劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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次期当主とはいえ、真夜には逆らえません


達也への命令

 波乱の二〇九七年二月五日が終わろうとしていた。箱根のテロ現場に駆け付けた達也と深雪と水波も、自宅で一息ついていた。

 

「お疲れ様でした、達也様。深雪様と水波さんもどうぞ」

 

 

 給仕として司波家で留守番をしていたミアが、三人の前にお茶をそっと置いた。そのお茶を飲みながら、達也は真夜が無事だった事にとりあえず喜んでいた。

 テロに対しては彼も人並みに怒りを感じているし、負傷した人にも人並みに同情はしている。だが深雪が標的にならなかったことに安堵しているのも事実だった。

 達也は今回の件に対し、解決に向けて動くつもりは無い。命令が無い限り、達也が自主的に動く理由は無いのだ。真夜が無事なのを喜んだのも、今自由が無くなるのは困るという理由に他ならない。

 テロ事件の事なぞすっかり意識から締め出して、深雪に頼まれた応用魔法学の課題を深雪に教えていた達也は、電話のコール音に顔を上げた。だが深雪が受話ボタンを押す前に電話機のサインは通話中になった。リビングで水波が電話を取ったのだろうと理解し、達也がそれた注意を課題に戻そうとしたその時、再び受話器がなった。通話転送の呼び出し音だ。

 

「はい」

 

『深雪様、ご当主様から達也様にお電話です』

 

 

 深雪が電話に出て、スピーカーから水波がそう応えた。

 

「分かった。リビングで出る」

 

 

 達也は水波に指示を出すと同時に立ち上がり、何の用かと首をひねる間も惜しんですぐさま一階に向かった。当然、深雪もその後についていった。

 達也は保留にせず水波が相手をしていたヴィジホンの画面に向かって頭を下げた。

 

「お待たせしました、母上」

 

『いえいえ、こちらこそこんな遅い時間にごめんなさいね』

 

「いえ、まだ勉強中でしたので」

 

 

 達也の正直な回答は、真夜の笑いを誘った。作り笑いではなく、本気で楽しそうな笑いだった。

 

『たっくんでも勉強なんてするのね』

 

「これでも高校生ですので、勉学は欠かせません」

 

 

 達也は真面目に答えて、真夜が本題に入るのを待った。真夜が本心から楽しそうに笑っていた顔を、何時もの作り笑いに変えて、画面の向こう側から達也を見つめる。達也は自然に背筋を伸ばし、命令を聞く姿勢になった。

 

『確かに学生の本分は勉学だものね。それに専念させてあげられないのは残念だわ……』

 

「お気になさらずに。それで母上、どのような案件でしょうか」

 

『達也さん、貴方に本日のテロ首謀者捕縛の任を与えます』

 

「捕縛ですか? 抹殺ではなく?」

 

『ああ、これは私の言い方が悪かったわね。テロリストの生死は問いません。見つけ出し、無害化してください』

 

「了解しました、母上」

 

 

 達也の返事にニッコリと笑みを浮かべ、真夜は追加の情報を達也に与える。

 

『捜索は師族会議の決定です。責任者は十文字殿ですが、主力となる実働部隊は七草家が出します』

 

「では、自分も七草家の指揮下に入るのですか?」

 

『いいえ。十文字殿の要望で、達也さんはあの方の指揮下に入る事になりました。十文字殿というのは克人さんの事ですよ。今回の師族会議で、十文字家は代替わりしました』

 

「そうですか」

 

 

 真夜としては爆弾投下のつもりだったのだが、達也は一切驚きを見せなかった。軽く頬を膨らませて、真夜は達也に問いかけた。

 

『全然驚かないわね』

 

「一昨年の段階で十文字先輩、いえ、十文字克人さんが十文字家の実質的な当主となっていた事は、独立魔装大隊で耳にしておりましたから」

 

『あらあら……国防軍も油断できないわね。それともあのお嬢さんの力かしら』

 

 

 真夜が「あのお嬢さん」といったのは藤林響子のことである。真夜は響子の二つ名「エレクトロン・ソーサリス」の意味を正確に知っていたのだ。そして前置きなく、真夜が二発目を投げ込んだ。

 

『一条将輝さんも達也さん同様、十文字殿の下でテロリスト捜索に当たります』

 

「一条さんがですか!? ……失礼しました」

 

 

 はしたなく声を上げたことに赤面し、深雪が恥ずかしそうに許しを請う。

 

『構いませんよ。驚くのも無理はありませんから』

 

「ありがとうございます、叔母様。ですが、先ほどのお話ではありませんが、学業はどうするのでしょう? 十文字様が指揮を執られると言う事は、捜索の場は関東なのですよね? 一週間やそこらで解決するものとは思えませんが」

 

『それほど時間を掛けるつもりはありません。無力化すべき相手の名前も素性も分かっていますから』

 

「こちらも聞いています。母上、顔は分かりますか?」

 

『そこまでは分からないけど、大体の潜伏場所はこちらで占っておくわ』

 

「分かりました。お願いいたします」

 

 

 画面に向かい一礼し、達也は通話を切ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也との通話を終えた真夜は、背後にいる葉山に厳しい顔つきで振り返った。

 

「葉山さん、手がかりは見つかりましたか」

 

「まだでございます、奥様」

 

「そう」

 

「奥様、バランス大佐から受け取った情報を活かせなかった事を後悔していらっしゃるのですか?」

 

 

 焦らないように主人を窘める代わりに、葉山は焦慮を生み出している原因について真夜に問いかけた。真夜は反射的に反論しかけて、長く息を吐いた。

 

「……葉山さん相手に強がっても仕方ないわね。事前に警告を受けていたにも拘わらず、敵に出し抜かれてしまったことに悔いはあります」

 

「奥様。お気持ちは分かりますが、既に起こってしまったことをあれこれ悩んでも、詮無い事かと存じます。四葉家といえど万能ではありません」

 

「……そうね。時間をかけるつもりは無いとはいえ、明日明後日中に解決する事案でもないですし、今夜はもう休むことにします。何か出て来たら明朝教えてください」

 

「お任せください、奥様」

 

 

 書斎を後にする真夜を、葉山は恭しいお辞儀で見送ったのだった。




達也が勉強、というより深雪の家庭教師なんですけどね……

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