二月十二日は朝から小雪がちらついていた。八雲の寺から帰宅途中の達也は、時速六十キロ近いスピードで坂を駆け下りていた。その途中で、達也は彼女に気が付いたのだった。
「おはようございます、吉見さん」
達也の挨拶に、吉見がペコリとお辞儀をして応える。そしてコートのポケットから取り出した縦長の封筒を、達也に向けて差し出した。真夜のメッセンジャーは彼女だったのだ。
「確かに」
封筒を受け取った達也がそう言うと、吉見の顔が上下に微かに動いた。サングラス越しの眼差しは、達也を見ているかどうかすら分からない。
達也は吉見の格好を改めて確認し、やはり不自然だと感じた。顔を隠そうとしているのがあからさまで、自分から不審人物だと宣伝しているようなのだ。
真冬のこの季節、マフラーを鼻の上まで巻くのはそれほどおかしなことでもないし、キャスケットもファッションとして有りだろう。マフラーとキャスケットの組み合わせも、別に変ではない。
「吉見さん、その恰好は逆に目立つと思いますよ。サングラスは外した方が良いのでは?」
余計なお世話と知りつつ、達也は吉見にアドバイスを送った。彼女は無言で首を二回、左右に振った。
家に戻りシャワーを浴びた達也は、朝食を摂る前にリビングで吉見から受け取った手紙を広げた。
「お兄様、お食事の準備が整っておりますが――それは昨晩、叔母様が仰っていた……?」
「そうだ」
ダイニングから呼びに来た深雪は、達也が広げている手紙の正体にすぐ思い至り、達也も目を通し終えた手紙を深雪に渡した。
「顧傑逃亡に国防軍が関わっている……ですか」
「腐敗と無縁の組織は無いそうだ。国防軍も例外ではない。腐っているのは一部だけ、と信じたいところだ」
達也は深雪の手から便箋を取り上げ、手に持っていた封筒にしまった。
「とはいえ、そろそろ過去の過ちに対する配慮は止めてもいい頃だろう。本人たちが望むと望まざるとに拘わらず、こちらに害をなすのであれば遠慮するべきではない」
「お兄様……」
心配そうな眼差しで深雪が達也の顔を見上げる。達也は笑って妹の頭を軽く撫で、朝食を済ませるためにダイニングへ向かった。
午前の授業が終わり、将輝は一高のレベルの高さに肩を落としていた。一時限目の実習、課題は「魔法の終了条件定義」だった。作用時間を変数として自分で定義する実習で、内容は白いプラスチックの球の色を赤、緑、青の順番で変化させる魔法を三十秒間に十セット行うというものであり、平均一秒が目標となる。
将輝は教師の説明が終わったのと同時に、深雪に声を掛けてペアを組んでもらった。そこまでは将輝にとって成功と言えただろう。
だがしかし、いざ実習となると、将輝は一秒間隔で魔法を刻むことが出来ずに、0・七秒残して一回目の実習を終わらせた。初めてにしては上等だと思える結果だったのだが、ペアを組んでいた深雪は補助なしで合格したのを考えると、同じ十師族として素直に喜べなかった。
しかも追い打ちをかけるように、隣で実習をしていたほのかは、三十秒ジャストで合格し、雫も問題なく合格していたと気づき、将輝は今度は補助なしでと意気込んで二回目の実習をはじめ、一時間丸々使って漸く、合格ラインを達成したのだった。
「はぁ……三高では俺が一番だったんだけどな……」
自惚れではなく、間違いなく三高では将輝が一番だった。真紅郎はあくまでも理論が専門であり、実技になると将輝に劣るがそれなりの結果は残している。だが、一高ではその「それなりの結果」しか残せない自分に、将輝は情けなさを感じていた。
「一条さん、よろしければ一緒に食堂へ行きませんか?」
「えっと、光井さんだっけ? 俺が一緒に行ってもいいんですか?」
「ええ、ぜひ。お友達も紹介したいですし」
ほのかの背後には、雫や深雪、他にも九校戦で見たことがある女子がずらりと並んでいた。
「お邪魔じゃなければ、ご一緒させていただきます」
決して女子が多いから付き添ったのではなく、将輝の目的は深雪ただ一人。その事を理解している深雪は若干顔を歪めたが、誰一人その事には気づかなかった。
そして食堂にやって来た深雪たちを出迎えたのは、当然の如く達也たちだった。
「達也さん、お待たせしました」
「気にする事は無い。俺たちが場所を取っておくから、ほのかたちは料理を取っておいで」
優しい声でそう答えた達也に、将輝以外の――当然だが――一科生たちは顔を綻ばせた。食事を持ってきて席に座った一同だが、何故か将輝は達也の正面に座らされた。
「達也さんたちも魔法の終了条件定義の実習をやったんですよね? どうでした?」
ほのかが特に他意は無く無邪気に質問すると、将輝は少し表情を歪めた。自分の心の傷に塩を塗り込まれた気分になっていたのだ。
「達也さん、凄かったんですよ。最初っから最後まで一秒間隔で」
「膨大な魔法力を制御するのは、まだ上手くいかないが、正確性が求められるものなら得意だからな」
「私も一応は上手くいったんですが、どうしても途中で長くなったり短くなったりしちゃって」
「達也さん、何かコツとかあるんですか?」
「僕たちはまだやってないから、コツがあるならぜひ聞かせてもらいたいね」
達也が魔工科であることを知った将輝は、色々とショックを受けていた。得意な実技でも達也に勝てず、周りの女子は一人を除き達也に好意を持っているのが良くわかる雰囲気だった。
「(司波の方は特に誰かを、って感じはしないが、あいつは特殊な立場だからな……全員を選ぶことが出来るなんて、少し羨ましいぞ)」
将輝も普通の男子高校生同様、それなりに異性に興味はある。今は深雪に想いを寄せているが、もし全員を選ぶことが許されるなら、将輝は跳んで喜ぶだろうと自分で理解していた。
「(何か自制心を鍛える努力でもしているのだろうか?)」
達也は恋愛感情が薄い、一高生徒なら知っている事も、将輝は知らないので、そんなことを考えながらの昼食となったのだった。
一高のレベルはかなり高かった……