達也たちが最初に向かったのは京都市北東郊外、名刹三千院で知られる大原だった。葉山を通じて入手した情報によれば、周公瑾と黒羽の捜索部隊が小競り合いに及んだのは「後鳥羽天皇大原陵」「順徳天皇大原陵」の近くだ。さすがに陵墓の禁域内へ足を踏み入れるような真似は、双方しなかったらしい。陵と三千院の間を流れる小さな川に沿って下流に逃れて行ったとの事だ。
ここに来るまで、達也は周が人の近寄らない山の中の隠れ家に類する所に潜伏していると推測していたが、現場を見て彼は考えを改めた。意外なことに、周公瑾が逃走した方向は、それなりに民家が立ち並び、観光客だけでなく地元住民の姿も少なくなかったのだ。下流へ――山の方ではなく里の方へ逃走したのであれば、今も人のいない所ではなく人の多い市街地に隠れているのではないかと。
「逃げていったという方角で、最も近い伝統派の拠点は鞍馬山にありますが、達也さん、行ってみますか?」
「いや、市街地に戻ろう」
「街の中に、ですか?」
「お兄様は周公瑾が人の多い所に隠れているとお考えなのですか?」
「ああ」
「なるほど。木を隠すなら森の中、ですか」
光宣の相槌は、達也の考えと少し違っていたが、あえて訂正するほどの事でもない。
「ある程度人通りの多い場所で伝統派の拠点がある所というと……清水寺の参道、金閣寺の近隣、それから天龍寺の裏手でしょうか」
「意外に少ないんだな」
「京都は本物の伝統を受け継ぐ宗派の勢力が奈良以上に強いですから。名前だけの新興派閥は周囲の山の中に押しやられているんですよ」
「奴らの『伝統派』という名称はもしかして、伝統に対するコンプレックスの現れなのか?」
「分かりません。ご承知の通り、伝統派は第九研に参加した古式魔法師を中核として結成されました。彼らの目的は第九研、そして『九』の各家へ報復することだったはずです。それなのに何故、発祥の地であり目的の地でもある奈良を離れ京都に散っていったのか……僕には理解できません」
「そうか? 伝統派と名付けた動機はともかく、奈良を離れた理由なら分かるぞ」
「えっ?」
達也にあっさりそう返されて、光宣は目を丸く見開いた。
「伝統派は一枚岩の組織ではない。そう教えてくれたのは光宣だ」
「え、ええ。確かにそう言いました」
「ならば旧第九研に対する温度差も結構激しいんじゃないか? 『九』の各家に対する逆恨みを強く懐いてる一派は奈良に残り、三十年以上機会をうかがっている。京都に拠点を移した一派は、旧第九研に抵抗するようなポーズをとっていたが、実は旧第九研と『九』の各家が怖かったのではないかと思う」
「怖かった、ですか? 九島も九鬼も九頭見も、研究の協力者だった古式魔法師に対して威嚇したり、実際に攻撃を仕掛けたことは無かったはずですが……」
光宣が自信なさげに反論した。何せ自分が生まれる前の話であり、直接的な質問も憚られることだ。間接的な伝聞による知識なので、そういう態度になってしまったのだろう。
「俺もそう思う。『九』の魔法師も実験された側だ。古式魔法師に対しての被害者意識は無論のこと、加害者意識も持っていなかっただろう」
光宣の言葉を達也も支持したため、光宣は俯いていた顔を上げ、嬉しそうに微笑んだ。
「ですが達也兄さま、もし京都の伝統派が『九』の各家を恐れているのであれば、日本に数々の災厄を招き入れた外国人魔法師を匿ったりするでしょうか? それこそ、本当に攻撃されそうなのですが」
「想像にすぎないが、本音は突っぱねたかったのではないかな。だが伝統派は周公瑾との付き合いに深入りしすぎたんだろう」
「手を切れない理由があったという事でしょうか?」
「これは光宣の方が詳しいと思うが、伝統派は周公瑾から亡命方術士の供給を受けていた。表面的には伝統派が周公瑾を助けていた形だが、実態は周公瑾が伝統派の戦力増強に協力していたものだ」
達也が光宣に目を向け、光宣が頷き返す。
「先日の奈良公園でも、襲撃者の中に大陸出身の方術士が混ざっていた。伝統派の中で亡命方術士は一定の勢力を占めるようになっていると推測される。少なくとも、内紛と離反に組織として耐えられない程度には。さて、随分話が回り道してしまったが、そういうわけで市街地の拠点を探りたいと思う。該当は清水寺、金閣寺、天龍寺の三ヶ所だったな」
「一旦吉田君たちと合流した方がよさそうですね」
ルートを確認して深雪がそう提案するが、達也は首を横に振った。
「わざわざ合流してる時間が惜しい。それに京都市内に潜伏しているという俺の読みが外れている可能性もある」
「分かりました。では、どちらへ向かいますか?」
「清水寺へ。その後、金閣寺、天龍寺の順に見て回ろう」
深雪の質問に、達也は即答した。既に彼の中で答えが決まっていたのだろうと、光宣も水波もそう思ったのだった。
達也と別れた幹比古は、打ち合わせ通り捜査の術式を派手に使いながら新国際会議場の近隣を歩き回っていた。
「来たみたいね」
「山の中からか?」
「気配は山の中にしかないけど、敵がそこからしか出てこないとは限らないよ。襲ってくるのは人間だけじゃないかもしれないんだ。注意して」
護衛の為に同行していたエリカとレオが、あたかも三角関係を思わせるように動くのに対し、幹比古はそこまで芸達者な真似は出来なかった。だが、不快げに顔を顰めて振り返り、レオに注意する。遠くから見れば、彼女にちょっかいを出す男に苛立っている風に見えるだろう。
「向こうもこっちに気づいてるみたいだし、油断しないように」
「分かってるって。ミキは心配性なんだから」
「僕の名前は――っ、来るよ!」
お決まりのツッコミを途中で放棄し、幹比古はエリカとレオにそう告げる。二人とも一瞬の間も空けずに臨戦態勢を取ったのだった。
ダブルデートに三角関係……おかしな構図が出来上がった……