劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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身体を動かさなくても追撃できるなんて……


追跡

 倒れた青年が起き上がってこないのをたっぷり十秒確認して、達也は緊張を解いた。その直後に、通りの角から「全員、動くな!」という警官の声が聞こえた。

 全てが終わってから来るなど役に立たない、とは思わなかった。達也は左右の街路樹を見て眉を顰め、背後を振り返って狂信者たちの惨状に軽いため息を吐いた。警官が巻き添えにならなくて良かったというのが、達也の偽らざる感想だ。第一高校駅前交番の警官が今のSB魔法を防御、あるいは無害化出来たかというと、かなり疑わしかった。達也は「動くな」という警告に従い、その場にじっと立っていた。今は、動く必要が無い。データを追いかけるのに身体を動かす必要は無い。必要な情報は刺青=敵魔法師の術式媒体を分解した際に読み取っている。達也は情報の次元で敵の足取りを追いかけていた。

 魔法の効果は既に切れているが、術者と直接接触し魔法を中継した人間がすぐ近くに転がっている。魔法発動時点との時間的距離の近接と、魔法発動の媒体との空間的距離の近接。そして達也自身が魔法の標的となったという因果的距離の近接。これだけ材料が揃っていて、術式そのものに関する情報も手元にあるとなれば、その主、即ち魔法師本人の情報を追いかけるのは達也にとって困難な事ではない。

 先ほど、魔法の中継装置となっていた人間主義者の手首には、赤と青で縁取られた白いリストバンドが巻かれていた。達也とも縁浅からぬ反魔法主義国際結社「ブランシュ」の下部組織、「エガリテ」構成員の証だ。ブランシュの背後に周公瑾がいて、周公瑾の背後に顧傑がいた。それは達也も色々なところから聞いている。つまり、命令系統だけを見れば、エガリテの構成員は最初から顧傑の手駒だったと言える。しかし個々の構成員は、末端に近づく程人間主義という思想に共鳴して構成員に加わっていたはずである。このリーダーも人間主義の教義を叫ぶ姿は、演技には見えなかった。つまり、騙されていたのだろう。恐らく本人が知らない内に邪霊を中継する刺青を彫られていたと考えるのが妥当だ。

 達也は自分の意識を二分し、その一方を広大な情報の大海へ向けた、意識の半分で深雪を害する一切のものに備え、もう半分で紫炎の魔法を放った魔法師の情報を追いかける。

 事象には情報が付随する。何かが変化すれば、そこに必ず「変化した」という情報が痕跡として残る。それは魔法という「情報を操作する技術」であっても同じだ。痕跡情報を打ち消す情報操作もまた、情報を痕跡として残す。

 

「(……いた、顧傑ではないか……)」

 

 

 達也の「視界」に魔法師の情報が浮かび上がる。達也が「視」た魔法師の情報は、残念ながら座間で遭遇した顧傑のものではなかった。逆探知した相手が顧傑ならば、ここから雲散霧消を放つことで片が付いただろう。これだけはっきり「視」えていれば、物理的な距離は関係ない。

 

「(この鮮明度ならば詳細な位置情報も入手可能か?)」

 

 

 達也は遠く離れた魔法師の情報を次々と読み取っていく。名前は近江円麿、魔法師としての号は「人形師」、現在位置は鎌倉の……

 

「(っ!)」

 

 

 突如観測していた情報体に大幅な変更が加えられ、ダメージを被るのを避けるために接続を切った。達也の視界が肉眼から得られるものに復帰した。彼が情報次元に視界を向けていたのは、一秒未満だった。

 

「(つまり、俺が魔法を破った直後に殺したのか)」

 

 

 仲間割れの原因として一つ考えられることは、情報の逆探知技術をこちらが持っていると知っていた、あるいは憶測していた可能性があるということだ。

 

「厄介な相手だ……」

 

 

 近づいてくる警官に対し、両手を挙げて無抵抗の姿勢を示しながら、達也はため息と共に呟いた。もはや手段を選んでいられないかもしれない。達也はそう考えていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近江円麿の屋敷で、たった今手に掛けた家主の死体を見下ろしながら、顧傑はいよいよ猶予が無くなったという思いを噛み締めていた。彼が朋友である古式魔法師を殺したのは、術が返ってくる気配を感じたからだ。

 顧傑の知るどの術式にも当てはまるものは無かったが、SB魔法を放っていた経路を逆に伝って恐ろしい勢いで迫ってくる何者かの意識を感知した。

 殆ど反射的に、近江を殺す事で経路を閉ざしたが、敵の術を完全に断ち切れた自信は無い。カウンターの術式を遮断する事は出来たはずだが、ここの事を知られた可能性はある。顧傑はそう考えた。

 彼が感じ取ったのは達也の「視線」で、これが攻撃的な効果を持つものではなく、知ることに特化した技術であると顧傑は知らない。だがほぼ半世紀にわたって逃亡と暗躍の日々を送ってきた顧傑の危険察知能力は、情報次元に対する一瞬の観測を直感的に嗅ぎ取っていた。自分に対する敵意として。

 

「駒も失い、敵に位置を知られた恐れがあるな……仕方ない」

 

 

 近江円麿が用意していたはずの素体は、何者かに横から攫われて手に入らず、その近江もつい先ほど自分の手で殺めた。顧傑はいよいよ時間が無くなったとため息を吐き、未練を断ち切るように首を振り、自分の古い友人である古式魔法師・近江円麿の命を奪ったばかりの、複雑な装飾が施された短剣を手に、近江円麿の屋敷から逃げ出したのだった。




寿和たちを助けてしまったので、後半大幅改変が必要になりましたね……さて、どうやって沈めるか……

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