冬休み初日、達也は朝からFLT開発第三課へ足を運んでいた。彼は今日から新しい仕事に取り掛かる予定だ。新作CADの開発ではなく、魔法工学技術をフルに使った大規模システムの設計。実現するのは何年先になるかの分からない。達也が作ろうとしているのは、そもそもFLTの力だけでは実現できない大型エネルギー・資源・環境プラントだ。
プロジェクト名は「ESCAPES」。「恒星炉による太平洋沿岸地域の海中資源抽出及び海中有害物質除去」を短縮した名称だが、このプロジェクト名は「脱出手段」という意味も持っている。今の段階で着手できるのは、あくまでプラントの企画書作成とそこに組み込むシステムの設計まで。それでも、ようやく第一歩を踏み出せる所までこぎ着けた。
達也がこのプロジェクトに置いている意義を考えれば、かつてなく気合が入ってしまうのもやむを得ない事だったが、彼の熱意は仕事開始から一時間でいきなり水を差された。
『お邪魔して申し訳ございません、御曹司』
「何でしょう」
インターホンから開発第三課の女性職員から呼びかけを受ける。正直に言えば、今、手を止めたくなかったのだが、一人で部屋に閉じこもっている彼にあえて声を掛けたからには、重要な要件なのだろうと考え、達也はキーボードから指を引き、インターホンに応答した。
『はい。黒羽貢様と仰る方が御曹司にご面会をご希望です。如何なさいますか?』
「お目に掛かります。オフラインの応接にお通ししてください」
貢の目的が分からない以上、会って確かめる必要があると判断した達也は、貢をオンライン監視システムの備わっていない応接室へ案内するように指示した。
応接室に入った達也は、挨拶より先に鍵を掛けた。
「お久しぶりですね、黒羽さん。夏以来でしょうか」
「ああ」
「座っても?」
貢が無言で頷き、達也がその正面に腰を下ろす。達也が貢の顔を正面から見つめた。二人の間には親子の年齢差があるが、達也の顔に気後れを窺わせるものは全く無い。その態度に貢が忌々しげに唇を歪め、今にも舌打ちが漏れそうな勢いだった。
「ご用件を伺ってもよろしいでしょうか」
聞き様によっては、ではなく、年長者に対して間違いなく失礼な口ぶりだが、ここは貢が自制した。
「慶春会は欠席したまえ」
「最初から出席する予定はありません」
「なに……?」
「俺は最初から慶春会に出席する予定になっていません。ご当主様に出席を命じられたのは深雪だけですから」
達也は真夜のことを「叔母上」ではなく「ご当主様」と呼んだ。そこには、深雪が慶春会に出席することは四葉家当主の決定であり、貢が口を挿むのは筋違いだという反論が込められていた。
「屁理屈を……!」
貢の口から舌打ちが漏れる。一度素顔を見せてしまったからか、彼は苛立ちを取り繕う努力を放棄した。
「では君から妹さんに、慶春会出席を思い止まるよう説得してもらいたい。君が言えば妹さんも納得するだろう」
「ご当主様にどのように説明なさるつもりですか? 俺が正直に『黒羽さんがご当主様の意思に反して、深雪を慶春会に出席させたくないと言ってきたので辞退させました』と申し上げて宜しいのでしたら、深雪には慶春会を欠席させますが」
達也のセリフに、貢の顔が青ざめた。確かに達也なら深雪の慶春会出席を阻止出来るだろうし、真夜の説得も可能だろう。だが今の理由では、まるで自分が反逆者のように聞こえてならなかったからだ。
「真夜様への説明は私がする。我々が気にしているのは君の処遇なんだ」
「自分の?」
「後二年もすれば、調整体『桜シリーズ』の桜井水波は、四葉のガーディアンとして十分な力をつける。そうすれば君はガーディアンとして用済みだ。心配しなくても魔法大学は卒業させてやるし、その後は『トーラス・シルバー』として四葉の活動資金獲得に貢献してもらう。国防軍の仕事もする必要はない。特務士官の地位からも解放してやろう。君の父親名義にしてあるFLTの持ち株を、君の名義に変えてやってもいい。FLTの最大株主だぞ」
貢の空約束を聞いていた達也が、うんざりした声で貢の言葉を遮る。
「そんなものに興味はありませんし、今仰ったことは全て、黒羽さんの一存では決められないでしょう。そのような口約束をしては、本当に反逆の意思ありと誤解されかねませんよ。椎葉、真柴、新発田、静の四家の当主もそのような考えであるなら、俺はご当主様に報告せせざるを得なくなるのですが」
「……いや、そんなつもりはない。私は文弥と亜夜子を悲しませたくないだけだ」
「本気ですか」
貢の呟いた言葉を受け、達也の目が鋭く細められた。
「悲しませたくない、と言ったはずだ。私は何もしない」
「日和見ということですか」
「私は中立だ。心情的には君の敵だが、子供たちの為に手は出さない」
「何故そこまでして深雪から俺を遠ざけたいのか……理由を訊いても、答えていただけないでしょうね」
「期限内に本家へたどり着けたら答えてやろう」
貢は立ち上がり達也を見下ろしながら、別れの挨拶代わりにそう告げた。
「そういえば、黒羽さんは何もしないと言う事は、椎葉、真柴、新発田、静の四家ご当主は何か企んでいると言う事ですよね。そのことは当然叔母上もご存じのはずだ。それを放置していると言う事は、叔母上にも何か含むものがあると言う事なのではないのですか」
「真夜様のお考えなど、我々に理解できるはずがない。そんなこと、君も言われるまでもなく理解していると思うがね」
「叔母上の考えは、一見複雑そうに見えますが、実はただの快楽主義者ですよ」
真夜の本性を知っている達也は、あえて事実を貢に伝えた。だが真夜を崇拝している貢にとって、達也のセリフは彼女への暴言にしか聞こえなかった。
「貴様、真夜様を愚弄するのか!」
「俺は事実を告げたまでですよ。血縁だけ見れば、俺の方が黒羽さんより叔母上に近いんですから」
「お前は四葉縁者だと認められていない!」
「認めようが認めまいが関係ないでしょ、この場合は。さて、俺もいつまでも黒羽さんの相手をしていられるほど暇ではないので。お客様を出入り口までご案内して差し上げてください」
貢の怒鳴り声を聞きつけた女性事務員にそう告げて、達也は貢の横を通り過ぎて応接室から出て行った。残された貢は、歯を潰しそうな勢いで顎に力を入れ達也を睨みつけていたのだった。
なんだろう、このにじみ出る小物感は……