達也は十八時ちょうどに、克人が待つレストランへ入り、十九時にレストランを出た。今日は特に報告すべき進展が克人にも真由美にも達也にもない。鎌倉の一件は、既に情報を共有済みなので、今日は将輝にこれまでの情報を伝えるだけだったので、長すぎもせず短すぎもせず終わったのだった。
ミーティングが終わると、克人は食事でもどうかと提案し、真由美と将輝はそれに従った。だが達也は、まだ家から情報が入るかもしれないという理由でそれを断り、一人帰路についたのだった。
キャビネットの中で一人、達也は今日の深雪の様子を思い浮かべていた。表面上はいつも通りで、親しい友人たちも気づいてはいなかったが、明らかに今日の深雪は不機嫌だった。そしてその理由は恐らく――
「一条が一高に来たからだろうな……」
自分の婚約者候補として発表されているのに、それを理解した上で交際を申し込んできているのだ、少しくらい嫌悪感を抱いても仕方ないとは達也も思っている。だがそれでも、あの深雪が明らかに態度に出すということは、達也でも意外だと思えるのだった。
自宅付近の最寄り駅で降り、達也はどう会話を切り出すかを考えながら家までの道のりを歩く。こんな時相談できる相手でもいればいいのだが、そんな都合よく知人と会うことなく、達也は家に到着したのだった。
「お帰りなさいませ、お兄様」
「ただいま」
いつも通り――いや、何時もより明るい笑顔で、深雪は達也を出迎えた。そのことに引っ掛かった達也は、ついまじまじと深雪の顔を覗き込んでしまう。
「あの、お兄様? 深雪の顔に何かついていますでしょうか?」
「ああいや、そう言う事じゃないんだ。悪かったな」
「いえ、お兄様にでしたら、深雪はどれだけ見られても構いません」
深雪の言葉に、達也はふと一条の顔を思い浮かべた。その理由は単純で、深雪は「お兄様」の部分を強調したからであり、見られたくない相手がいると言う事を達也に伝えたのと同じだったのだ。
「さぁお兄様、夕食の支度は出来ています。何でしたらお着替えのお手伝いも……」
「いや、それは不要だ。それに深雪、そこまで世話を焼こうとすると、他の候補者からまたクレームがくるぞ」
「そうですね……同居を認めないとか言われたら、私はもう生きていけませんからね」
少々大げさに聞こえるが、深雪は本気でそう思っている。中一の夏、沖縄から帰って来て以来、深雪は達也の側でなければ生活できないと思い込んでいるのだった。
食事を終え、深雪が淹れてくれたコーヒーを飲みながら寛いでいると、水波が血相を変えてリビングから駆け込んできた。
「達也様、ご当主様から通信です」
「分かった。すぐに向かう」
残っていたコーヒーを飲み干し、達也はヴィジホンの前に立った。
『こんばんは、たっくん。休憩中だった?』
「いえ、問題はありませんよ、母上。それで、どのようなご用件でしょうか」
『この前の土曜日、顧傑に逃げられたでしょう? あの理由が分かったから教えておこうと思って』
「それは、四葉家当主が直々に伝えなければならない程、重要な事なのですね」
普通であれば、その程度の事は葉山が連絡してくるだろうと思っている達也は、真夜が連絡してきた意味を考えそう結論付けた。
『さすがはたっくんね。その通り……こちらの通信が傍受されてるみたいなの』
「……四葉家の通信には十分な強度の暗号が用いられているはずですが」
『国防軍と同等の暗号を一時間更新で使っているのだけど、それが破られてしまったみたいね』
「それではこの通信も傍受されていると考えるべきでしょうか」
少し驚きはしたが、達也は冷静に状況を分析し自分の考えを真夜に告げた。
『そう考えるべきでしょうね。だから今後のこの一件に関する手掛かりは、お手紙で伝える事になったの』
「分かりました」
手紙と言っても、通常の郵便事業者を使うつもりは無いだろうなと、達也は思った。
『用件はそれだけ……そうそう、たっくん、十文字殿や七草家のお嬢さんとはうまくやれていますか? 今日から一条家のご子息も加わったはずですけど』
「ミーティングでしたら問題なくやっていますが」
『それならいいのだけど、一条家のご子息の動きには注意しておいてね。隙あらば深雪さんにアタックするはずだから』
「今回の一条の転校もどきは、やはりそういう意図も含まれているのでしょうか?」
『表向きはテロリスト捜索の為でしょうけども、裏にそういった考えがあるのは確かでしょうね。見た限り、深雪さんと同じクラスになれて浮かれてるようですし』
何処で見たのか、というツッコミはするだけ無駄なので、達也は真夜の言葉に頷いて会話を終わらせようとした。
『あっ、そうそう』
「何でしょうか」
『たっくんの婚約者候補、とりあえず申し込みは締め切って選定の段階に入ったから、一度たっくんも候補者のプロフィールを見にこちらに来てね』
「……とりあえず、今回の件が片付きましたら伺います」
『うんうん、そうしてちょうだい』
満面の笑みを浮かべながら、真夜は通信を切った。達也はやれやれと首を竦めながら振り返ると、深雪が少しムッとした雰囲気で立っていた。もちろん、ムッとした表情はしていない。
「お兄様。一条さんに活躍させる隙など与える事無く、事件を解決してくださいね」
「おいおい……今回は協力者として来ているんだ。そんなことを考えながら動くべきではない」
「そうでしょうか? 不純な動機で捜索に加わってる時点で、そのような常識は考えるべきではないと思うのですが」
「……とにかく、深雪はもうお休み。後は水波とミアさんに任せればいい」
妹は疲れているのだ。だからこのような考えに至るのだろうと考えることにした達也は、深雪を部屋で休ませることにしたのだった。
「お兄様、深雪は疲れてなど……」
「本音を隠せなくなってるくらいに疲れているだろ? だから今日はもうお休み」
達也に優しく諭され、深雪は少し顔を赤らめながら頷き、部屋に戻っていった。そんな深雪の背中を見送った達也は、人知れずため息を吐いたのだった。
電話越しだけじゃなく、面と向かって会話したいだろうな……