沓子との入浴を済ませた達也は、少し疲れたような表情でリビングのソファに腰を下ろした。元々の入浴の目的は疲労回復だったはずなのだが、今日の入浴は疲れを倍増させた感じがしてならなかった。
だが達也の一日はこれで終わらない。この後自室に戻っても一人の時間はあまり取れないのだから……
「達也兄さま、冷たいお水をどうぞ」
「ああ、すまない水波」
疲れきっている達也に、水波が水を差しだす。水波も達也と一緒に過ごしたいと思っている一人だが、職務に熱心な水波は、自分の気持ちよりも先に達也の体調を心配したのだった。
「このままで大丈夫ですか? なんなら明日のくじに細工をして、私か深雪姉さまと一緒になるようにしましょうか?」
「いや、大丈夫だ。それに不正は良くないだろ」
深雪に危険が及ぼうものなら、どんな不正だろうが犯罪行為だろうが厭わない達也だが、自分に対しては結構無頓着なのだ。自称悪い人は、自分に関係する事に対して悪知恵を働かせる事はしなかった。
「お、お待たせしましたわ、達也様」
「随分と早かったな」
「そ、そんな事ありませんわよ。これが私の普通ですわ」
「そうか。水波、ご苦労だったな」
空になったコップを水波に手渡し、達也はソファから腰を上げて愛梨を部屋まで案内する事にした。案内といっても、普通に達也も部屋に戻るついでなのだが……
「ここが達也様のお部屋……緊張しますわ」
「別に普通だぞ」
謙遜とかでは無く、達也の部屋は一般的な造りに、一般的な家具を置いただけの部屋、別段緊張するような場所では無いはずだ。だがそれは乙女心を無視した感想であり、乙女心を考慮すれば、想い人の部屋と言うだけで特別に見えるし、緊張もするものだろう。
「達也様の部屋には端末は無いのですか? あれほど高度なチューンナップを施したCADをお持ちなのだから、ご自宅でも調整しているものだとばかり思っていました」
「調整スペースは地下にあるからな。あまり部屋で作業する事は無い」
「地下に調整スペースが! 是非私のCADも調整していただきたいものですわ」
「師補十八家お抱えの技術者には敵わないだろ。俺はあくまでも学生レベルだ」
明らかな謙遜であるが、達也の正体を知らない愛梨は、達也が世界のレベルを知らないから謙遜しているのだと思い込んでいた。
「まぁ良い。寝るなら布団を用意させるが」
「まだ大丈夫で……」
「愛梨?」
唐突に船をこぎ出した愛梨の顔を覗きこむ達也。愛梨は完全に眠ってしまっていた。
「仕方ないか……九校戦終わりで一度石川に帰り、次の日には東京にやって来たんだから」
寝てしまった愛梨を自分のベッドに寝かせ、達也は地下室へ向かった。仮眠程度なら地下室でも出来るし、着替えを持って行けばこの部屋に戻ってくる事無く八雲の寺へ出掛ける事が出来るのだ。
「おやすみ、愛梨」
愛梨の寝顔にそう告げ、達也は部屋から移動したのだった。
翌日の朝、リビングでは今日達也の部屋に泊まる相手を決めるくじ引きが行われていた。
「愛梨、何だか複雑な顔だけど……何かあったの?」
「気付いたら寝てしまっていて、目が覚めたら達也様のベッドの中でした」
「達也殿のベッド!? 羨ましいの、愛梨」
「ですが、目が覚めても達也様はお部屋にいませんでした」
非難するような目を達也に向ける愛梨、だが達也はその程度では動じなかった。
「日課の修行があったからな。早朝に出掛けてさっき帰って来たんだ」
「そう言えばいらっしゃいませんでしたね」
今思い出したように手を打つ香蓮に、栞と沓子が呆れた視線を向けた。
「知っていたなら教えてくれれば良いのに」
「参謀のわりにはぬけておるな」
「別に教えなかったわけじゃないです。ちょっと忘れてただけで」
「言い争っているのでしたら、お兄様のお部屋にお泊りする権利は私か水波ちゃんが貰っても良いのかしら?」
三高女子の隙を突いて、深雪が達也の部屋へ泊まる権利を狙う。だがもちろんだが、深雪はどのくじが当たりなのか分からない。しかしそんな簡単な事も忘れ、愛梨たちは慌ててくじ箱の前に戻って来た。
「明日には帰らなければならないので、これが達也様のお部屋に泊まれる最後のチャンスですわね」
「愛梨は昨日泊まったでしょ。沓子も達也さんと一緒にお風呂に入ったんだし、ここは私か香蓮に譲ってもらいたい」
「あくまで運勝負じゃ。うらみっこなしじゃと最初に決めたじゃろ」
六人の思惑が交差する中くじ引きが行われ、達也の部屋に泊まる権利を手に入れたのは――
「栞が当たりですわね……」
「わしはリビングか……」
「何故私はお兄様と一緒になれないのですか!?」
「深雪様、その省略の仕方は誤解を招きます」
一緒の部屋に、ではなく一緒にではまるで結婚を望んでいるようにも聞こえると、水波が深雪にツッコミを入れた。実は水波のツッコミは今回に限り間違いで、深雪は達也と結婚出来ない事を嘆いたのだ。だが水波がツッコんで来るだろうと踏んであえて本音を暴露したのである。
「では、栞を抜いた五人達也様とご一緒に入浴する権利を賭けたくじを引きたいと思いますわ」
「二日連続一緒に入りたいのぅ」
「私だけ、まだ達也さんと二人っきりを経験してません。消去法で私が達也さんと一緒で良いのではないでしょうか?」
「そんな事認められません。お兄様とご一緒にお風呂だなんて、妹の私でも経験した事無いのですから」
「あら? 子供の頃とかにも経験は無いのかしら? 年の近い兄妹ならありそうなものですが」
「色々とあって俺と深雪は幼少期にも一緒に風呂に入った経験は無い」
その色々を説明するつもりは無いと、達也はバッサリと会話を切り捨て監視に集中した。不正しようにも達也のあの目には誰も逆らう事は出来ず、くじ引きは公平に行われた。
「やっぱり私でしたね」
その結果、香蓮が達也と入浴する権利を得たのだった。
どうやって落とそう……