九校戦九日目。戦いは新人戦から再び本戦へ。この星空の下、ミラージ・バット、別名フェアリー・ダンスの決勝が行われようとしていた。一高はほのかとスバルの二人を決勝に送り込んでいる。ほのかのエンジニアは達也、スバルのエンジニアはあずさ。共に二年生ながらここで一気に三高を逆転しようという作戦だ。三高の決勝進出選手が愛梨一人に留まっている時点で、この作戦は半分成功していた。残る半分を手元に引き寄せる為のお膳立ては、達也もあずさも手を尽くしている。後は選手次第だ。
ライトライムを基調にした身体にフィットするユニフォームに着替えたほのかが、達也の前で少し恥ずかしげに立っている。競技用の服と分かっていても、これだけ至近距離で異性の目に曝されるのは恥ずかしい格好なのだろう。
「全て異常無し。自分で何処か違和感を覚えるところは無いか?」
「いえ……ありません。大丈夫です」
CADのチューニングをチェックする上で、達也がほのかの身体をじっと見まわす事になるのも仕方の無い事だ。達也に限って言えば、機械で計測するより自分の眼で調べた方が確実なのだ。だがほのかは達也の事情を知らないので、蚊の泣くような声で返事をするのがやっとだ。
試合に集中させる為、予選の前と同じように少し一人にしておくか、と達也が考えほのかに声を掛けようとした丁度その時、隣のブースであずさと最終調整を行っていたスバルが入って来た。
「司波君、お邪魔するよ」
「何か用か?」
「ちょっと司波君に挨拶しておこうと思ってね」
「挨拶? 俺に?」
「そう、君に」
スバルがもったいぶった仕草で頷く、もっとも彼女のこれは何時もの事で、達也ももう気にならない。
「この試合、僕が勝たせてもらう。悪いけど司波君の不敗神話は今日でストップだ」
「俺が勝ったわけじゃないんだがな」
「それでもだよ。司波君が担当する選手は負けない。僕はこの神話を打ち破って見せる」
「そうか」
短くスバルに返し、達也はスバルを見送った。そして視線をほのかに戻すと、彼女は何故か燃えていた。
「達也さん! 私、頑張ります。頑張って優勝します! 達也さんの不敗記録は私が守って見せます!」
その瞳に最早恥じらいは無い。その代わりに闘志の炎が燃え盛っている。自爆が懸念される勢いだが、ほのかの場合ここで水を差すと著しく逆効果になると、達也は一年の付き合いで学んでいた。
「そうか、頼りにしている」
「はいっ! スバルにも、一色さんにも負けません!」
ほのかは嬉しそうに気合い満タンの笑顔で頷いた。
ミラージ・バット決勝戦。結果はほのかが優勝でスバルが二位。愛梨は何か気にしていたのか実力を発揮しきれずに三位に終わった。獲得ポイントは一高八〇点に対して三高二〇点で、総合順位でついに一高がトップに立った。
一高生が集まった夕食の席では喜びよりむしろ安堵の雰囲気が漂っていた。
「途中どうなる事かと思ったが、何とか今年も行けそうだ。今日は吉田が殊勲者だな。本当に良くやってくれた」
幹比古を褒めそやしたのはモノリス・コードでチームを組んだ三七上ケリーという名の三年生だ。
「いえ……僕だけの手柄ではありません。先輩方にもフォローしていただきましたし、達也にも助けてもらったので……」
「そうだな。おいっ、司波!」
顔を上げてこちらを向いた達也を、ケリーがちょいちょいと手招きする。
「まあ座れ」
妹の深雪をはじめとする華やかな女子の集団から男臭いテーブルへやって来た達也に、男臭いメンバー筆頭の沢木が声を掛ける。
「今日はご苦労だったな」
「いえ、昨日十分な働きが出来ませんでしたので、少しでも挽回出来ればと」
「昨日のあれは仕方が無い。最初から分かっていた事だ」
「その通り。それに昨日少し抜けたくらいまるで問題にならない働きを見せてくれたからな。君は今日の勝利に間違いなく貢献してくれたぞ」
「これで総合優勝はほぼ間違いないだろう。先輩たちにも顔向けできるというものだ」
随分と早計な事を言い出したケリーに、達也はあえて指摘しなかった。スティープルチェース・クロスカントリーの事で頭を悩ませるのは自分一人で十分と思ったのかは定かではない。
夕食後、達也はホテルの展望室へ来ていた。彼がバルコニーから見下ろしているのは明日のスティープルチェースと、その裏で仕組まれた暴挙の舞台となる演習用の人工森林だ。
「どうだ?」
『反応ありません。依然休眠中と推測します』
「やはり明日を待つしかないか」
「達也君」
独り言を呟いた達也に背後から声が掛かる。展望室は夜間立ち入り禁止では無いが、真夜中も近いこんな時間に灯りも無ければ空調も効かない最上階のバルコニーにやってくる物好きが自分以外にもいたのかと、達也は思っていた。
「師匠も涼みに来たんですか?」
もっとも、物好きのレベルでは八雲の方が上だと達也は考えていたし、自分以外の物好きは八雲の事では無かった。
「僕はまあ、そんな物だけど。でもそっちのお嬢さんは君に用があるんじゃないのかい? そろそろ声を掛けてあげた方が良いと思うけど」
「やはりあのメッセージは少尉からのものでしたか」
まるで会話の続きのように達也から話し掛けられ、響子の顔を苦笑い気味に少し弛んだ。
「どうして分かったの?」
「可能性の問題です。俺の知り合いの中で、あんな高度な技術を操る人は誰かを考えれば、少尉の名前が筆頭に挙がります」
「知り合いじゃないかもしれないじゃない?」
「その可能性は考えても意味はありません」
「そうね……」
「旧第九研前の道路では警告もいただきましたよね? 俺に何をさせたかったんですか?」
「何を、か……私は達也君に何をして欲しかったのかしら……」
達也は響子の両目を射抜くように見詰めた。しかし何かを誤魔化していると判断出来る要素は見つからず、挙句には響子が照れて顔を背けた。
「達也君、場所を変えない?」
「そうですね……師匠にも同席していただいて構いませんか?」
「いいよ」
「ええ、構わないわ」
「分かりました。お任せします」
二人の了解を得て、達也は響子の提案に頷いたのだった。
愛梨が伸び悩んだのは、例の件が気に掛かってるから……