いくら論文コンペの準備作業という名目があっても、女子生徒を夜遅くまで学校に残らせるわけにはいかない。男女区別だろうが男女差別だろうが関係なく、男子生徒には許されている閉門後の夜間作業も女子生徒には認められていなかった。
「深雪先輩、お先に失礼いたします」
「泉美ちゃん、明日と明後日はお願いね。頼りにしてるわ」
「光栄です! 及ばずながら、微力を尽くします!」
泉美は扉の所で名残惜しそうにしていたが、深雪にそう声を掛けられて一転、上機嫌で帰路についた。
「深雪も泉美ちゃんの扱いに随分慣れてきたね」
「悪女の素質がある」
ほのかのセリフに、彼女と一緒に帰るべく生徒会室に来ていた雫が便乗する。客観的に見れば聞き捨てならないセリフだが、雫に悪意が無い事は深雪にも分かっていた。
「女の子が女の子相手に悪女も善女もないでしょう?」
「……深雪って罪作り」
雫が本気でため息を吐いても、深雪は笑って取り合わなかった。
ほのかと一緒にお風呂に入っていた雫は、ずっと気になっていたことをほのかに聞くことにした。
「ほのかは大丈夫?」
「えっ、何か言った? ちょっと待って」
頭を洗っていたほのかが、お湯を止めて浴槽に浸かっている雫に顔を向けた。
「うん、髪が洗い終わってからで良いよ」
「そう? もうちょっとだから」
ほのかはもう一度しっかりとシャンプーを洗い流してから、防水シートでカバーされた収納ラックからタオルを取り出す。水気を吸い取るようにして髪を拭き、しっかりと水気を含んだタオルをメッシュ状のランドリーバッグに入れると、今度はリンスのボトルを手に取った。
「やってあげようか?」
「ううん、いいよ。雫にお願いすると、丁寧すぎて時間が掛かっちゃうんだもん」
「良いじゃない。やらせて」
雫が少し強引にほのかの手からリンスのボトルを奪い取った。
「ほのかの髪、まっすぐで綺麗。羨ましい」
「私なんて……深雪に比べれば」
「深雪と比べても意味が無い」
「それもそっか」
まっすぐな賛辞に、少し俯きながら反論すると、雫が大真面目にその反論に反論した。
「それに私は、ほのかの髪の方が好きだよ」
「ええっ!? それは身贔屓というか友達贔屓が過ぎるよ」
「友達だから贔屓するのは当たり前だし、私の好みからすると、深雪の髪の色は重過ぎる」
雫が漏らした感想に仰天したほのかだったが、彼女の開き直りに絶句する。それとは対照的に、雫は珍しく雄弁だった。
「ほのかの明るい髪の方が、私は好き」
「そ、そう? ありがと」
しばらく無言でほのかの髪にリンスをしていた雫が、先ほどの話題を再開したのは、彼女が約束した通りほのかが髪を洗い終わった後だった。
ほのかと雫が向かい合って浴槽に入る。雫の家のお風呂は広く、セカンドバスルームにも拘わらず一般家庭の二倍ほどの面積がある。バスタブもそれに応じた大きさの物で、二人が一緒に入っても十分に余裕があった。
「ほのか」
「うん?」
「ほのかは、大丈夫なの?」
「えっ、何が?」
雫がじっとほのかを見詰めたが、彼女は惚けてるわけではなさそうだった。そう判断して、雫は質問に具体性を持たせることにした。
「ほのかは東京にお留守番で本当に大丈夫なの? ほのかも京都に行きたいんじゃなかったの?」
「それは……」
「ごめん、無神経だった」
唇まで蒼ざめたほのかから、雫は目を逸らす。
「良いの。大丈夫だから……。本音を言えば、もちろん達也さんと一緒に京都に行きたかった。二人っきりなんて贅沢は言わない。深雪と一緒でも構わない。でも、私が行っても足手纏いになるだけ……。雫だって気づいてるんでしょう? 達也さんが私に、雫の家でお世話になるように指示したのは、論文コンペの所為なんかじゃないんだって。達也さんが本気で私たちの事を心配してくれてるんだもん。警戒している相手が、論文コンペの資料を狙う、単なるこそ泥のはずがない。それこそ去年の時みたいな、手ごわい相手がいるんだと思うの」
「ほのかは、達也さんが任務で動いていると思っているんだね?」
「そうだと思う。だから美月に吉田君がくっついているのも、達也さんがそう指示したからだと思う」
「あの二人は護衛とその対象って感じじゃないけどね」
「ほんとにね」
雫の冗談ともとれる言葉に、ほのかはクスクスと笑った。
「雫には言ってなかったけど、達也さんが私の告白を断った理由はね、感情が分からないからなんだ」
「どういうこと?」
「昔に魔法事故に遭って、感情の殆どを消されちゃったらしいの。残ってるのは、深雪に対する家族愛――兄妹愛かな? それと、わずかに残った恋愛感情。だけど、達也さんはまだその感情を認識したことが無いみたいなの」
「……つまり、まだほのかの事を大事な人だって思ってないって事?」
「私だけじゃないよ。エリカや七草先輩、それに雫も」
ほのかの言葉に、雫は少し視線を逸らした。
「達也さんが私の事を大事に思ってくれて、それで一緒に京都に来てくれって言ってくれたらついていったけど、まだ可能性が残ってるのに、足手纏いになって失望されたくないってのが本音。達也さんが今回の任務に気づいてほしくないって思ってるなら、達也さんが望んでる通りに騙されておくよ」
「ほのか、いい女だね」
ほのかの言葉に、雫が暖かな笑みを浮かべそう言うと、ほのかの余裕ある態度が瞬く間に崩れた。
「な、なにいってるのよ!?」
「私が男の子だったら、ほのかを放っておかないのに」
「あのぅ……雫さん? 目が怖いんですけど?」
「スタイルだって良いし……ルックスだって親しみやすい感じで可愛いし……」
「し、雫!? 何だかエイミィみたいだよっ!?」
「むっ。エイミィより胸はある」
「そんな問題じゃないよ!」
咄嗟に雫から逃れようとしたほのかだったが、変なスイッチが入ってしまった雫がさらに暴走する。
「それはもしかして、自分と比べれば大差がないと言いたいの?」
「そんな事言ってない!」
「どれどれ」
「きゃあっ!」
徐に胸に手を伸ばした雫だったが、その手が胸に振れた途端動きが停まった。
「……分かってたけど、理不尽」
「ちょっ、雫、お願い、止め……」
「達也さんに触ってもらいたい?」
「~~~~~~~~~」
この後暴走し続けた雫と、自分が処理出来る範囲を大幅に超え、気絶寸前まで行ってしまったほのかは、二人仲良く逆上せたのだった。
雫もないわけじゃないだろうに……