達也と光宣に半数以上倒されてようやく、敵も格の違いというべき力量を覚った。一人の魔法師が隠れていた物陰から姿を現したのもそのためだろう。
呪符を構えているから投降ではないだろうし、わざわざ姿を現したのだから逃亡でもない。一か八か、いや破れかぶれの攻撃に打って出る構えだった。光宣の目は当然その男に向いた。
それを油断と呼ぶのは酷だ。病気がちな身体の故に、彼は才能こそ超一流だが実戦の機会に恵まれなかった。光宣の魔法が、呪符を構えた術者を倒す。それとほぼ同時に光宣の、というより深雪のほぼ真横の茂みから小さな影が走り出した。魔法師ではない。人間よりずっと小さく、遥かに俊敏な四足の獣。
「管狐!?」
光宣の声は深雪に注意を促すものだったのか、あるいは驚愕を表す反射的なものか。警告であるなら手遅れだ。その小さな獣は明らかな害意を持って、今まさに深雪へとびかかろうとしていた。
「深雪さま!」
光宣の前だというのも忘れ、水波は深雪をさま付けで呼ぶ。自分の張った対物シールドが何かに破られた、のではなくすり抜けられたのを感知して、反射的にそう呼んでしまったのだ。
自分の主の盾として、深雪の身体に覆いかぶさったのだが、深雪の方が水波より背が高いので、水波が深雪を庇おうとすれば、飛びついて押し倒す形となる。
「深雪、水波。大丈夫か?」
達也から声をかけられ、水波は自分が押し倒した深雪を一瞬忘れて振り返る。そこには思いがけない光景が広がっていた。文字通り飛んできた達也が、飛びかかってきた管狐の首元をがっしりとつかんでおり、その管狐は凍っていた。
「いたたたた……水波ちゃん、早く退いてちょうだい」
下から聞こえてきた声に、水波が慌てて立ち上がる。深雪の声に怒りはまるでなかったが、水波の心はさすがにパニック寸前だ。
「さすがだな、深雪。見事な反応だった」
「お兄様の妹ですもの。この程度は当然です」
「水波も。とっさの判断とはいえ、よく深雪を守ってくれた」
「い、いえ……あまり意味がなかったようですけど」
冷静に振り返れば、あの時の深雪は驚いた様子も見せていなかったし、達也が深雪に向けられる害意に気づかないはずがないのだ。
水波が反省をしている間に、光宣が残りの敵を無力化してこの場は収まったのだった。
「すごいですね、達也さん。あの短時間で敵の掃討を完了するなんて」
「いや、光宣の方こそ凄いじゃないか。俺のはある意味不意打ちだが、光宣は隠れている相手を正面から制圧したんだから」
「それを言うなら僕のは騙し討ちですよ。『パレード』の事はご存知なんでしょう?」
「ああ。何故俺が『パレード』の存在を知っていると知っているのか、そちらの方が気になるところだが」
「秘密です」
光宣があっさりとそう答えて、邪気の欠片も感じられない笑みを浮かべる。すでに分かっていたことだが、天使のような顔をして随分良い性格をしているな、と達也は思っていた。
「ところで、ここから伝統派の拠点まではどのくらいの時間が掛かる? 今の戦闘で大した時間を費やしてはいないが、ここで待ち伏せを仕掛けたからには、俺たちがヤツらのアジトへ向かっていることを知っていた、ということになる。今から行っても手掛かりが残っているとは思えない」
「ええ。それに、彼らをここに放置しておくわけにもいきませんし」
「お兄様、そろそろ移動した方が良くはないでしょうか? 電車の時間にはまだ余裕がありますが、あまりここに長居しますと人目が」
「そうだな。今日はここまでにしておくか」
「あっ、じゃあここは僕が見ています……あの、余計なお世話かもしれませんが、帰りの電車は何時頃ですか?」
「十九時半だから、まだ三時間はあるな」
達也たちはもっと捜索に時間をかけるつもりで来ていたので、帰りの切符も遅めの時間で取っていたのである。
「でしたら、温泉でも如何ですか?」
「温泉……?」
光宣と達也の会話を横で聞いていた深雪が訝しげに眉を顰め、その隣では水波がこっそり襟元を広げて自分の体臭を確認している。
「い、いえ、お二人が汚れているとか汗臭いとかではなく……」
「光宣、それは自爆だ。深雪、水波も落ち着け。光宣は温泉に入って戦闘の疲れを癒してはどうかと提案してるだけだ。悪い話ではないと思うが、どうする?」
「……お兄様がそう仰るのであれば」
深雪は完全に納得しているという顔ではなかったが、その一方で温泉には心惹かれているのだろう。瞳には期待の光をちらつかせながら頷いた。その隣では、水波が達也にバレていた事を恥じて、セーターの襟元を右手で押えていた。
温泉で光宣と話し合い深雪たちと合流した達也は、すっかりリフレッシュした深雪と、何故か疲れ切った顔をしている水波を見て首を傾げたが、とりあえずホテルを後にした。本当は夕食がついているコースもあったのだが、それには少し時間が足りなかったのである。
駅前でリムジンを降りた三人に、光宣が名残惜しそうな目を向けている。
「……ではここで。今日は楽しかったです」
「いや、こちらこそ助かった」
光宣がそう告げたのは、決して社交辞令ではなかった。三人を代表して達也が応えると、光宣が今度は子犬のような目を彼に向けた。
「また、お会いできますか?」
「まだ用事は終わっていないからな。近々こっちに来ることになる。その時はまた世話になると思う」
達也のその言葉に、光宣は目をか輝かせた。
「是非! なんでも仰ってください。僕でお役に立てることでしたらお手伝いしますから」
「ありがとう。では、またな」
「はい! またその時に」
別れの挨拶を再会の約束で代用して、達也たちは光宣と別れた。
「お兄様、同性の方からも人気なのですね」
「今日は達也兄さまのお側を離れません。深雪姉さま、達也兄さまをまっとうな道に!」
「そうね、水波ちゃん! お兄様が異常な性癖に目覚めないためにも!」
「……お前たちは光宣を何だと思ってるんだ」
妹と従妹(表向きの)の決意に頭痛を覚えながら、達也は帰りの電車に乗り込んだのだった。
管狐の説明忘れた……まぁいいか