翌日、達也達は朝早くにホテルをチェックアウトし、再び九島邸を訪れた。荷物だけ先に奈良駅へ送り、身軽になっての訪問だ。
身軽といえば、今日の深雪は珍しくパンツルックである。それも街遊びよりハイキングに向いている丈夫な生地の物で、上もブラウスではなく秋物のロングニット。ただ、だから地味になっているということはなかった。
水波も深雪に合わせたのか、ニットのセーターに踝まであるパンツ姿だ。ただ彼女の方はサイズに少々余裕があって、少女らしい可愛らしさを印象付ける格好だ。
「おはようございます。朝食はお済みですか?」
九島邸ではまだ七時を過ぎた時間でしかないにも拘わらず、光宣が眠気も疲れも感じさせない顔で三人を待っていた。調子が良いからというのは強がりではなかったようだ。
「おはよう、光宣君」
「大丈夫です。済ませてまいりました」
達也と水波が続けて答える。光宣の顔に浮かんだ少し残念そうな表情を見て、深雪が気遣わしげに尋ねた。
「光宣君はまだなのですか? もしかして私たちを待っていてくれたのでしょうか?」
「いえ、大丈夫です。もしお済みでなかったら、家で召し上がっていただこうと思ってただけですから。僕の方も準備出来ています」
「そうですか」
光宣が慌てて首を振り否定すると、深雪が安心した顔で微笑んだ。光宣が照れて赤くなったが、彼は深雪の微笑みに見とれたりはしなかった。
「ではこちらへ。車を用意してあります」
九島家の用意した車はリムジンだった。運転手は初老の男性だった。達也は響子が運転手を買って出る可能性も考えていたのだが、さすがにそこまで暇ではなかったのだろう。
乗り込む際にどこかにこすったのか、光宣の着ているジャケットの右袖口からブレスレット形態の汎用型CADが見えた。
「これですか?」
深雪が見ていたのに気づいた光宣が、右袖をまくってCADを露わにし、そのまま今度は左袖をまくった。彼は両手にCADを巻いていた。
「九十九個じゃ足りなくて……類似の起動式を整理すればいいのは分かってるのですが、中々良い技術者が見つからないんです。両手でCADを操作するのは大変だったんですが、FLTが思考操作型補助デバイスを開発してくれたおかげで随分楽になりました」
「光宣君、FLTの完全思考操作型CADをお使いなのですか?」
「ええ、この補助デバイスは素晴らしい製品です。これを開発したトーラス・シルバーは紛れもない天才ですよ」
首から掛けたチェーンを手繰り上げメダル型CADを深雪に見せながら、光宣は憧れをにじませた声で呟いた。深雪はシルバー=達也という秘密を悟られないように、兄が褒められた喜びを社交用の笑顔で押し隠して光宣の言葉に同意したのだった。
「そういえば、皆さんは伝統派についてどの程度のことをご存知ですか?」
「私と水波ちゃんはほとんど知りませんでした。こちらへ伺う前にお兄様から教えていただいたことが全てです」
「俺は九重八雲師からある程度の事を教わっている。旧第九研に参加しながら当てにしていた成果が得られず、研究所の閉鎖後に逆恨みで流派を超えて無節操に結束した古式魔法師の集団だとか」
皮肉の上から毒をまぶした達也の言葉に、光宣が苦笑いを漏らした。
「大体合っています。彼らは伝統派と名乗っていますが、本物の伝統を継承する術者から見れば『異端派』と言うべきです。あるいは言葉を飾らず『外法派』と言ってしまった方が良いかもしれません。現代魔法の研究が本格化するまで、古い魔法を伝える者は社会の陰に隠れていました。それは異端者に対する迫害を免れる為という理由もありましたが、それ以上に魔法が公になることを権力者が好まなかったという事情があります。何故なら物的証拠を残さない魔法は、権力闘争の有力な武器になるからです」
「呪殺か。古代王朝時代からの伝統だな。今では歴史書にも載っている通説だが、事実だという裏付けはあるのか?」
「少なくとも旧第九研に参加した古式魔法師がそう語っていた、という記録は残っています。魔法で直接生命活動を停止させる文字通りの『呪殺』ではありませんが、幻覚によって自殺に追い込んだり物資遠隔操作により刃物による自殺に見せかける術は実演の記録があります」
そこまで話して、光宣は自分の話が脱線していたことに気づき、一つ咳払いをした。
「話を戻します。現代魔法成立以前の術者は、権力者の要請に応えてそうした汚れ仕事に手を染めていましたが、全員がそうだったわけではありません。むしろ汚れ仕事に携わった術者は少数派で、宗教的な修行の一環として魔法を身につけた術者は、権力者からもその手先となった術者からも距離を置いています」
「しかし、江戸幕府成立以前には、高名な寺社が兵を抱えて自ら俗世的権力をふるった例も少なくないが」
「はい。興福寺や延暦寺の僧兵が有名ですね。しかし達也さんが仰るように、江戸幕府成立後は正統派の宗教組織からそうした暴力的な側面は排除されていきました。『刀狩り』の実施に見られるように、強力な政治権力が宗教勢力に武力を持つことを許さなかったという背景は否定できませんが――」
この後伝統派の背景についての説明をして、拠点も正統派の拠点の近くに多いという説明を受けた。
「皆さんは奈良駅からおかえりなんですよね?」
「ええ、そうです」
今まで達也と向かい合っていた光宣から目を向けられ、深雪が簡単な答えを返した。
「実は奈良で最も大きな伝統派の拠点は、春日大社から少し奥へ行ったところにあるのです。奈良駅の近くですからそこは最後にご案内するとして、最初は葛城地方へ向かうことにします。奈良地方南部は伝統派も大人しい地域なのですが……」
「そうだな。念のためだ、頼む」
「お任せください」
達也に頼られてうれしいのか、光宣は必要以上に強く頷き、運転手に葛城方面へ向かうように指示した。そんな光宣の表情を、深雪と水波は訝しげに眺めていたのだった。
また三ヶ月くらい悶々と過ごすのか……