劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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我がまま、なのでしょうか……


深雪の我がまま

 三日目、一高の成績はアイス・ピラーズ・ブレイク男子ペア三位、女子ペア一位。シールド・ダウン男子ペア一位、女子ペア予選落ち。シールド・ダウンの女子ペアが誤算だったが、これは予選リーグで優勝した三高ペアと同じ組になったからで、もし予選で三高に勝っていれば逆に一高が優勝していただろう。

 しかし結果は結果である。二日目終了時点で四〇点だった三高と一高の点差は一〇〇点に開いた。その所為で夕食の席も優勝したペアを祝うという雰囲気は盛り上がらなかった。

 

「雫、優勝おめでとう!」

 

「まあ、雫の実力なら当然よね」

 

「うんうん、おめでとー雫」

 

 

 その代わり、というわけでもないだろうが達也の作業車で行われる夜のお茶会で、雫の優勝を祝う言葉が飛び交っていた。

 

「ありがとう、皆。明日は深雪の番だね」

 

 

 少し照れくさそうにしている雫が、深雪にエールを送る。

 

「ええ、私も頑張らないと」

 

「深雪は頑張ろうなんて考えない方が良いんじゃないかな、肩に力が入ると思わぬ落とし穴にはまるかもしれない」

 

「落とし穴にはまったくらいで深雪が負けるなんてあり得ないんじゃない? 気をつけなきゃいけないのはせいぜいフライングで失格になる事くらいかな」

 

「それが最大の落とし穴だね」

 

「もう……スバルもエリカも私の事をそんなにドジだと思っているの?」

 

 

 スバルとエリカが注意を促すふりをして軽口を叩いたのは、雫と深雪の間で醸し出されたピュアな雰囲気に堪えられなかったからだろうか。その証拠にというわけでもないが、深雪が軽くおどけた口調の抗議を返したところで、一座は弛緩した空気に包まれた。

 

「いや、そういうわけじゃないけどね」

 

 

 スバルが苦笑いしながらそう返し、深雪からもそれ以上の追及は無かった。女の子たちの華やかなお喋りが微風に乗って夜空に溶ける。達也の作業車で行われる夜のお茶会は、予想通り人数が増えて賑やかなものになっていた。

 

『マスター』

 

 

 いきなりピクシーからテレパシーで呼びかけられ、達也は緊張を隠した何気ない顔で立ちあがった。彼はある特定の場合以外、ピクシーにテレパシーの使用を禁じていた。つまり、その状況が生じたという事だ。

 

「お兄様?」

 

「達也さん?」

 

「どうかしたの?」

 

「機械の調子がおかしいようだ。ちょっと見てくる」

 

 

 深雪とほのかと雫にどうとでも解釈できる言い訳を残し、達也は作業車の中へ向かった。

 作業車の中に入ると、ピクシーが運転席の情報パネルに地図を呼び出していた。地図の中心に置かれたカーソルは、スティープルチェース・クロスカントリーのコースを挟んでここと反対側の軍用道路に合わせられている。

 

『この地点に同胞の反応をキャッチしました』

 

「反応はまだ続いているか?」

 

『まだ続いています。私の存在も認識されたようです』

 

「何体いるか分かるか」

 

『十六の個体が識別されます』

 

 

 それは達也が旧第九研の中に認識したガノノイドの数と一致していた。

 

『あっ……』

 

「どうした」

 

『同胞の反応が一斉に消失しました。休眠に入ったものと思われます』

 

「移動の兆候は?」

 

『反応の継続中には、ありませんでした』

 

「(こちらがパラサイドールを探知したように、向こうもピクシーの所在を知ったはずだ……迷ってばかりいても仕方が無いと昨日決めたばかりじゃないか。無駄足になっても構わない。とにかく仕掛けてみよう)」

 

 

 達也は迷った末にそう決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作業車に隠していた装備を身に着けて車外へ出ると、お茶会は既にお開きとなっていた。わいわいと賑やかにホテルへ戻って行く友人たちを見送っていた深雪が、達也を見上げてにっこり笑った。

 

「お兄様、今からお出かけなのでしょう?」

 

「ああ」

 

「そう思いまして、皆には引き揚げてもらいました」

 

 

 怖いくらいに見透かされているようだが、今更と考える事で達也の動揺は意識の中で顕在化する前に消え失せた。

 

「お兄様、行かないでください」

 

「深雪……お前、何を?」

 

 

 だがこの言葉には達也も動揺を抑え切れなかった。

 

「いいえ。お兄様、行かせません。お兄様が今、敵の許へ向かわれる必要がありますでしょうか? 深雪にはそう思えません」

 

「敵の居場所をピクシーが探知した。漸く掴んだ手掛かりだ」

 

「それ以前の問題です。私がお訊ねしたいのは、何故お兄様が九島家の実験を事前に阻止すべく動かなければならないのかということです。これは私の身勝手かもしれません。私は今回お兄様のお役に立てていないから、こんな恥知らずな事を考えてしまうのかもしれません。お叱りは甘んじて受けます。ですが、お兄様。その前にどうかお聞きください」

 

 

 達也は深雪の眼差しから目をそらせなかった。

 

「九島家の実験にお兄様が責任を負われる謂われは一切ございません。それと同時にスティープルチェース・クロスカントリーに出場する全ての選手に対してお兄様が責任を負わなければならない道理もございません。お兄様、深雪は今から我がままを言います。とても浅ましい事を申し上げます。お兄様は私だけを守ってくださればそれで良いのです。お兄様が責任を負う相手は、私だけで良いのです」

 

 

 彼女の声は、今にも泣きそうに震えていたが、それでも深雪は涙を流さずに達也と視線を合わせる。

 

「それでも行くと仰るなら、僭越ながら力ずくで止めさせていただきます」

 

 

 深雪の中に、禁断の力が満ちたのを感じ、達也は『今』パラサイドールの殲滅に向かう事を諦めた。

 

「……分かった。今日は部屋に戻ろう。深雪にその力を使わせたら俺でも逆らえないからな。二人で四葉に戻るのは遠慮したい」

 

「達也兄さま、装備は私が片付けておきます」

 

「ああ、すまないな」

 

 

 外した装備を水波に手渡し、達也は深雪を連れて部屋へと戻って行く。本心では水波も止めたかったので、今回は深雪の行動に全面的に同意していたのだった。

 

「深雪さま、あの力は使ってはいけないと言われているはずなのに……」

 

 

 残された水波は、そのような事を呟いて作業車に達也の装備を再び隠したのだった。




甘えたいだけ、のようにも聞こえますけどね。

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