七草真由美は、来賓用の応接室に案内されていた。学校側は彼女を、元生徒会長としてではなく、十師族・七草家令嬢として待遇することに決めたようだ。その真由美の相手をしているのは現在、達也一人。これは彼女の指名によるものだった。
「ごめんなさいね、達也くん。一高に来るのが一番無難だと思ったものだから……」
「いえ、気にしないでください」
噂話の種にされるのは厄介だが、達也は真由美の家を知らないし、真由美を自宅に招くわけにもいかない。深雪や水波が嫉妬する、というのもあるが、彼の自宅には、他の十師族に見せたくない物が山のようにある。もちろん、無造作に転がしてあるわけではないが、真由美のスキルだとふとしたはずみで見られてしまうリスクがあるのだ。
「その……調子はどう?」
「今年の論文コンペは、当日の会場警備がメインですから、それほど忙しくはありません」
「そ、そうなの? 達也くんが発表メンバーに入ってないなんて、ちょっと意外……」
「ですから、相談の内容次第では、お力になれるかもしれませんよ」
「……そうね。時間を無駄にしても仕方ないか」
真由美の瞳は、まだ躊躇いに揺れていたが、本人も言っているように、このままでは時だけが無為に流れて行ってしまう。達也も真由美も、自由になる時間は他の学生より短いのだ。
「達也くんは、名倉さんの事を覚えてくれているかしら」
「ええ。このたびはご愁傷様でした」
「お気遣い、恐れ入ります……達也くん、名倉さんの事、知ってたんだ」
「地方版の新聞を見ました」
「そう……論文コンペの会場警備に備えて、地元の情報を集めているのかしら」
「そんなところです」
達也は、真由美が中々切り出せないでいるのを見て、自分から話を振った方がよさそうだと判断した。最近の達也は、他人の顔色を窺うだけではなく、こういった気配りを心がけるようにしている。主にほのかや雫にだけなのだが……
「名倉さんを殺した相手を探したいのですか?」
「っ! ……さすがね、達也くん。父は知ってるみたいだけど『私には関係ない事』だとしか……」
「京都へ向かわれる前の、名倉さんの動向は分かりますか? 七草先輩のガード以外の時、どこかに頻繁に出かけていたとか」
達也の質問に、真由美は顎に指をあてて必死に思い出そうとしている。その仕草が若干子供っぽいが、達也はそのことは指摘しなかった。
「そういえば……名倉さん、横浜に頻繁に足を運んでたみたい。名倉さん、ボディーガード以外の仕事で私の側を離れる時は、その仕事が終わった後にお土産をくれるのが習慣だったんだけど、最近は中華街のお土産が多かったわね」
「中華街、ですか……」
達也の中で、名倉殺害の犯人が誰だか心当たった。だが、あいにく相手の顔は知らなかったので、浮かんだのは名前だけ。
「もしかして名倉さん、横浜事変の犯人を追いかけていたのかもしれないわね……」
「先輩はその犯人の事を知っているのですか?」
「……残念ながら知らないわ。でも、あの狸親父の事ですから、裏でつながっていたとしても驚かないわ」
実の父親にひどい事を、とは達也は思わない。自分の父親も、娘から似たような事を思われているだろうと達也も思っているから。
「横浜事変の犯人が京都にいるのは確からしいですね。実は、俺もその犯人を追うように極秘に頼まれてまして」
「何処から……あっ」
あえて勘違いを誘発する言い方をした達也の思惑に、真由美はまんまとはまった。彼女は、達也が国防軍に所属していることを知っており、その部隊に心当たりがあることを達也に気づかれている。
「ですから、もし名倉さんを殺した犯人がその男なら、俺は先輩の力になれると思います」
「でも、お仕事の邪魔じゃない?」
「表向きは会場警備ですから、それほど気にすることではありませんよ。幹比古にもちゃんと許可は取ってありますから」
「吉田君も行くの?」
「今度の土日に。警備の下見で京都に行きます」
「じゃあその時に付き合ってほしいのよ。名倉さんが殺された現場を見ておきたいの」
「それだけでよろしいのですか?」
達也としては、現地の状況次第ではしっかり付き合ってもらう腹積もりだった。だが、この質問は達也にとっても気持ちのいい結果にはならなかった。
「……私にだってわかっているのよ。私はまだ七草家の娘でしかなくて、自分自身には社会的な力なんて何にもないって。十文字くんみたいに、警察を動かすことだって、警察の代わりに犯人を捜すことだって出来ないって。でも、長い間同じ時間を過ごしてきた名倉さんが殺されて、何もしないでいるなんて私には出来ないの」
「分かりました。では二十一日、日曜日に。時間と場所は先輩のご都合に合わせます」
「……ありがとう、達也くん」
泣きそうになっていた真由美の言葉を遮り、年上に失礼かなと思ったが彼女の頭を軽く撫でる。それで落ち着いたのか、真由美はソファから立ち上がり応接室から辞そうとした。
「そういえば、名倉さんが亡くなられた時に身に着けていた物は残っていますか? 例えば、その時に着ていた服とか」
「警察が証拠品として保管したいと言ってきたから、そうしてもらってるわ」
「それを拝見することは出来ますか」
「……家に連絡をくれた刑事さんにお願いしてみます。ごめんなさいね、そんなに親身になってくれるなんて」
「協力する以上は、出来る限りの事はしますし、俺の方も事情がありますから」
真由美は、達也の事情を勘違いしたままだが、その方が達也にとっても都合がいい。下手に踏み込んでこられる心配もないし、真由美に「実家」の事を知られるのは、軍属であることを知られるより都合が悪い。
「じゃあ、細かい場所と時間は、後でメールするね」
「分かりました」
「それから……お姉さんの頭を撫でるなんて、達也くん生意気よ」
そう言った真由美の顔は、少し赤らんでいた。明らかに照れていると分かる表情だったが、達也はそのことも指摘せずにそろって応接室から移動したのだった。
私服なら、どっちが年上か分からないだろうな……いや、達也の方が上に見られるか