劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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寿和ってホの字……いや、何でもないです


行方不明の稲垣

 長めの走り込みから戻ってきたエリカは、「せっかくの日曜なのに、朝から嫌な奴にあった」と思っていた。ちょうど出かけようとしている長兄の寿和と門のところでばったり会ってしまったのだ。

 寿和は遊びに行く格好ではない。コートにスーツの仕事スタイルだ。しかしそれをエリカが訝しく思う事は無かった。刑事の仕事に日曜日は関係ない、といっても過言ではない。少なくとも千葉家に関わる魔法刑事たちはそんな感じだ。

 彼女は声もかけず目も合わせず、寿和の横をすり抜けようとしたが、予想通りに引き留められてしまった。

 

「エリカ」

 

「何よ」

 

 

 エリカはこの異母兄が父親の次に嫌いだ。そして、父親より苦手だ。子供の頃、稽古の度に立てなくなるまで叩き伏せられた記憶が、今の心の片隅に残っている。ふざけた口調で彼女をからかう言葉が、自分でも何故そこまでと疑問を覚えるほど、一々癇に障る。彼の言葉はエリカの心の奥底に秘めたものを的確に貫くから、余計に苛々するのだ。

 自分に構わないでほしいと、どれだけ頼んだか分からない。高校生になってからは、それも無駄だと諦めてしまっており、エリカに出来るのは精々、不機嫌な顔で睨み返すくらいだ。

 

「聞きたい事がある」

 

「だから何よ」

 

 

 何時もの嫌味は飛んでこなく、エリカは「調子が狂う」と思いながら、それでも不機嫌な表情は崩さず問い返す。寿和はエリカの反抗的な態度に頓着しなかった。何時もと違い、気にしている余裕がない感じだ

 

「稲垣を見なかったか?」

 

「稲垣さん? ……最近は見てないわね。何時からの話?」

 

「昨日からだ」

 

「昨日?」

 

 

 エリカは寿和の意図が分からず眉を顰めた。いい大人が一日くらい姿を見せなかったからと言って、気に掛ける必要があるのだろうかと。

 エリカが自分へ向ける不思議そうな眼差しに居心地の悪さを感じたのか、寿和は妹の視線から目を逸らし、言い訳の必要を感じたのか、そっぽを向いたまま不快げに説明する。

 

「あの野郎、連絡も寄越さずに昨日仕事を休みやがった」

 

「稲垣さん、一人暮らしだよね? 急病で起き上がれないとかじゃ?」

 

「家にもいない。いったい何処をほっつき歩いてんだが……」

 

「……わざわざ家まで行ったんだ」

 

 

 エリカのツッコミに、寿和は背中を向けた。

 

「と、とにかく! 稲垣を見つけたらすぐに連絡を寄越すように言ってくれ。連中にも伝えておいてくれよ!」

 

 

 連中、というのは千葉道場の弟子たちの事だ。エリカは足早に立ち去る寿和に「まっ、良いけど」と呟いて自分の離れに戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日曜の朝だというのに、道場では大勢の門人が稽古をしていた。二十歳前後から二十歳後半の青年が中心で、稲垣と同年代の古株の姿も見える。寿和の話を思い出したのは、ほとんど気まぐれに近かったが、エリカは彼らに話を聞いてみる事にした。

 

「内藤さん、門田さん、ちょっと良いかな?」

 

「あっ、エリカさん、おはようございます」

 

「エリカさん、来てらしたんですか」

 

 

 エリカが木刀で素振りをしている青年と、その隣でアドバイスを送っている青年に声を掛けると、二人が素振りを止めてエリカの方を見る。

 

「今来たとこ。それで、確か二人は稲垣さんとほぼ入門同期だったよね?」

 

「ええ」

 

「といっても、年は稲垣さんの方が上ですが」

 

「そんなに違わないでしょ、二つ違いなんだから……それでさ、稲垣さんが昨日から行方をくらましているらしいんだけど、二人は何か聞いてない?」

 

「行方不明ですか?」

 

 

 稲垣と同い年で、道場では恐らく最も親しい内藤が訝しげに眉を顰めた。

 

「変ですね。あいつの性格からすると、どんなに急ぎの用があったとしても、伝言を残さないというのは考えられない」

 

「稲垣さんは内藤さんと違って几帳面だからねぇ」

 

 

 ゴツン、と結構激しい音が門田の頭で鳴った。

 

「ちょっとしたお茶目じゃないですか」

 

「木刀で殴られなかっただけありがたいと思え」

 

「はいはい、じゃれ合うのは後にして。要するに、二人とも心当たりはないのね?」

 

「ありません。……注目!」

 

 

 内藤がエリカに向かって頭を振った後、道場中に響き渡る大声を発した。

 

「昨日と今日、稲垣を見たものは挙手!」

 

 

 誰も手を上げない。

 

「稲垣の行き先に心当たりがある者は!?」

 

 

 今度は二十歳過ぎくらいの若者が二人、手を挙げる。

 

「昨日ではなく一昨日の晩のことなんですが、地元でお姿を見かけました」

 

「お前たち、住まいは鎌倉だったな」

 

「はい」

 

「何かを探してるみたいだったんで、捜査かと思って声は掛けなかったんですが」

 

「他に気が付いたことはないか」

 

「ちらっと見ただけなんで……すみません」

 

「あっ、でも……」

 

 

 片方が謝った後、もう一人の青年が何かを思い出したように声を上げた。

 

「何だ?」

 

「ちらっとですが、見るからに怪しい人物が、稲垣さんに近づいて行ってたような気がします」

 

 

 内藤がエリカへ振り返り、エリカが内藤に頷き返した。

 

「分かった。稽古に戻れ!」

 

「「「「はい」」」」

 

 

 一斉に声を上げて思い思いの稽古に戻った門人たちから視線を外し、内藤はエリカへ身体を向けた。

 

「お聞きの通りです。あまり力になれず、すみません」

 

「元々和兄貴の用だからあたしに謝る必要無いわよ。内藤さん、今の話、和兄貴に伝えといて」

 

 

 そう言って、エリカは内藤と門田の傍を離れていく。彼女が兄の寿和に苦手意識を持っている事を良く知っている内藤は、笑ってエリカの言いつけに従った。

 

「相変わらずなんですね、エリカさん」

 

「そう簡単に苦手意識がなくなるわけないだろ。もう一発殴られたくなかったら、お前もさっさと稽古に戻れ」

 

「分かりましたよ。ちょっとした冗談じゃないですか」

 

 

 門田が無駄口を叩いているのを一睨みで黙らせてから、内藤は寿和へと連絡を入れるために道場を後にしたのだった。




同僚で同門を心配してるだけですね

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