劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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夕歌さん、嫌いじゃない


達也の考え、夕歌の思考

 帰宅した達也は、深雪から夕歌の訪問と彼女の申し出を聞かされて、しばらく考え込んでしまった。もちろん彼も、たったこれだけの材料で夕歌の、いや津久葉家の真意を読み取ることは出来ない。だが夕歌のオファーと貢の理不尽な要求の間に、何か密接な関係があるということだけは間違いないように思われた。

 

「夕歌さんは理由を曖昧に暈すのではなく、何を知っているか『言えない』と言ったんだな?」

 

「はい。何かを知っているということを隠すつもりはないようでした」

 

 

 達也は夕歌の情報と、貢の脅迫を併せて考えることで、本家に向かう間に何かあることを確信した。

 

「(俺たちに対する襲撃が企てられている、ということだろうが、何処で狙うのか、それ以前にターゲットが誰かが分からない。深雪か? それとも、俺か?)」

 

 

 達也は慶春会で、真夜が何をしようとしているのかに心当たりがある。だがそれは分家の人間も正確には知らないはずの事だ。それを恐れての妨害である可能性はほぼゼロであろう。そしてこのタイミングで深雪を襲ったところで、分家の人間に何も得は生まれない。せいぜい真夜の不信感を買って肩身の狭い思いをするだけだろう。

 もし夕歌のオファーを受け、襲撃を受けた場合、夕歌を巻き添えにしたという負い目が生まれる。そうすると一番得をするのは夕歌であり、このオファー自体がそれを狙っている可能性も否定できない。

 

「……お断りしよう」

 

 

 長考の末、達也が出した結論はこれだった。彼の心の中では、夕歌の申し出を受けた方が良いという声がずっと聞こえていた。彼の直感は夕歌と同行すべきだと囁いている。だが不透明過ぎる状況をメリット、デメリットで整理して、夕歌の申し出を受けることによりデメリットの方が大きいと判断したのだった。

 

「分かりました。それでは夕歌さんに連絡して参ります」

 

 

 リビングの大型ディスプレイ付き端末から電話するのではなく、部屋に置いてある小型ヴィジホンから連絡するつもりなのだろう。深雪は兄に一礼して二階へ昇っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋で寛いでいた夕歌の許に、一本の電話が入った。電話の相手は夕歌の想像通りで、その内容もまた、想像通りのものだった。

 

『……すみません、せっかくお声を掛けていただきましたのに』

 

「私も残念だけど、気にしないでね。自分でも急な話だと思うし」

 

『申し訳ございません。兄が長考した結果、今回はお断りした方が良いとの事ですので』

 

「良いって。でも、気が変わったら何時でも声を掛けてね」

 

『はい、ありがとうございます』

 

「じゃあね。ご連絡、待っているわ」

 

 

 ヴィジホンをテーブルの中に収納して、夕歌はリビングのソファに大きく背を預けた。ついでに思いっきり足を延ばす。若い女性としては少々はしたない恰好だが、このマンションは現在彼女の一人暮らしだ。くどくどお行儀を説く使用人も、お説教好きな母親もいない。

 二十歳になるまでは母親と家政婦が交互に泊まっていたが、二十歳以降はそれもなくなった。夕歌の認識的にはこの二年で二十年分の自由を満喫していた。

 

「それにしても、さすが達也さんね。おそらくメリットとデメリットを天秤に掛けたんでしょうけど」

 

 

 断られることは想定内だった。むしろあの程度の情報しか与えていないにも拘わらず、こちらの提案に食い付いてくるようでは興醒めだった。その時は、本当に巻き込まれたことを理由に次期当主の座を要求してやろう、と考えたかもしれない。

 夕歌は別に、四葉家当主の地位など欲しくないのだ。そもそも候補者が何人もいること自体が、体裁を整える以上の意味を持っていない。最も優れた魔法師が次期当主になるという四葉のルールを忠実に遵守するなら、次期当主は司波深雪で決まりなのだ、今の四葉に深雪以上の魔法師は存在しない。現当主の真夜を含め、四葉最高の魔法師は深雪だ。少なくとも津久葉家はそう認識している。

 津久葉家は二年前から、深雪を次期当主に推すことを決めている。夕歌が口うるさい監視の目から解放されたのは、四葉の当主にならない事が前提だった。次期当主候補の地位を返上しなかったのは、他の分家に対する取引材料に使えるからでしかなかった。

 

「それに、深雪さんにはあの『お兄様』がいるしねぇ……」

 

 

 夕歌は去年の十月三十一日に対馬と朝鮮半島南端で何があったのかを知っている。四年前の八月に沖縄で何が起こったのかも知っている。

 

「深雪さん一人でも勝てる気がしないのに、あの人間兵器まで味方に付いているなんて反則だわ。それにしても達也さんに手を出そうなんて……正気の沙汰とは思えない。彼がいつまでも大人しくしてくれるなんて保証はないのに。新発田の伯父様も黒羽の伯父様も静の叔父様も、何故あんなに達也さんの事を目の敵にするのかしら? 達也さんは四葉にとって重要な戦力だと思うんだけど……」

 

 

 グラスのティーカップを傾けて、夕歌が僅かに顔を顰めた。まだ熱すぎた上に、色を重視して濃く淹れすぎたのだ。

 

「いえ、伯父様方だけではないわね……本家は何故使用人にまで達也さんを出来そこないと思わせているのかしら。彼の事をぞんざいに扱うよう使用人に刷り込んで、いったい何の意味があるというの? 達也さんが何故あのような扱いを受けているのか、お母様も頑として教えてくださらないし……余程深い因縁があるのかしら? そもそも、達也さんは侍女や私たちの間では人気が高いのに」

 

 

 夕歌は中身が半分残ったティーカップをテーブルに置いて立ち上がった。浴槽に向かう彼女の背後で、天井から降りてきたHARのマニピュレーターがカップをキッチンへ送る。

 

「(今度の慶春会で深雪さんが次の当主に指名されれば、達也さんが不自然に貶められている理由も明らかになるかもしれないわね)」

 

 

 夕歌は声に出さず、そう考えた。

 

「(それにしても、達也さんに会いたかったわね……おそらくFLTに行ってたんでしょうけど、タイミング悪かったかな)」

 

 

 脱衣所で服を脱ぎながら、夕歌は達也の事を思い出していた。正月に深雪とは会っているが、達也とは顔を合わせていない。同じ血縁のはずなのに、彼だけはいつも除け者扱いをされていた事を、夕歌はずっと不思議に思っていたのだった。特に、同じ血縁の黒羽姉弟は近づけても、自分は達也に近づくことを禁じられていた事も、今でも不思議に思っていたのだった。




二人とも色々考えてるなぁ

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