劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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役に立つ事もあるんだな……


琢磨の頼み

 達也の想像通り、琢磨は小和村真紀の住むマンションを訪れていた。門前払いを覚悟し、近づいては遠ざかりを繰り返していた琢磨だったが、案に相違して真紀はすんなり琢磨を招き入れた。

 

「こんばんは。久しぶりね、琢磨」

 

「あ、ああ。真紀、久しぶり」

 

 

 時刻はまだ夜の九時だが、真紀はすっかりくつろいだ格好をしていた。具体的には、ふくらはぎ丈のナイトガウンを着ている。

 

「すまない。もう休むところか? だったら出直してくる」

 

 

 そう言って腰も下ろさずに踵を返しかけた琢磨を、真紀がソファの上から呼び止めた。

 

「待って、琢磨。構わないから掛けてちょうだい」

 

 

 勧められるまま琢磨がテーブルを挟んで真紀の向かい側に座る。二人の距離は、春に琢磨がこのマンションを訪れていた当時より遠かった。

 

「琢磨、飲み物は何が良い?」

 

「いや、お構いなく」

 

「……じゃあ、コーヒーで良い?」

 

「ああ、済まない」

 

 

 真紀が肘掛の内側に目立たぬよう付けられたボタンを押して「コーヒーをお願い」と呼びかけた。

 

「琢磨、私が今日オフだってよく知ってたわね」

 

「いや、知らなかった。もし留守ならインターホンにメッセージを入れて、またお邪魔するつもりだった」

 

「何それ。そんなことするなら、あらかじめ電話をくれればよかったじゃない」

 

 

 真紀が呆れた声で言ったセリフに、琢磨は少し情けない感じの笑みを浮かべた。

 

「なんとなく……電話し難くて。正直に言うと、昼頃にはここの側にはいたんだ。だけどどうにも足が前に進まなくて、何度か引き返そうとしたんだ」

 

 

 何故、電話し辛かったのか。真紀はそれを聞かなかった。表面上は円満に分かれた二人だが、プライドの高い少年にとって、振られた相手に電話するのが難しい事くらい、真紀にも容易に想像出来ることだったので、真紀は別の事を尋ねた。

 

「無駄足になるかもとは考えなかったの?」

 

「頼みごとをするのだから、会えるまで何度も足を運ぶくらいの事は当然だと思った」

 

 

 真紀が琢磨の顔をまじまじと見つめる。その時、リビングの扉が開き、トレーを持った真紀より少し年上の女性が琢磨の横に歩み寄り、丁寧な所作でソーサーをテーブルに置き、その上にコーヒーカップを載せた。

 

「ありがとう」

 

 

 その女性は真紀の謝辞に無言で一礼を返し、リビングを後にした。

 

「……今の人、3Hじゃないよな?」

 

「違うわ。新しく雇った家政婦さんよ。私が3Hを嫌っているのは琢磨も知っているでしょう?」

 

「覚えている。だからちょっと意外に思ったんだ」

 

 

 以前の琢磨なら、そんな些細な事は気に留めなかっただろう。記憶力は良いから思い出すところまでは同じだったかもしれないが、相手が何を好んで、何を嫌っているかなんて、自分の用事が関わってこない限り気にもしなかったはずだ。

 真紀が琢磨を、今度はしみじみと見つめる。琢磨はそのまなざしに居心地の悪さを覚えて目を逸らした。だから真紀がどんな顔でそのセリフを口にしたのか、彼は見逃してしまった。

 

「琢磨……貴方、本当に変わったわね」

 

「え、まぁ、多少はな」

 

「いいえ、多少なんてものじゃないわ。この年頃の男の子は成長が早いわね……まだまだ大人になりきれていないけど、でもそこが良い……どうしよう。手を出すなって言われてるんだけど……一度くらいなら」

 

 

 顔を背けていても、真紀の声は琢磨の意識に怪しく絡みついてくる。彼女は向かい側のソファに座ったまま動いていないが、琢磨は甘やかな肌の匂いが近づいて来ているように感じた。

 これほど離れているのに、艶めかしい吐息が耳の穴に飛び込んでくる。そんな錯覚を振り切るように、琢磨は勢いよく頭を下げた。

 

「真紀、頼みがあるんだっ!」

 

「頼み? とにかく頭を上げて」

 

 

 真紀は達也から受けた脅迫を忘れてはいない。今日も琢磨を招き入れはしたが、適当にあしらって気持ちよく帰ってもらうつもりだった。だが彼女は、琢磨の変貌を見て気が変わった。

 

「一昨日、発生したテロの事は当然知っていると思う」

 

「箱根で起こったあれね? 随分と叩かれているみたいだけど」

 

「ああ。魔法師は狙われた立場であり被害者であるにも拘わらず、世論の大きな逆風に曝されている」

 

「でも、狙われるだけの理由はあったんでしょう? 無関係の人が巻き添えになっているのだから、責める声が上がるのは仕方がないと思うわ」

 

「真紀が言うように、多分当然なんだろう。それが人情ってやつかもしれない。だが俺たちも、悪者に甘んじる訳にはいかないんだ。どこかで歯止めを掛けないと、魔法師の人権を守れなくなる。正義の名の下に魔女狩りを始めるヤツらがきっと出て来るに違いない」

 

「つまり琢磨は、私のというより、父の力を借りたいのね?」

 

 

 真紀の父親は、テレビ局を含む複数のメディア企業を傘下に持つ株式会社の社長だ。図星を指されてひるんだ琢磨だったが、それは一秒にも満たない間の事だった。

 

「厚かましいとは自分でも思ってるし、魔法師に味方しても、真紀の御父上には何のメリットもない。むしろデメリットばかりだろう。それでも、頼む! 俺には司波先輩のように何でも出来る力はないし、頼れる相手が真紀しか思い浮かばなかったんだ……」

 

 

 真紀も、達也が十師族の一員だったと言う事は知っていた。だが真紀が表情を変えたのはそこではなく、不覚にも十歳近く年下の少年にときめきを覚えた自分に驚いたのだ。だがそこは一流の女優として、咳払いをして誤魔化すなどという、分かりやすい真似はしなかった。

 

「琢磨、これは貸しよ」

 

「真紀……!」

 

 

 琢磨が気色を浮かべた顔を上げる。

 

「その内、必ず返してもらいますからね」

 

「ああ、俺に出来る事なら何でもする!」

 

 

 琢磨は近い将来、具体的には三年後、この言葉を心底後悔する事になるのだが、決して反故にはしなかった。これが二一〇〇年、二一世紀最後の年にスター女優・小和村真紀の相手役として颯爽と銀幕にデビューした現役魔法大学生俳優誕生秘話である。




ショタコンなのだろうか……

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