鎌倉と聞いて、寿和は思い当たる節があった。人形師、近江円麿の住まいが鎌倉であり、響子から電話で聞かれた症状が稲垣に出ていたと今更ながらに思い当たったからだ。寿和は大声で自分を罵倒したくなる衝動を、軋る音が漏れるくらい歯を強く噛みしめる事で堪えていた。覆面パトカーを一ブロック手前に駐め、寿和は気配を消して「人形師」の屋敷の前に立った。
「失礼、千葉寿和さんですね」
だが寿和の隠形は、背後から現れた女性にあっさりと見破られてしまった。
「いきなりお声がけしたご無礼、お許しください」
「貴女は?」
「私、四葉家当主、四葉真夜の名代として貴方をお待ちしていました、黒羽亜夜子と申します」
「四葉家の名代? そのような方が私に何の御用でしょうか」
見た目はエリカとそう年も変わらないであろう少女が、四葉家当主の名代を名乗った事で、寿和の中で亜夜子に対する警戒心が増していく。
「そんなに警戒する必要はございませんわ。私、司波達也さんの命によりこちらで貴方を待たせていただきました」
「司波達也? 確か、四葉家次期当主で、エリカの婚約者の名前が……」
「ええ。その司波達也さんです。私、彼の再従妹に当たります。それで、貴方がこちらにやってくるということで先回りさせていただきました。貴方様のお仲間も、こちらで保護しております」
「稲垣の事ですか?」
寿和は門田から聞かされた「見るからに怪しい人物」が目の前の少女だとは思えなかった。確かにうさん臭さはあるが、見た目は可愛らしい少女でしかない。その屈託のない笑みも、怪しさをうかがわせるものではなかった。
「あの方は稲垣さんと仰るのですか。達也さんもお名前は存じないと仰られておりましたので、その『稲垣さん』なのかは、警部さんの目でお確かめくださいませ」
「……稲垣を保護したのは貴女ですか?」
「いえ、私の従姉に当たる方が声をお掛けしました」
四葉家の人間を信用して良いものかと疑った寿和だったが、達也とつながりがあると言う事は、妹と同じように婚約者候補になっている響子ともつながりがあるのだろうと考え、彼女なら信用出来ると思い亜夜子について行くことにしたのだった。
「こちらの方ですが、稲垣さんでお間違いないでしょうか?」
簡易ベッドに横たわる稲垣を見て、寿和は無言で頷いた。
「我が家の者の見解では、稲垣さんは
「かーす?」
「何者かの呪術により、生命力を奪われているということです」
「呪術だって……?」
寿和が当惑したのは、それが意外だったからではなく、やはりあの人形師が犯人であったと言う事を見抜けなかった自分に呆れたのだ。
「それで、稲垣は今もその呪を受けているのですか?」
「先ほど、専門の者を手配し、既に解呪を行いました。後はこの方の生命力がどの程度のものか、それだけだと申されておりました」
「そうですか……」
「近江円麿につきましては、四葉家の手の者が捜索に当たっております。警部さんは捜査本部にお戻りになられた方がよろしいのではないでしょうか? ここにいる事も、本部には伝えておられないのですよね?」
妹程年が離れている少女に自分の事を全て知られているような錯覚に陥り、寿和は握っていた仕込み杖を無意識に亜夜子へ向けていた。
「さすがは千葉家次期当主様ですわね。まったく動きに無駄がございませんでした」
「……君はいったい、何者なんだ?」
「先ほど申し上げましたように、私は四葉家当主、四葉真夜と、次期当主であられる司波達也さんの命を受けて動いている者。名前は先ほど申し上げました」
「稲垣を助けてくれたことには、素直に礼を言います。ですが、何故四葉家の方が私のような愚鈍とされている者の事までご存じなのでしょうか?」
寿和は心の中で「修次なら兎も角」と付け加えた。弟の修次であれば、四葉家の者が知っていてもおかしくは無い。「千葉の麒麟児」と謳われる弟であれば、あの四葉家が警戒していてもおかしくは無いと思っているからだ。
「ご謙遜はおやめになられた方がよろしいですわ。貴方の隠形、そしてまったく無駄のない動きは、天性の物だけでは説明が出来ませんもの。貴方は表立っては稽古しなくても、裏で努力していたのですわよね」
「………」
亜夜子に自分の努力を知られていた事が恥ずかしいと思ってしまった寿和は、何も言い返せずに固まってしまった。
「それから、テロ首謀者の捜索も、打ち切りになさった方がよろしいですわ」
「何故、そのような事を」
「何故、とは?」
寿和の質問の意図が理解出来なかったのか、亜夜子は小首を傾げて寿和に問い返した。
「テロリストの捜索は我々警察の仕事であり、例え君が四葉家の人間だとしても、その事を止める事は出来ないはずだ。それを理解してなお打ち切れというからには、それ相応の理由があると思っただけだ」
「ああ、そう言う事でしたか。理由は簡単ですわ。これ以上、余計な仕事を増やされたくないからです。今回の一件だって、達也さんが警戒していなければ、貴方も傀儡にされていたかもしれないのですから」
亜夜子が纏っていた空気が一変した事を感じ取り、寿和は一歩後ろに下がる。妹と同年代の少女に畏怖を抱いた事を認めたくは無かったが、彼が抱いたのは間違いなく畏怖の感情だった。
「では、稲垣さんは私たちの手の者がご自宅までお送りいたしますので、千葉警部は大人しく捜査本部へとお戻りくださいませ」
可憐にスカートを広げ一礼し、亜夜子は寿和の目の前から姿を消した。寿和は何も言い返す事が出来ずに、大人しく覆面パトカーで東京へ戻ることにしたのだった。
前回の「見るからに怪しい人物」とは、当然吉見さんの事です