琢磨は壁に背を預けて座り込んだまま、目の前で行われている攻防に圧倒されていた。一見ただ殴り合っているように見えるし、時々蹴り技も繰り出されているから単なる格闘技の試合に見えるが、一つ一つの打撃には高度な魔法が織り込まれている。それを理解する天分を持っていたから、彼は強いショックを受けていた。
先ほどから、十三束が足を踏み下ろした瞬間に地面が揺れているように琢磨には思えた。もちろん、それだけで十三束の術式解体が破れるとは思っていない。だが十三束の動きを僅かに停滞させる程度の効果はあるようだった。その僅かな隙を突いて、達也がCADの引き金を引く。それと全く同時に琢磨が起動式の展開を知覚する間も無く振動魔法が十三束を襲う。想子を揺らす、振動系魔法であり無系統魔法でもある術式。
達也の攻撃に倒す威力は無くとも、全く効果が無いという事では無かった。想子の振動波を受けて十三束自身の纏う想子の場も僅かに揺らぐ。それが騒音となり煙幕となって十三束の感覚を鈍らせる。
達也が左掌底打ちを繰り出す。その掌には何らかの魔法が込められている事を琢磨は知覚した。その攻撃を防御した十三束は、達也の腹目掛けて左手を差し出す。ブロックする事が難しい緩やかな打撃に、達也は辛うじて右腕を滑り込ませた。
十三束は加速魔法「エクスプロージョン」を発動させようとするが、その途中で今度は達也の術式解体が破壊する。そして達也は追撃を避けて側方に大きく跳んだ。発動途中で無効化された十三束の加速魔法によって起きていた事象改変を踏み台にして、達也は自分の自己加速魔法を発動させたのだった。
「(そんな事が出来るのか!?)」
琢磨は目の前で繰り広げられている異次元の攻防にすっかり打ちのめされ、大きすぎる衝撃の所為で叫ぶ事も出来なかった。自分が使う魔法と同じ「魔法」のはずなのに、自分の魔法とは次元が違う。琢磨は他人の魔法を利用して新たな事象改変を繋いでいく、などという可能性を考えた事すらなかったのだった。
十三束は戦闘中にも関わらず言い知れぬショックを受けていた。決して本体から離れようとしない想子が、広がる事が出来ない想子の場が、達也の攻撃を受けて少しずつ拡散していた。その事に怯えるのではなく、怯むのでも無く、パンドラの箱の底を覗きこんだような衝撃を受けていた。
広がるはずの無い想子の場が広がっていく。それはあるはずの無い希望ではないか。浮き立とうとする自分の心を懸命に引き締める。自分と相対しているのは余計な事を考えていて勝てる相手では無い。十三束は決着を付けるべく切り札を切る決意をした。
形の無い雲の如く纏わり付いたサイオン粒子が急激に整えられ、十三束の意識の下に秩序を持って掌握されていく。今まで以上の正確さで、ミドルキックが繰り出される。その足には「加熱」の魔法式が構築されていた。達也は肘を作用点とした術式解体で加熱魔法のキックをブロックしようとした。ところが十三束の右足は達也の左肘に接触する直前、不自然に停止した。
右足の蹴りを途中で止めた体制のまま、十三束は右フックを繰り出した。キックをブロックする為に腰を落としていた達也は、この攻撃を回避できる体勢では無かった。
「お兄様!」
「「達也さん!」」
絹を裂く悲鳴が上がり、達也の身体が床を転がる。右足を振り下ろし右手を振り抜き左足一本で立つポーズで、十三束は訝しげに瞬きをした。
「十三束も案外えげつねぇな。あの野郎、司波兄の鼓膜を狙いやがった」
「ほう、自分から飛ばされたのか! あんな体裁きで十三束の『セルフ・マリオネット』を凌ぐとは! 司波君、やるな!」
三年生の二人が言うように今の攻防は行われていた。十三束の訝しげな表情は、硬い感触だったのに手応えが無かったからだ。脳を揺らされないように首に力を入れれば足腰にも力が入り強い手応えが、相手の打撃に逆らわず飛ばされるように脱力していたなら柔らかい感触のはずだったのだ。だが達也は力を入れながら力を抜いていたのであのような感触がかえって来たのだった。
十三束は驚きを後回しにして、再び「セルフ・マリオネット」を発動した。十三束の全身を一つの魔法式が覆っている。複雑すぎて上級の魔法師でも再現が難しいであろう術式を邪魔しない為だろう。無秩序に、ただ身体の周りを巡っていた想子が組織化され秩序化されて、セルフ・マリオネット以外の術式を寄せ付けない情報体に構築され直して行く。
秩序無き混沌が、秩序ある世界へと変貌する。秩序とは形、即ち構造。達也の分解は構造の破壊、形なきものは壊せないが、形のあるものならばそれが情報そのものであっても彼には分解可能だ。
CADに想子を注入する。使っているふりではなく分解魔法が格納されたCADを使う為に。選ぶ魔法は「術式解散」。引き金が引かれ、構造を得た十三束の鎧を消し飛ばす。剥き出しの武闘人形と化した十三束に、左手に圧縮した想子の塊を達也は打ち込んだ。
人外を敵として修業した高圧高硬度の遠当て「徹甲想子弾」が達也の手を放たれ武闘人形と化した十三束を貫いた。
「勝者、司波」
十三束が軽い脳震盪を起こした事を確認した服部が達也の勝利を宣言した。その宣言を受けて、雫、ほのか、深雪の三人が達也に飛びつきそうになったが、ギリギリで踏み止まった。
「十三束、立てるか」
「ありがとう」
差し出された達也の右手を十三束は倒れたまま右手で掴んだ。達也の手を借りて十三束が立ち上がる。
「思った通り、強いね、司波君」
「十三束もな。これはかなり効いた」
素直に兜を脱ぐ十三束に、達也も赤くはれた頬を指して笑顔で答えた。その横を走り抜ける人影。
「おい。七宝!」
琢磨は振り向かず、第三演習室から逃げ出した。
香澄、泉美以外は誰にしよう……