文弥に借りたバイクにもたれかかっていた達也は、待つこと十五分で、接近する赤いバイクに気づいた。
「(赤が好きなやつだな)」
なんとなく、心の中でそう呟く。三高のスクールカラーも赤系統なので、愛校心の現れかもしれない。
「待たせたな」
「いや、まだ指定時刻の十分前だ。作戦には十分間に合う」
現在の時刻は十六時五十分。日没時刻は十七時十分だから、まだ時間的な余裕はある。少なくとも、将輝に作戦の詳細を説明する程度には。
「それで、どういう段取りなんだ」
「周公瑾が潜伏していると思われる場所は、あそこだ」
そういって達也は、南の方角を指さした。
「あそこって……まさか、国防軍の基地内なのか!?」
「国防陸軍宇治第二補給基地。あそこに周公瑾が潜伏している可能性が高い」
「……確かなのか?」
「可能性だ。それを確かめる為に踏み込む」
「基地の中へか!?」
「周公瑾の捕縛には、ある魔法師集団が秘密裏に動員される」
「憲兵隊とは別に、と言う事か?」
「そう。正式ではない作戦と言う事だ。もうすぐ彼らが、各ゲートから基地内に侵入する」
「ゲートから? ……そうか、系統外魔法の使い手なんだな?」
将輝の問いに、達也が頷く。将輝はそれで「秘密裏に動員された魔法師集団」の正体に見当をつけた。
「司波、お前は……」
「俺は、彼らとは別口だ。そろそろ時間だな。俺はフェンスを飛び越えて基地に侵入する。一条、お前はどうする?」
「……俺も行く。元々、俺が去年あの男に騙されなければ片が付いていた事だ。知らん顔は出来ない」
様々な葛藤の末に、将輝は基地内に侵入することを決意した。
「作戦開始五分前。行くぞ、一条」
「分かった」
二人は同時にヘルメットを被り、バイクに跨って走り出した。
達也たちが基地に侵入しようと動き出したのと、時を同じくして、平等院のすぐ側に架かる宇治橋の東側に、一台の車が停まった。
「ありがとう。用が済んだら呼ぶから、適当な所で待っていてくれる?」
運転手にそう声を掛けて車から降りてきたのは、目を疑うような美少年だった。ちょうどその場に居合わせた通行人が、魂の抜かれたような顔で彼を見つめる。日が落ちる直前の時間帯と言う事もあって、光宣はこの世のものならぬ幽玄美を漂わせていた。
「光宣様、ここでお待ちになられるのですか?」
「そうだよ」
達也たちに向けていたものとは明らかに違う、人を使うことに慣れた口調で護衛役の問いかけに答える光宣。
「周公瑾が包囲からの脱出に成功したら、必ずここに逃げてくる。その時は僕が足止めしなくちゃだからね」
「しかし宇治川を渡るにしても、大島にも橋はありますが」
「あっちは高架道路専用でしょう? いったん高架道に上がってしまうと、逃げ場が限られてしまうからね。鬼門遁甲が真価を発揮する為には、八方向へ移動する自由が必要だ。周公瑾は高架道を使わないよ」
「しかし、東に逃げるという可能性も……」
「東は高峰山だ。これまでの逃走路から見て、周公謹は山の中よりも町中を好む。彼の鬼門遁甲はそういう技なんだろうね」
「ですが」
「うるさいな」
なおも懸念を述べようとするボディガードの言葉を、光宣は高圧的に遮った。
「僕の推理が間違っているというのか? 達也さんも認めてくれた、僕の推理が」
ボディガードは黙り込み、それ以上何も懸念を口にすることはなかった。
開始時刻になり、文弥は部下たちに声を掛けた。
「時間だ。作戦開始」
「はっ、承知しました、若」
「バカヤロー、お嬢様だろうが! 若の女装を」
「うるさい!」
部下たちの口論を「ヤミ」となった文弥が遮った。
「無駄口を叩いてる場合か! 作戦開始だ!」
「ハッ!」
部下たちが一斉に片膝をついて頭を下げると、蜃気楼のように黄昏の空気に溶けていった。
「まったく……あれが黒羽きっての幻術使いたちだなんて……」
「ヤミちゃん、そのあたりは割り切って使うしかないわ。有能無能と性格の善し悪しは別だもの。善良で無能な部下より、性格が悪くても有能な部下の方がいいでしょう?」
「そりゃあ、そうだけどさ……」
「それよりヤミちゃん、始まったわよ」
基地内で派手に鳴り響く警報。彼の部下がそんなドジを踏むわけがない。性格に多くの難があるとはいえ、その能力は文弥も認めざるを得ないところだ。
「達也兄さんかな」
「ええ。囮になってくださっているのでしょう。北側から南へ、得物を追い立ててくださるおつもりなのではないかしら」
「達也兄さん、何故そんな危ない真似を」
「達也さんには自信があるのよ。どれほどの危殆に瀕しても、自分ならば切り抜けられると。だから進んで一番危険な仕事を引き受けてくださるのだわ」
「……そうだね」
「わたくしたちが達也さんのお心遣いを無駄にしては、それこそ申し訳が立たないわよ。周公瑾を確実に追跡しないと」
「分かっている」
文弥の背後には、濃紺に塗装された小型乗用車が控えていた。戦車に等しい強度の車体に、レーシングマシンに匹敵するエンジンを積んだ、特注のロボットカーだった。
国防陸軍宇治第二補給基地内に警報が鳴り響き、さらに発砲音まで聞こえてきた。
「何事だ!」
「基地内に侵入者です! 賊は二名! いずれも魔法師と思われます!」
「何ぃっ!? 状況は!?」
「賊は補給物資を破壊しながらこちらに向かってきております。応戦するも、止まりません!」
非常警報にも顔を上げず、荷造りをしていた周公瑾が、パチンと音を立てて鞄を閉め、静かに立ち上がった。
「丁度良い」
「はっ? 周先生、何を……」
「丁度良い機会です。皆さんは侵入者を排除してください。基地の全戦力を使って。大尉さん、お言葉に甘えて、車はお借りしていきます。鍵を」
波多江がぎこちない動作で周に車の鍵を差し出した。
「さぁ、何をしているのです。賊は排除しなければ。基地に侵入するような不届き者は、死体の欠片も残らぬくらい、徹底的に消し去らなければ、軍の威信を保てませんよ」
「そうだ。これは国防軍の威信に対する挑戦だ。甘く見られるな。徹底的に叩け」
「ハッ!」
セリフの内容に反して熱の無い口調。踵を返して部屋を出ていく波多江と部下の首筋には、蜘蛛に噛まれたような痕があった。
光宣の達也シンパが止まらない……