入りさせたらしいと聞いた」
「お前は……十文字家の次期当主もいたんだぞ。七草の真由美さん一人で決められるわけ無いだろ」
琢磨の思い込みをまた一つどうにかしようとしたが、拓巳は徒労に終わると確信していた。案の定、琢磨は不貞腐れて書斎から出て行ってしまったのだった。
琢磨は自分の発言が自分の首を絞めるとは思って無かったんだろうな……言質取られちゃってまぁ……