怪人は腰を抜かしてソファにへたり込んだ真紀の前に立つと、聞き覚えのある声でこういった。
「服を直してもらえませんか」
そういわれて、真紀は自分が半裸の状態であることを思い出した。ワンピースはすっかりはだけられ袖しか身体を隠す役に立っていない。下着はまだ役目を果たしているが、露出している肌には前段階の痕跡があちこち記されている。
「あら、服を着ちゃっていいのかしら?」
真紀はガタガタ震えだしそうになる身体を全力でコントロールして「婀娜っぽい仕草」を演じてみせた。この怪人が彼女の思っている通りの少年なら、きっと飛びついてくるはず。何が目的か分からないが、情を交えれば自分に有利な方へ持って行く自身が真紀にはあった。
だが、彼女の企みは第一歩を踏み出す前に失敗に終わった。
「もちろんです。まあ、貴女がそのままでいいと言うなら俺は構いませんが」
頭から冷や水を浴びせられたような錯覚に陥った。プライドを傷つけられた冷たい怒りが怯えを忘れさせる。彼女はムッとした表情で身形を整えた。
「……これで良いかしら。ところで、何時までそんな物を被っているつもり? 似合っていないわよ、司波達也君」
覆面で表情が隠れていても、達也が少しも動揺していない事が真紀には手に取るように分かった。というか、分からせられた。達也がごく自然に真紀の挑発を無視した事で。
「では、話合いに移りましょう」
「話合い? いったい何が目的なのかしら」
「まずはこれを聞いてください」
言葉遣いが普通に丁寧な事に、真紀は違和感を覚えた。だがそんなものは達也の手にする端末から再生された声を聞いて、一発で吹き飛んだ。それは、彼女と琢磨がソファの上で絡みあっている最中の声だった。
「盗み聞きしていたのね!? この変態!」
カッとなった心を抑えられなかった真紀が思わず叫んだ。だが、再生を止めて達也が告げた一言に真紀の心は冷静を通り越して冷却される。
「これがマスコミに流失したら大問題でしょうね。先日も似たようなニュースで大騒ぎになりましたし……峠を越えた元アイドルでもあの騒動だったんですから、今まさに旬の美人女優が」
「何が望みなの!?」
ヒステリックに叫ぶ真紀と対照的に、達也の声は落ち着いていた。
「要求は二つです。一つ目、七宝と切れてください。ああ、そういう意味で言ってるんじゃありませんから理解出来ないフリは無しですよ」
「分かってるわよ」
まさしくそういう解釈で話を逸らそうとした真紀は、先に釘を刺され不貞腐れた声で頷いた。
「二つ目。高校生以下には手を出さないでください」
「……どういう意味かしら」
「貴女が何を目論んでいるのか、詳しい事は知りません。もしかしたら魔法師にとって有益な事なのかもしれませんが、そこに興味はありません。ただ、俺の周りを引っかき回さないでもらえますか」
「えっ……?」
「大学生以上なら相手も大人ですから、貴女が何をしても干渉するつもりはありません。俺の不利益にならない限りは、ですが。この要求を受け入れていただけますか」
「え、ええ……そんな事で良ければ」
真紀はこの時悟った。この少年は国家権力を恐れていない事に……
「貴方、何者なの?」
「要求の履行を確認次第、音声データは消去します。有意義な話し合いを感謝します」
質問の答えを得る事も叶わず、達也の姿がベランダから消えた。真紀は驚き外を確認したが、達也の姿は無く、自分の部屋に近づいて来る飛行船を確認したのだった。
「なに、あの飛行船……」
見た目はテレビ局の飛行船だが、その場所から漂っている気配は普通のものではないと真紀にも感じ取れた。スキャンダルを狙って自分の部屋を狙っているのではなく、明確な殺意を持ってこの部屋を覗いている、そんな風に真紀には思えてならなかった。
だが、彼女の周りには今頼れる人間がいない。琢磨は達也にぶつけられた催眠ボールの影響でぐっすりと眠っているし、ボディガードは達也に倒されてノックアウト状態だ。この状況で襲われれば、真紀は抵抗する術がない。
「でも、何で私が狙われ……え?」
真紀は自分の目を疑った。一瞬目を離した次の瞬間には、その飛行船は跡形も無く消えており、飛行船があった場所から何かが落ちたように見えたのだ。
「今のって、確か司波達也君がしていた格好よね……」
落ちて行った物体は黒い覆面に翼のようなものを背負った人型だったと真紀には見えた。それはつまり、つい先ほどまで自分の部屋で脅迫紛いな事をしていた少年の格好とまったく同じものだったのだ。
「もう、何が何なのよ……」
この短時間で自分の理解が及ばない出来事に複数直面し、真紀は大いに混乱していたのだった。
真紀の父親を粛清対象と定め、見せしめに真紀を始末しようと動いていた大亜連合・無頭竜の残党を片付けた達也は『再成』が無ければ二度と動けなくなるくらいの衝撃を背中に受けていた。
『達也君、大丈夫!?』
「ええ、再成が無ければ死んでいたかもしれませんが」
『それは大丈夫って言わないの!』
通信端末から響く、悲鳴にも似た響子の言葉に、達也は素直に頭を下げた。
「敵は大亜連合ですね。話し方に訛りがありました」
『おそらく、小和村真紀の父親のテレビ局が、指示通りに動かなかった事に対する粛清だったんだろうね』
「こんな街中で、ですか? 随分と考え無しですね」
『詳しい事は分からないさ。なにしろ、確かめたくても君が消し去ってしまったからね』
『大尉、あのまま放っておけば色々と面倒になった事くらい分かってますよね?』
『分かってるさ。だから達也君に任せたんじゃないか』
「……とりあえず、俺は帰ります。この覆面と翼は分解しておけばいいんですよね」
『ああ。良いデータが取れたからね』
達也は自分が使っていた電波妨害の施された覆面と翼を捨て、跡形も無く分解して駅に止めてある大型二輪まで屋根を伝って移動した。今あの車内に戻ると、響子が心配して当分帰してもらえないと、達也は痛いほど理解していたからだ。
敵もあっさり墜とすとは……