劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

534 / 2283
こっちも仲の良い姉弟だ……


文弥の不満

 黒羽ファミリーは仕事の性質上、出張が多い。その為、日本各地に定宿のホテルがある。主要都市には四葉の息が掛かったホテル、あるいはもっと直接的に四葉の資金が入っているホテルが用意されている。今回文弥たちが泊まっているのも、そうした四葉傘下のホテルだった。だから四葉本家宛ての電話も、盗聴を気にせずに掛けられる。文弥は今日の首尾を四葉本家に報告しているところだった。

 

「ご当主様の書状は確かに達也兄さんにお渡ししました。その上で達也兄さんからの伝言をお預かりしています」

 

『達也殿は何と?』

 

 

 彼がコールしたナンバーは真夜に通じる直通番号だが、偶々電話に出られない状態だということで、代わりに葉山と話している。

 

「承りました、と仰いました」

 

『他には? 例えば奥様のご依頼を引き受けなかった場合の、お咎めの有無についてなにも言及されませんでしたかな』

 

「いえ、そのような事は何も」

 

『そうですか。文弥殿、亜夜子殿もお疲れ様でした。今後の細かな打ち合わせについては私の方から達也殿へ連絡致します』

 

「そうですか。よろしくお願いします」

 

 

 文弥がそう言うと、葉山が画面の中で恭しく一礼した。これで話は終わりと言う事だ。文弥も一礼して彼の方から通信を切った。

 

「これで任務完了かな。今回は本当にお遣いだけだったわね。まだ六時か。余裕で家に帰れる時間だけど、どうする?」

 

「いや、今日はこのまま泊まっていこう。折角本家が三間続きのスイートなんて贅沢な部屋を用意してくれたんだから」

 

「この程度で贅沢なんて……そんな小市民的な事では真夜様の代理どころかお父様の代わりも務まらないわよ」

 

 

 弟の軽口を軽い口調で窘めた後、亜夜子はその「軽口」に文弥らしからぬ皮肉げな毒が混ざっていた事に気付いた。

 

「文弥。貴方、今回のお仕事が不満なの?」

 

「任務自体に不満があるんじゃない。使者も大切な任務だと言う事くらい分かってるし、達也兄さんに真夜様の書状を届ける役目は僕が最も適していると言う事も理解している。でも……」

 

「書状を届けるにあたって課せられた条件が文弥は気にいらないのね?」

 

「だってそうじゃないか! 尾行に手を出してはならない、尾行を撒いてもならないって、何だよいったい!」

 

 

 それが今回、文弥に課せられた条件、というより制限だった。真夜から書状を預かった時は嬉しかった文弥だが、真夜が席を外した後、四葉家使用人序列二位で主に受注した「仕事」に付随する様々な手配を担当してる花菱執事から、今回の仕事に関する注意事項として先ほどの制限を聞かされ、文弥は懸念を抱いたのだった。

 

「尾行されてると分かってて手出し出来ないなんて! お陰で何処の誰とも分からない輩にみすみす達也兄さんと深雪さんの家を教える羽目になったじゃないか!」

 

「大丈夫よ、文弥。相手が何者であろうと、達也さんと四葉の関係を暴く事は出来ないわ」

 

「僕はそんな事を心配してるんじゃないよ。今の時期に僕たちを尾行するヤツなんて周公瑾を匿っている勢力に決まっている。ただでさえ達也兄さんには黒羽の不手際で迷惑をかけるのに、僕たちが尾行を許した所為であいつらに狙われる事になるかもしれないんだ。僕はもう、達也兄さんに顔向けできないよ」

 

「文弥」

 

 

 俯き、悲壮げな声で嘆く文弥の前に亜夜子は立って、弟の名を呼び――

 

「なにゅ!?」

 

 

――顔を上げた文弥の両頬を左右に引っ張った。

 

「何するんだよっ! ……姉さん?」

 

 

 文弥はすぐに姉の手を振りほどいて抗議の声を上げたが、姉の表情が面白半分では無い事に気付き説明を求めた。

 

「もっと肩の力を抜きなさい、文弥。貴方の不注意でつけられたのなら兎も角、本家のご指示だったんだからどうしようもないでしょう? 貴方が責任を感じる事じゃないわ。それに達也さんなら襲われるような事があっても大丈夫よ。もしちょっかいを掛けられるような事があっても、逆に相手の尻尾を掴んでくれるでしょう」

 

「姉さん……何だか最もらしい事言ってるけど、さっき面白がってたのちゃんと見てたからね」

 

「い、いやね、文弥。そんなはずないでしょう。あっ、このまま帰らないんだったら荷物の整理をしなくっちゃ」

 

「たった一泊で整理しなきゃならないほどの荷物はないだろ!」

 

「じゃあ文弥、晩御飯の時にね」

 

「あっ、こら、逃げるな!」

 

 

 逃げるなと言われて余計に逃げ足を速めるのは泥棒に限った事では無い。亜夜子は自分の部屋に逃げこんで、文弥が追いつく前にかちゃりと鍵を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 論文コンペまであと一ヶ月と少しに迫っていたが、一高生たちの話題の中心はまだ、論文コンペの事では無かった。食堂のあちこちから聞こえてくるのは、今週末に迫った生徒会長選挙に向けられた関心の声。男子生徒の話題は、演説会で見られるに違いない深雪の艶姿に、女子生徒の話題は達也は立候補しないのか、深雪が会長になった場合の役員は誰かと言う事に集まっていた。

 

「達也くん、何で立候補しなかったの?」

 

「そうですよ。去年は無効票とはいえ中条先輩に勝っていましたよね」

 

「俺が会長になっても来られない日があるだろうしな。深雪の方が適任だろ」

 

 

 達也の言葉に隠された事情を理解したエリカと美月は、別の話題を達也にふった。

 

「ところで、深雪は役員を誰にするか決めて無いの?」

 

「まだ会長に決まったわけでもないし、家でそう言った事は話さないからな」

 

 

 今年は完全に信任投票であり、例え対抗馬がいたとしても深雪に勝てるはずもないと誰もが思っている。だから達也の言葉は若干ズレているように思えたが、これ以上聞かれても答えられないと視線で伝えてくる達也に、エリカも美月もこれ以上掘り下げるのは不可能だと理解した。それは周りの野次馬たちも同じのようで、あちこちから落胆のため息が聞こえてきたのだった。




皆の興味は生徒会選挙……

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。