深雪をヘアサロンへ送り届け、終わるまでの時間をどう過ごすか悩んでいた達也の背後に、知り合いの気配がしたので振り返ると、そこには滅多に会わない親戚の女性が立っていた。
「やっぱり気づかれちゃったか……さすがは達也さんね」
「珍しいですね、こんなところで」
「達也さんだって一人なのは珍しいんじゃない? 深雪さんは?」
「深雪なら今ヘアサロンにいます。あそこに俺が留まるのはマズイでしょう」
「確かに。過保護なお兄ちゃんだって思われちゃうかもしれないものね」
「……それで、何故貴女がこんな場所に一人でいるんですか……夕歌さん」
四葉家の分家筋に当たる津久葉家の娘で、深雪と同じく四葉家次期当主候補である津久葉夕歌がそこにいたのだった。達也が疑問視しているのは「ガーディアンを連れずに何故」という意味である。
四葉家当主候補という身分は、普通の分家筋の人間とは訳が違う。いくら夕歌本人が優秀だからと言って、簡単に一人で出かけられる立場では無いはずなのだ。
「あれこれ五月蠅いから撒いてきたの。だから今は自由なのよ」
「……夕歌さんの事を思って言っているのではないのですか?」
「私はもう十分大人なのよ? それなのにあれもダメこれもダメって、逃げ出したくなるのは当然でしょ?」
「何を制限されたのか知りませんし、生憎俺に欲求らしいものは大してありませんから」
「あっ……そうだったわね、ゴメン」
達也の事情を知る夕歌としては、今のは失言以外の何でも無かったと後悔した。だが達也本人はそんな些細なことを気にする程繊細な造りをしていないので、夕歌が気にしているのを無用な事だと視線で伝えた。
「……そうだ! 達也さん、この辺りを案内してもらえないかな?」
「俺がですか? せっかく一人になれたのに、俺に案内させるのはどうなんでしょう……」
「あの人よりは達也さんの方が落ち着けるし、なによりあれこれ言わないでしょ?」
夕歌のイタズラっぽい笑みを見て、達也は何を言っても無駄なのだと理解した。
「案内するのは構いませんが、いったい何を見たいんですか?」
「そうねぇ……そろそろ夏物を買いたいし、達也さんに選んでもらおうかしら」
「選ぶ? あんまり期待されても困りますよ」
「そうなの? 達也さんなら色々な女性の服を選んできたんじゃないのかしら」
「人をなんだと思ってるんですか、貴女は……」
盛大なため息を吐いた達也に満面の笑顔を向け、夕歌はスルリと達也の腕に自分の腕を絡めてきた。
「それじゃあ行きましょう。これならナンパも無いだろうし、エスコートに見えるでしょうしね」
「どちらかと言えばいちゃついているカップルに見えるかもしれませんので、絡まれる確率が上がった気がしますよ」
「細かい事は気にしないの。エスコート、よろしくね」
「……畏まりました、夕歌お嬢様」
恋人では無くあくまで自分の立場は夕歌より下だと達也はハッキリとさせておきたかったのだが、「お嬢様」と呼んだ途端に夕歌の機嫌が悪くなっていくのを確かに感じた。普段から呼ばれ慣れているだろうし、今更その事で不快感を示すとは達也にとって予想外でしかなかった。
「何でしょうか」
「今は『お嬢様』なんて呼ばれたくないわ。普段通り呼んで」
「はぁ……では行きましょうか、夕歌さん」
「うん!」
呼び方一つでここまで変わるものなのかと呆れながらも、達也は夕歌に言われるがままエスコートするのだった。
女性の買い物に付き合うのに慣れている達也は、女性服売り場だろうが下着売り場だろうが平然と相手を待つ事が出来る。感情が無い、と言うのも多分にあるのだろうが、一般の高校生とはこういった経験値が違う。店員の視線や周りの客の視線など一切無視して、達也は夕歌が試着室から出てくるのを待っていた。
「おまたせ。どうかな?」
「お似合いですけど、少し地味過ぎませんか?」
「そうかな? 黒とか白が好きだから、私的にはこれで良いんだけど」
「もう少し明るくても良いと思いますよ? 夕歌さんは確かに黒とか白がお好きなのでしょうけども、偶には違う色も試すのもありだと思いますよ」
「そう? じゃあ別のも試着してみようかな」
現在夕歌が試着しているのは水着だ。夏物と言われたのでてっきり服か小物かと思っていた達也だったが、水着売り場に連れて来られても動揺一つ見せる事無く、あまつさえ夕歌に感想を求められても口ごもる事無く的確にアドバイスを行っているのだった。
「達也さん、これはどうかしら? 少し派手じゃない?」
「よくお似合いですよ。でも、夕歌さんが派手だと思うのでしたら、さっきの黒いヤツでも良いと思いますよ」
「……じゃあ両方買おうかな。せっかく達也さんが似合うって言ってくれたんだし」
二枚の水着を持って会計に向かうと、途中で達也に商品を取られそのままレジに持って行かれてしまった。
「ありがとうございました」
「夕歌さん、行きますよ」
「え、えぇ……ありがとう」
五歳年下の男の子に奢ってもらったのに戸惑いながらも、夕歌は店に入って来た時と同じように達也の腕に自分の腕を絡めた。
「何だかデートみたいね。した事無いけど」
「夕歌さんなら付き合いたいと思ってる男性は多いと思いますけど?」
「でもほら、ウチは事情が事情だから……」
「なにか?」
言葉を途中で止めた夕歌を不審に思い、達也は立ち止り夕歌の顔を覗きこんだ。そこには、何か悪だくみを企てているという事が顔全体に書かれているような表情を浮かべた夕歌の顔があった。
「ウチの事情を知ってて、更に強くて「あの人」の代わりを任せられて、更に更にカッコいい人、今ここにいるじゃないの」
「………」
「しかも経済面でも優秀だし、技術者としても最高の腕を持っている! ご当主様や亜夜子ちゃん、深雪さんには悪いかもしれないけど、これは逃す手は無いわね」
「何を考えているんですか?」
だいたい理解している達也も、聞かずにはいられなかった。聞いたところでどうする事も出来ないと分かっていながらも、彼女の口から聞きたいと思っているのだ。
「達也さん、私とお付き合いしてください。もちろん、貴方の立場は保証出来ます」
昔から自分の事を認めてくれている年上のお姉さん。達也も心のどこかで夕歌に惹かれていたので、彼女の申し出を二つ返事で了承したのだった。
夕歌さんなら真夜も深雪も暴走しない……のか?