劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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まず一人、怒ってしまった……


キャスト・ジャミングへの抵抗

 駅から一高へと至る通学路と交差するコミュニティー道路で、人間主義者というならず者が、一般人では手に入れることが出来ないはずのアンティナイトを使って、魔法の発動を妨害する想子波を放った。

 キャスト・ジャミングのノイズに、水波の表情が歪む。胸を押さえ、前のめりになって俯く水波。細い肩を上下させ、荒く浅い息を繰り返す。

 彼女の苦しむ姿は、深雪に五年前の、あの夏の日を鮮明に思い出させた。二〇九二年八月十一日、大亜連合による沖縄侵攻が起こった日の出来事。避難したはずの国防軍の基地の中で、反乱軍の襲撃を受けて起きた、あの事件。

 敵の一人だけを「止めて」、敵の全員を「止めて」しまわなかったが為に、穂波が撃たれ、母が撃たれ、深雪自身も撃たれて死にかけた、あの時の記憶。

 その穂波とそっくりな少女が、彼女を苦しめたキャスト・ジャミングを浴びて、同じように苦しんでいる。その姿を目の当たりにして、深雪の中にあの日の光景が一瞬の内に、次々と再生される。

 

「……許さない」

 

 

 怒りに震える声で、深雪が小さく呟く。過去と現在が二重写しとなった世界の中で、深雪は現在の自分を見失っていた。過ぎし日の後悔と怒りに駆られ、深雪は己が力を解放しようとした。

 

「深雪様、お止めください! 達也様のお言い付けに背くおつもりですか!」

 

 

 しかし、苦痛の中から声を振り絞った水波の叫びが、深雪の魔法を、主の暴走を止めた。我を忘れ自制を忘れた深雪の心に、達也の言葉が蘇る。

 

『四葉家の人間だと明らかになったお前が、魔法師でない市民相手に魔法を使うのはマズい』

 

 

 達也にそう言い付けられたのは、一昨日の夜の事だ。深雪にとって何よりも優先する達也の命令は「あの日の光景」の記憶をも圧倒して彼女の心に響き渡る。

 精神を凍り付かせ身体も「止めて」しまう深雪の魔法「コキュートス」が、達也の名の下に発動寸前で霧散した。

 

「……水波ちゃん?」

 

「……私は大丈夫です、深雪様」

 

 

 深雪は悪夢を引きずる不安混じりの声と表情で水波の名を呼び、水波は無理をして笑みを浮かべ、危ういところで自分を取り戻した主を宥めた。

 額に脂汗をにじませながらも、気丈な目を深雪に向ける水波。自分なら大丈夫だと、だから早まった真似はするなと、水波の瞳は深雪に訴えかけていた。

 

「もう大丈夫よ」

 

「深雪先輩……?」

 

 

 泉美が想子のノイズに顔を顰めながら、深雪に訝しげな声を掛ける。深雪がキャスト・ジャミング如きに抵抗出来ないはずはない、泉美は理由も無くそう確信していた。

 残念ながら泉美自身は魔法の行使に著しい困難を覚えている状況だが、「敬愛する深雪先輩」ならこの程度の雑魚は簡単に蹴散らせるはず。そんな確信を込めて、泉美は深雪の顔を仰ぎ見た。

 

 深雪が「安心して」という眼差しで泉美に頷いて見せる。その後、彼女は目を伏せて両手を胸の上に重ねた。深雪の身体が、柔らかい輝きを放ち始める。人間主義者を名乗る無頼漢には見えない光。魔法資質を持つ者にしか見えない非物理的な光、想子光が深雪を中心に広がっていく。

 自分を包み込む優しい光の中で、水波はふと気が付いた。キャスト・ジャミングのノイズがもたらす苦痛が和らいでいる事に。

 キャスト・ジャミングは元々魔法の発動を妨げるだけで、魔法師にダメージを与えるものではない。だが想子感受性が高い魔法師にとって、キャスト・ジャミングのノイズは吐き気や眩暈を起こす騒音と同じ効果を持っている。

 そのキャスト・ジャミングのノイズによる心身の不調が改善しているのを水波は実感した。影響はまだ続いているが、不快感は半分近くに減っていた。

 

「深雪様……?」

 

 

 水波が深雪の顔を、姿を、改めて見つめる。この変化をもたらしたのは彼女の主。他に心当たりは無かった。

 

「深雪先輩、凄いです! 濃密な想子のカーテンでジャミング波を弱めているのですね!」

 

 

 泉美が漏らした感嘆の声に、水波も納得を覚えた。干渉力を伴わない想子の雲が魔法を妨げる事は無い。だが同じように事象干渉力を持たないキャスト・ジャミングのノイズに対しては厚いクッションの役割を果たしているのだ。

 泉美の声は、無頼の男たちにも聞こえていた。

 

「馬鹿な! キャスト・ジャミングが通用しない魔法などあるはずがない!」

 

 

 人間主義者のリーダーが焦りを浮かべて叫ぶ。それが己の無知を曝しているとも知らずに。彼のセリフは、泉美と水波にとって滑稽に聞こえるものだった。そう感じたことを、二人は隠し切れなかった。あるいは、隠そうともしなかった。

 水波は微かに笑った。それは意図したものではなかった。それに対して泉美は、はっきりと笑った。そこに意図的な嘲りを含ませて。

 確かにキャスト・ジャミングは殆どの魔法に対して有効なのだが、深雪が今みせている妙技は、魔法ではない。想子を体外に放出してコントロールする技術は無系統魔法に含まれるから、その意味では魔法であるとも言える。魔法であって魔法ではない力で、魔法に対する妨害手段を妨害する。

 深雪がいかに高度な技を披露しているか、深雪がどれほど素晴らしい魔法師か、魔法を理解しようとしない邪教の徒に理解出来るはずがなかった。

 そして、キャスト・ジャミングが通用しない魔法もある。例えば、魔法の発動を妨害する想子波の構造を分解してしまう魔法。

 突如として、アンティナイトが放つ想子のノイズが消えた。不規則に発せられる想子波は、均質な想子の細波となった。

 

「お兄様!」

 

 

 深雪が目を見開き、振り返る。そこには達也が、能面の如き無表情の中に、ただ両の眼のみ爛々と光らせて立っていたのだった。




水波が止めなかったら大変な事に……

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