レストランから魔法大学まで約十分。魔法大学からキャビネットの駅まで約十分。空はすっかり暗くなり、月明りも星明りも無かったが、街灯のお陰で足下が見えないと言う事は無い。それでも昼に比べれば視界は悪く、そのせいで真由美の歩みはゆっくりとしたものとなる。
達也にとってこの程度の闇は、何の障碍にもならない。だからといって一人で先に行くとか、手を引っ張って急がせるとか、そんな真似をするはずも無く、彼は真由美の歩調に合わせ並んで歩いた。
「あれ、リンちゃん?」
「真由美さん? それに、司波君も……こんな時間にどうしたのですか?」
「それはこっちのセリフよ。リンちゃんは今まで学校に?」
「ええ。レポートを纏める為の資料を探していました。真由美さんたちは、例のテロ事件関係で?」
鈴音は、真由美たちがテロ事件の捜査に加わっていると言うことに気づいている。事情が事情なので、公には言っていないし、近しい友人にも家の事情としか言っていないのだが、そこは鈴音の推察力がモノを言ったのだろう。
「今日はまだ本格的な話し合いじゃなかったから」
「そうですか。駅までご一緒しても?」
「俺は構いませんよ」
達也の返事に、鈴音は分かりにくく喜びを表現し、真由美は分かりやすく不満を顔に出した。同じ婚約者候補でありながら、真由美はどうも独占欲が強いようだと、達也と鈴音は感じたのだった。
「司波君から見せてもらった実験の資料、とても興味深いものでした」
「そう言えば、ウチのタヌキオヤジの所為で、達也くんが何か大掛かりな実験をしなきゃいけなくなったんだっけ」
「七草さんの所為ではないですが、あのまま放っておいたら面倒になっていたかもしれないというのは事実でしたね。ですが、実験は前々から考えていたものですし、あのタイミングでやれば最も世間に影響を与えられると考えたからやっただけです」
「出来れば私にも声を掛けていただきたかったものですが」
「大学に入学したばかりの市原先輩は、まだいろいろと忙しいかとも思いましたので」
前に言われた時にも、達也は同じ理由を挙げて鈴音に納得させたので、今回もこの理由で鈴音は折れるしかなかった。
「それにしても、まさか司波君が四葉家の次期当主になるとは」
「驚きよねー。名倉さんが数字落ちであることに気付いたのも、そういう理由だったのね」
「名倉さんというと、真由美さんのボディーガードだった方ですね」
「そうよ。あのタヌキオヤジの所為で亡くなってしまったけど……でも、達也くんが無念を晴らしてくれたからもういいんだ」
名倉の事を思い出して、真由美は一瞬沈んだような雰囲気を醸し出したが、すぐに明るい雰囲気に戻った。細かい事情は聴かされていないし、聞いちゃいけないと分かっているので深入りはしなかったが、真由美は名倉の仇を達也が討ってくれたという事実だけで喜んでいたのだ。
「しかし真由美さんと司波君が並んでいると、恋人というより兄妹のようでしたね」
「そんな事ないわよー。ねっ、達也くん?」
「俺にそう言う事を聞かれても……しかし市原先輩。俺は七草先輩より年下なのですが」
真由美は「姉弟」と思ったのだが、達也は鈴音が意図した通り「兄妹」という認識をしていた。自分が真由美よりも年上に見られているという事を、達也も自覚しているのだ。
「ちょっと! 何で私が妹なのよ!」
「真由美さんの格好は、いかにも女子大生ですが、司波君の格好は高校生には見えませんし、大学生にしても大人びた感じがするでしょうからね。真由美さんより年下だと初見で分かる人は、そう多くないと思いますよ」
真由美が何かを言い返そうとして、鼻に何かが当たったので空を見上げた。
「あっ、雪……」
その声を合図にしたかの如く、大都会の光にぼんやりと照らされた夜空から雪がハラハラと舞い落ちてきた。達也はコートの内側のホルダーから、鈴音はバッグの中からそれぞれ折りたたみ傘を取り出したが、真由美は困ったような表情を浮かべた。
「七草先輩、傘持っていないんですか?」
「家を出る時に天気予報を見なかった、とかですか?」
達也と鈴音が揃って不思議そうに自分を見ていると自覚した真由美は、気まずそうに視線を逸らした。
「今朝はバタバタしちゃって……」
今にも自分の頭を小突きそうな表情で真由美が答えると、達也は自分の持っている傘を彼女に差し出した。
「使ってください」
「えっ、いいよ、そんな。雨じゃなくて雪なんだし、大したことない強さだし……」
「ええ。大したことのない雪ですから、俺は傘が無くても大丈夫です。先輩が使ってください」
「えっ、でも」
「万一、七草先輩が風邪を引かれたら、俺は十文字先輩に怒られてしまいます」
まじめくさった顔で傘を差しだす達也の言い分に、真由美は笑みをこぼした。
「十文字くんはそれくらいで怒ったりする人じゃないわよ」
そう言って真由美は、差し出された達也の右手に、自分の左手を重ね、更に達也との距離を詰めた。
「達也くんが風邪を引いちゃったら、私が深雪さんに怒られちゃうでしょ? だから、一緒に入りましょう」
「……分かりました」
自分が言ったことは冗談の範疇だが、真由美が言ったことは冗談では済まないだろうと達也は思い――そんな心配は必要ないのだが――折衷案としての真由美の意見を呑むことにした。
「私、お邪魔でしょうか?」
「気にする事は無いと思いますがね」
「そうそう、何ならリンちゃんも達也くんとくっついちゃえば?」
「私は、真由美さんほど恥知らずではありませんので」
「それ、どういう意味よ!」
騒がしくなった真由美と鈴音に挟まれた達也だったが、彼は特に表情を変えずに、駅までの道のりを静かに歩いたのだった。
真由美だけに美味しい思いをさせるのはちょっと可愛そうかなと思い、リンちゃん登場